真っ暗な場所。
 ……そうとしか言いようが無い。
 身体はとても軽い。本当に地面があって、そこに足がついているのかさえ怪しい。
 ……そんな、何も無い場所。

 俺は、そんな変な空間に居る。

 ………………。

 ここは……どこだ……?
 どうして……俺はこんな所に居る……?



 俺は……何をしていたんだっけ……?







 記憶辿り編




 


        最初の年         



 

 其の一 記憶のかけら







「……あれ……?」


 どこだ。……ここ。
 森の中か……? まったく検討がつかない。
 さっきまで真っ暗な所に居なかったっけ……?
 どうして俺はこんな所に居るんだ……?
 ……分からない……。

「……暑いな……」
 辺りではセミが鳴いており、季節は夏のように感じる。
 見渡す限り木ばかりの山の中。
 俺はこんな所で何をしていたんだ?
 そもそも、俺はこんな所に来た覚えは無い。……と……言うより……。

「……あれ……? 俺……どうしてこんな所に居るんだ……? というより……誰だ……? 俺は……」

 記憶が……無い。

 どうしてこんな所に居るのかも分からない。
 何故こんな森の中で倒れていたのかも分からない。
 俺の名前……何だ……? 俺は……何て言うんだっけ……。
 ……分からない……。


 俺は今までどんな人生を歩んできた? そいつは楽しかったのか? それとも……苦しみだけだったのか?
 何も残っていない。言語能力は残っているようだが……。以前の俺の情報が……無い。

「……何だろう……。何か……何かが……脳裏に浮かんでくる……」

 以前の俺の情報はまったく無い。……皆無と言ってよいほどにな。
 ……だが……何か……と言うより、『誰か』。
 誰だ……? 思い出せない……。
 何なんだ……? どうしてあんたは俺の脳裏に刻み付けられている……?
 何故。何故……。



「みぃ……。今日も暑いのです……」

 
 ……誰だ……? 誰かの声が聞こえる。
 山の中だっていうのに、その声だけははっきりと聞こえる。セミ達の合唱をかき消して、俺の耳にだけは聞こえてくる。
 俺は声の聞こえる方へ歩み始める。
 フラフラと情けない歩き方だが、一歩一歩、確実に進んでいった。
 不思議と、どんなに足場が悪くても、転んだりはしなかった。声に、引き寄せられるかのよう。
 ……俺は……彼女と――出会った。

「……け……圭一……?」
「…………あれ……。君は……」
「圭一っ!!」
「うわっ!?」
 
 誰だ……?
 髪の毛が長くて……小さくて……。
 瞳を涙で湿らせながら、俺に抱きついてくる……。
 この子……誰だ……?
 ……圭一って……誰……?

「ね、ねぇ……さ。ここ、どこなんだ……? 君は……誰なんだ……?」
「……??」
「俺の事を知っているみたいだけど……」
「……………………」

 あれ。
 どうして……?
 どうして……君は涙を流しているんだ……? どうして泣き止んで……涙を流すんだよ……?
 どうして……悲しそうな顔をするんだよ……?

「……そう……。忘れてしまったのね。……何も……かもを……」
「…………?」

「…………ついて来て」

 その子は俺に手招きをして、足を歩めていく。
 何だ……ここ。
 懐かしいような……そうでも……無いような……。
 ……古手……神社……。


「どうぞ。今まで通り、ここはあなたの部屋。好きに使って」
「あ……ああ」

 そこは、神社の本堂から少し離れた所にある離れ……とでも言おうか。
 人が住めるようになっており、事実、誰かが住んでいたような痕跡がある。
 布団も用意してあり、誰かがここで生活をしていたのは間違いない。
 
「……ねぇ……さ。どうして君は、俺に優しくしてくれるんだ? こんな……」
「…………」
赤の他人の俺に……さ
「――――――っ!!」

「あ! お、おい!」

 その子は再び涙を流しながら、走っていった。
 訳が分からない。……一体……どうしたって言うんだ……?

 ……。
 俺は……記憶が無い。
 ひょっとして……あの子は何か知っているのかもしれない。……聞きに行ってみるか……!

 俺は裸足のままあの子を追いかけていった。
 ……だが、俺が部屋を飛び出した時、その子の姿はもうどこにも見えなかった。

「……どこに行ったんだ……?」
 ここには初めて来るし、一体どんな構造をしているのかさっぱりだ。
 迷子になるのがオチかとも思ったが、どうしても知りたい。
 俺が……何者なのか……。
 ……そして……何故あの子が涙を流したのか。
 …………俺の招待よりも……何故かそっちが気になる。

 俺は……聞かなきゃならない……!


 
 俺は、しばらく神社の境内を走り回った。不思議と、疲労感がまったく来ない。
 すると、ほうきを持って神社の中を掃除している人が一人居た。
 初対面だが、教えてくれるだろうか……。

「……あの、ちょっといいですか?」
「…………………………」
「……あの……」
「…………………………」

 ……?
 あれ? 聞こえなかったのか……?

「……あの!!」
「…………………………」

 ……無視してやがるのか……?
 俺の言葉に耳を傾けようという気を感じられない。
 その人はひたすらほうきで地面を掃除するばかりで、俺の存在自体が受け入れられていないような錯覚を感じた。

「……もういいよ……!! 自力で探し出してやる!!」





 畜生。何も完全シカトしなくてもいいじゃねぇか。
 相手にされなかった事に腹を立てながら、俺は先ほどの子を探す。
 懐かしい香りを俺に提供してくれるこの場所は、何故か親しみがわく。どうしてなのかは……分からない。
「――――居た!」
 見つけた……!
 俺はすかさず足を動かし、彼女のもとへ向かう。
「……圭一……」
「よ、よう。教えてほしい事があるんだけど、いいか?」
「……いいですよ」
「……まず……君は誰なのかを教えてほしい。……そして……さっきの涙の理由」
「………………。 私は……古手。さっきの涙の理由は……。……言えません」
「……どうして?」
「あなたが……気づかなければならない事だから。……私は接触できるだけ……。干渉は出来ない」
「……………………?」

 どういう意味だ……?
 接触……? 干渉……?
 …………。さっきの人……俺を無視したんじゃないとするならば……接触できていない……?
 つまり……俺は……この子としか接触できない……?

「あなたは、前原というの。それ以上は言えない」
「………………。……そうか」

 俺は……前原。
 前原ね。名前があってよかったよ。

「……まず……君は俺が何者なのかを知っているね? 俺には記憶が無い。だから……」
 
「……っ……」
「だ……だから、どうして……涙を流すんだよ……?」
「……言え……ないのです……よ。……それが……悔しい……」
「…………。はぁ……。そう……だな」

「……!? け……圭一……」

 俺は彼女……古手さんの頭に手を乗せる。
 そして……できるだけ優しく撫でてやった。

 ……どうして……なんだろうな。
 ………………懐かしい。

 この場所も。この感覚も。……この子も。
 ……全てに……懐かしさを感じる……。




「……来たようなのです」
「……え……? 何が来たって?」
「…………一つ目の……が」
「……何だって……?」
「……昭和54年……六月の……そう、明日。……幕を……開けます」
「……何が……?」
「あなたが……求める物の入り口が」
 俺が……求める物……?
 それって……俺の……記憶……!?
「それって俺の……」
「……ごめんなさいです。…これ以上は……言えないのですよ」
 ……そうか。古手さんも色々あるようだな。

 ………………。
 
 ……何だ……? さっきから……古手さんの事を『古手』と呼ぶのに……違和感を覚える……。
 ……一体何故……?

「……前原。あなたは……これからひどい思いをする事になります。……だから……気をつけて」
「…………。分かった……」

 年下と思われる古手さんに呼び捨てされるのもどうかと思ったが、それをとやかく言うのもやめよう。
 ……前原と呼ばれるのにも違和感を感じるな……。
 …………何故なんだ……?


「……ん? 何だ? 人がたくさん来て……」
 見ると、いつのまにか神社の……階段を上ったところあたりに、人がたくさん居て、何やら軽トラに荷物を積んでいる。
 ……テントか……?
 一体なんでテントなんか、神社に?

「なぁ、古手さん。あれ……一体何をしているんだ? 俺の求めるものの入り口が来た、とか言っていたけどさ」
「あれは……準備をしているのですよ。お祭りの」
「……お祭り……?」

「そう。……綿流し祭の……準備をしているのです」





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