「……く…ぁぁぁ……」
 ……朝……。…まだ、日も昇っていない。
 …だが、うっすらとではるが、明るくなっている。大体、四時くらいだろうか。

 大あくびをしながら目を覚ました俺は、あたりがひぐらしの鳴き声で満たされているのに多少驚きながらも、昨日の事を考えて何故か湧き上がってきた違和感に不審を覚えた。
 昨日、俺は悟史に沙都子の事を託した。悟史しか、沙都子を守ってやれる奴は居ないから。
 …………だが、何故か……嫌な予感がする。
 理屈なんてものは関係ない、この……どうしようもなく嫌な予感だけがする感じ……どう説明すればいいのだろう……。
 …何か、よくない事が起きるのではないか。……そう思えて、しょうがなかった。

 …少し考え事をしていると、今が4時だというのを忘れてしまっていた。
「……さむ……」
 まだ明るいとは言いがたいくらいの朝、夏だとはいえ……そんな早朝に半そで半ズボンはやはり、少し寒い。
 ただ、辺りを見渡しても何も見えないというわけではなく、目も慣れてきたせいか、少し散歩をしてみようかと思った。

 ここでまた眠ってもよかったが、風邪を引くのは嫌なので体を動かした方がよかろうとの、俺なりの見解だ。
 それに、まだよく知らない雛見沢の地形を理解しておこうと思った事もあった。



 歩を刻みはじめると、今まで漂っていただけの空気の中を進むので、さらに寒さは上乗せされる。
 だが、これも慣れるまでの辛抱だ。日が昇って暖かくなるのを待つよりは、体を動かして暖を取る方がよっぽどいい。
 今は夏なんだから、太陽さえ昇ればすぐに暑くなる。だが、それまでは少し寒い時間が続いている。

 まだ日の昇りきっていない、太陽におはようと言うような時間はとても静かで、空気も澄んでいる。
 ひぐらしが鳴いているのは分かっているが、ぼーっとしている俺の聴覚は、右耳から入ってきた音を左耳から逃がしていたためあまり気にならなかった。

 一歩一歩足を前に運ぶ作業をし始めてからしばらくし、そろそろ日の出を迎える空は、とても澄んでいた。
 雲ひとつ無い、快晴だ。
 ひぐらしが鳴く以外に音のしない空間に、澄んだ青空と空気。
 世界には俺一人しかいないのではないかという錯覚にも陥ったが、ここは雛見沢と言う村であり、住民が住んでいる。
 俺の阿呆な妄想はすぐに打ち消され、現実に引き戻された俺は、そんなに俺の頭は今まで機能していなかったのかと嘆いた。
 だが、嘆くよりもこの自然を満喫する方がよっぽどいいとすぐに悟り、今は適度なスピードで前に進む事と自然を目にとめる事に専念している。
 
「…………? …あれは…………」
 それからまたしばらく歩くと、見慣れたと感じてしまう建物が目に入った。
 初めて見るはずのその建物は、とても懐かしい気分を俺に味あわせてくれた。

 そして、ふと思った。

 俺は……ここに来た事があるんじゃないか……って。

 毎日、ここに…通った。
 ……そうだ。ここ……学校じゃないのか?

 ……直感なわけだが、俺には……ここが学校であると、何故か…そう思えて仕方が無かった。
 外見から言えば、ここは学校にはとても見えない。
 …だが、ここはひどく懐かしい。何度見ても、そう思う。
 何でもないところに、ここまで懐かしさを感じるのも……変だ。
 ……だから……学校だと思ったのだが……。

「……太陽は今……あの辺か。……なら…5:00〜5;30ってところか……。…あと2時間くらいだな」
 太陽の昇り具合から、今が大体何時なのかをはじき出し、俺はここの生徒が登校してくるであろう、2時間後にまたここに来てみようと思った。
 学校なら……必ず来るはず。
 …2時間後になれば分かることだ。今何をしてもしょうがない。……なら、今は散歩を優先しよう。
 俺は止めた足を再び動かし、散歩を再開した。







 しばらく歩いていくと、若い男女が二人居た。
 こんな朝早くからデートか? ……まぁ、何かあるのだろう。
 あまり気にせず、通り過ぎようとすると……。

「…おや? 圭一君じゃないか」

 声をかけられた。
 ……どうなってやがる。俺の姿は見えないんじゃなかったのか。
 今の俺は興奮状態ではないから眼は変化していないはずだ。……そもそも、北条家の人全員が俺の姿を確認できたのも変だ。

 …………って事は……?
「………………」
 …あくまで仮説だが、俺の姿が見える人は……その年で俺を見ていないと困る……って事か?
 俺の姿は誰にでも見れるというわけではない。それは去年で確認済みだ。
 それなのに……今まで俺の姿が見える人が多数居るという事は……その人達は俺を見ないと困るから……。

 ……そう、これから俺が行くであろう昭和56年、57年などの、未来の時間で困るから、現在……つまり、昭和55年の今、この人達にも見えているのではないだろうか……。


「……………………」
「どうしたんだい? 圭一君」
 考え事をしていると、何も話さない俺に対して、先ほどの男女の男性の方がさらに話しかけてきた。
 どうしたんだ、といわれても、俺の考えを素直に話しても頭を疑われるだけだし、そもそも俺はこの人を知らない。……というより、覚えていない。
 とりあえず名前を聞くか。知っている人に名前を聞かれるってのも変な話かもしれないが。
「…あ、いえ。……えっと……あなたは……?」
「はは、なんだ、忘れてしまったのかい? 富竹だよ、富竹ジロウ。一昨年会ったじゃないか」
「…そうなんですか……?」
「……本当に忘れちゃったのかい……?」
 がっかりしたような、驚きを隠せない表情を、富竹さんはしていた。
 すると、もう一人の……女性の方が今度は話しかけてきた。
「……圭一君。私は鷹野三四というのだけど、覚えているかしら?」
 もちろん、覚えていない。
「……すみません。覚えていないです。……俺の事を知ってるみたいですけど、お二人の事を詳しく聞いてもいいですか?」

「私は構わないけど……どう? ジロウさん」
「僕はもちろんいいさ。……そうそう、圭一君。僕と君が初めて会ったのは一昨年の六月。その時、僕は君に名前を見事に当てたんだよ。だから僕も君の事は強烈に印象に残っていたんだけど……」
「私も同じく、あなたに名前を当てられたわ。初対面のはずなのにね」

 …………なるほど……。
 確かに、初対面のはずなのに……ね。
 
 この二人の証言、そして他の人の反応・話を合わせると……やはり俺が昭和53年にここに居て、当時あったと思われるダム抗争を勝利へ導いたってのも……本当らしいな。
 
 俺は二年前にこの二人と会い、そして名前を当てた。
 …ならば、何故俺が知っていたのか……だが。

「……あら、そういえば……圭一君。あなた、二年前とあまり変わってないように見えるけど」
「…そういえばそうだね。もう16くらいだろ?」
「…あ、いえ。ちょっとわけがありまして……」
「……そう……」

 ……俺の姿が変わっていない……。
 俺は去年……つまり昭和54年から55年に時間を跳躍してきている。
 そして、53年で初めて俺に会った二人は、何故か初対面であるはずの俺に名前を当てられた……。
 ……そして、その時の俺と今の俺の姿は一致する。

 ……これだけ材料があれば……俺に何があったのか、簡単に推理できる。
 
 俺は一度、未来の……昭和何年かは分からないが、とにかく、先の年から過去へ時間跳躍をし、雛見沢がダムに沈められるのを防ぎ、その後、昭和54年へと記憶を消されて再び跳躍した事になる。
 それならば、その後再び時間跳躍をした俺が昭和53年の姿と変わらずに55年の今、ここに居る事の説明ができる。
 そして、過去…俺がこの二人の名前を当てる事が出来たのは、おそらく…俺が昭和53年に来る前にの未来で既に富竹さんと鷹野さんに会っていたと考えられる。
 未来のいつかで俺は二人に会い、過去に来た後、何も知らない過去の富竹さんと鷹野さんの名前を当てたんだ。
 これでつじつまは合う。

 ならば問題は……何故俺が様々な時間を跳躍しているか……だ。
 そもそも未来から過去へ時間跳躍した理由が今の俺には分からない。……というより、思い出せない。
 ……未来から……過去へ……。これに関しては、今の俺に分かる事はない。

 ……だが、過去から未来へ……。こっちは……分かる。
 今俺が昭和54年、55年と一年ずつ進んで時間跳躍をしているのは、過去に来てしまった俺が本来あるべき時間に戻るためのものだと考えられる。
 
 ……さらに、これは二人の話を聞いての新しい仮説だが……、俺の姿が見えるのは俺の記憶と関係する人物だ。
 俺が過去――54年、53年、そして過去に時間跳躍する前の俺――出会った人物、もしくは俺の記憶に関して、見えていなければならない人。
 今までの事、そして二人の話を聴いて振り返ると、俺を見る事の出来る人はこのいずれかに当てはまる人に限定される事になる。
 ……そして、もう一つ。……眼の変化。
 こいつが変化している間は、誰かれ構わず俺を見る事が出来る。

「……なるほどな……」

 考えた事を頭の中で整理する。忘れてしまわないように、大切に脳内で扱う。
 ……すると、一つの疑問が浮かんできた。

「………………」
 ためしに、俺は近くにあった木によりかかった。
 普段ならすり抜ける。……だが、…今はすり抜けなかった。
 何故、普段はすり抜けるのに、今はすり抜けなかったのか……。

 ……簡単だ。今、目の前に俺を見る事が出来る人が居るからだ。
 その人から見れば、俺は普通の人間。ならば、俺が物体をすり抜けているところをその人に見られては困るのだろう。…何故って、通常じゃそんな事はありえないのだからな。
 そうなると古手さんは例外にあたるが、彼女は今の俺の事情を全て知っている人物だ。
 だから、彼女はカウントされないのかもしれない。

 ……とにかく……うまく、俺が元居た時代まで帰れるように調整されているみたいだな。


「圭一君。ちょっといいかしら?」
 ようやく考えがまとまり、脳内の引き出しに収納が完了したその時、鷹野さんが俺に問いかけた。
「別に……いいですけど」
「おや? 何の話だい?」
 富竹さんが口を挟むが、
「ジロウさんは聞いちゃ駄目」
 鷹野さんがあっさり聞く事を否定した。
「圭一君、ちょっとついてきてくれる?」
「……はい」

 手招きをされた俺は、後ろについて歩いていく。
 
 富竹さんから少し離れ、何かを話しても聞き取れないほどに距離をとった時、鷹野さんは振り向いた。

「……!!?」
 驚いた。……振り向いた鷹野さんの表情を見て……。
 ……恐ろしかった。…怖い…。…足がすくむ。

「ねぇ……圭一君」
「な……なんですか……?」
「昨日の夕方だったかしら」
「――――!!」
「随分と山奥で……」

 ビクッと体が反応する。
 俺が……一番恐れている言葉を……こいつは、…この女は……言おうとしている……!!!
 
 …逃…げろ……。逃げてしまえ……。
 ……そうだ、今なら間に合う。早く、早く逃げろ……!! 早くにげ
「何をしていたの?」
「――――――――!!!!」
「…アラ…。…………残念」


 逃げた。
 その、決定的な一言が奴の口から出た瞬間、足が動いた。
 
 『逃げる』という行為がこれほど正しいと思った事はなかった。
















「……ハァ、ハァ、……ッハァ!!」
 くそ……!! 
「…知っていた…。鷹野さんは……知っていた……!!!」
 お……落ち着け…落ち着け!!!
 そうだ。鷹野さんは確かに知っていた!!
 だが…昨日のことだ。まだ……知っている人は少ないはずだ!!

 なら……最大の証拠である死体を埋めた場所を変えてやる!!!
 そうだ!! 証拠さえ出なければ……!!
 ショウコサエ……デナケレバ……!!!!

 頭の中ではじき出した、俺がこれからすぐにすべき事。
 その必要性を理解し、まず古手神社へと歩みを進めた。
 俺はあの場所を知らないし、シャベルも無い。……古手さんに協力してもらうしかない……!!
 古手神社までの道のりは、今居る場所からのルートも把握してある。
 俺は自分の記憶を信じて……進んだ。








「……ハァ……ハァ……よ、よし……!」

 何とか……たどり着いた……!
 あとは……!!

「古手さん! 古手さーん!!!」
 どこだ……!? どこに居るんだ……!!
「……圭一……?」
 ……!? 古手さんか……?
「どう……したのですか?」
「……羽入……」

「あぅあぅ、どうしたのですか? すごい剣幕なのですよ…」
「いや、色々あってな。それより、古手さんはどこだ!?」
「梨花ですか? …そういえば…居ないですね…」

 居ない……?
 まだ朝早いんだぞ? そんな時間にどこかに行く予定でもあるってのか……?
 ……いや、そんな事より……。

「羽入、俺が……怖くないのか?」
「……? どうしてですか?」
「だって、去年俺を避けるように……」
「……? 僕が……圭一を? …あぅあぅ、去年、圭一と……会いましたか……?」
「……え……?」
「昭和54年……。僕は…圭一とは会っていませんですよ?」
「な……何言ってるんだよ!? だって……」
「………………?」

 羽入は首をかしげ、腕を組む。
 どう見ても……羽入は去年俺に会っているというようには……見えない。

「……本当に……会ってないと思ってるのか?」
「……ないのです」

 ……な……?
 う…嘘をつくな!! 去年の話だ、俺の記憶は確かにある!!
 その中で……羽入!! 確かにお前は……俺を避けていたじゃないか……!!
 あれは羽入だ。間違いない!!
 ……なら……何故その羽入に記憶がない!?
 意味が分からない……!!

「圭一。……顔色が悪いのですよ」
「…何でもねぇよ…」
「あぅあぅ」

 ……くそ……!
 とにかく…古手さんは今、居ない。
 一人でやるしかないな……!!

「羽入、シャベル借りてくぞ」
「……圭一……」
 俺は昨日シャベルを取り出した倉庫へ向かい、ドアを開けた。
 ……すると……。
「……ん? シャベルが一本無いな……」

 古手さんと、俺。
 二人に一つずつあったはずのシャベルは、何故か一つしかなかった。

 ……そういえば、昨日は荷物を全て古手さんに持ち帰らせてしまったな……。
 別行動、と言われたが、荷物くらいは運んであげればよかった。
 …まぁ、今更後悔したところで何もならない事なんて分かってる。
 俺は残っていたシャベルを手にし、昨日通った道を思い出しながら、山奥へと進んでいった。








「……確か、この辺のはずだ……」
 山奥だったが、あの時の記憶は忘れようが無い。
 昨日通った道を再び歩き、……あの時……死体を埋めた場所にたどり着いた。

 俺は早速、埋めた場所を掘り返した。
 ……ここで間違いない。一度掘っているため、土が軟らかく、掘り返しやすかったからだ。
 さっさと移動させちまおうと、俺は休む事なく手を動かした。


 掘る。掘る。掘る。掘る。掘る。

 …掘る。……掘る。


 ザクザクと音がし、その度にシャベルに土をすくいとって、一箇所に集めるようにどけていく。
 しだいに土は、山なりになる。

 ……それでも俺は、掘るのをやめない。


「……………………」


 声が出なかった。
 俺はまだ、地面を掘っている。…一体、どれくらい掘ったのだろうか。
 ……なぁ、誰か教えてくれよ。











 シタイハ……ドコニイッタンダ!!!??




















 すでに日は完全に姿を見せ、辺りを照らしている。
 あれほど五月蝿かったひぐらしの鳴き声は、もう聞こえなくなっていた。






        戻る