「では前原さん。私はこれで失礼します。資料を洗いなおしながら、手がかりを見つけていきます」
「……わかりました。では、俺は村に残って情報収集に努めます。何か分かったらポケベルで連絡しますね」
「役割はこれでOKですねぇ。やる気が出てきましたよ」

 ……よし。
 沙都子の身柄はとりあえず大丈夫だ。
 さらに、大石さんとの同盟関係も再確認できた。
 ……流れは……俺に傾いている。
 せっかく与えられたチャンスだ。……生かさない手はない。
 …………情報収集……。……言ってみたはいいけど…………俺に……一体何ができるのだろう……?

「……では、お互い頑張りましょう。………………あ、そうそう。もう一度言っておきましょう。……園崎家には気をつけてくださいねぇ?」
「………………園崎……家……」

 ……去年も言っていたな。……園崎家。一体、何だっていうんだ……?

「彼らは十分警戒するに値します。情報網は半端ありませんからね……。……今、この瞬間だって、園崎家には筒抜けなのかもしれませんからねぇ……」
「……そ……そんなにヤバイんですか?」
「えぇもうヤバイんです。あなたの身に、何か起こるかもしれませんが……その時はポケベルでご連絡ください。すぐに駆けつけますよ」
「………………」

 ……園崎家……か……。
 ……警戒した方がいいのだろうけど……何せ俺は、その「園崎家」ってのがどんなのかまったく知らない。
 警戒しろ、と言われても、対象が分からないのだからちょっと無理がある。
 そう思いつつ、俺は返事を返す。
「……最新の注意を払います。とりあえず、戦闘になっても俺は負けないと思いますから……大石さんもお仕事よろしくお願いします」
 俺には眼がある。
 たとえ何人で襲ってこられようと、これさえあれば……まぁ何とかなるだろう。
 運動能力の向上は、俺にとっちゃうれしい限りなのだからな。
「……ほぅ、戦闘になっても負けない……。確かに昭和53年の時はあなたに助けられましたが、その自信は一体どこから?」
 ……しまった。
 人は……好奇心を一度でも持つと……とことんまで追及したくなる……。俺だってそうだ。
 ましてや……その相手が大石さんともなると……誤魔化しがきかねぇな……。
「……教えなきゃ駄目ですか?」
「隠し事は無しですよぅ? 我々は仲間なんですから」
「……それもそうですね……」
 その後、俺はこの「眼」について、大石さんに簡単に説明した。
 眼の変化は自由な事。変化時の運動能力、視力、洞察力の向上等……。
 大石さんは小さい子どもじゃない。アレコレ言うよりも、要点のみを並べた方が理解してくれるだろう。

「……なるほど……。あの時はその力を使って、私と赤坂さんを助けてくれたわけですね」
「そうです。……基本的に相手の動きが先読みできるほどに洞察力が上がります。そのおかげで、打撃攻撃はほとんど当たりませんし、動体視力も向上するので銃弾でも対応できます」
「…………便利な物を持っていますねぇ。私にも分けてくれませんか。……んっふっふっふ!」
 笑いながら大石さんは言った。
 ……まぁ、あながち冗談でもないのだろう。こんな能力、もしくれるというのなら誰だって飛びつくだろうからな。
 俺自身も何でこいつが宿っちまったのか、把握してないのが少し滑稽だが。……それも記憶が戻れば分かるかな。
 ……ま、何にしても俺に戦いを挑んで勝てるやつなんてそうそう居ない、って事だ。
「前原さん」
 俺が少し自慢げな顔をしていると、大石さんが声のトーンを低くしながら名前を呼んだ。
 ……さきほどまで笑っていた声とのギャップに……少し、驚く。
「……何でしょうか……」
「同盟は破棄しましょう」
「…………え?」
 大石さんは……何を言っているんだ?
「ですから、同盟は破棄しましょう」
「……何故ですか」
「…………教えなければ分かりませんか?」
「――――な!!!」
「……失望しました。また会うときもあるでしょう。…………ですが、捜査の邪魔だけはしないでくださいねぇ?」
「ちょ……ちょっと待てよ!! 一体どういう……!!」

 俺は制止の言葉を向けたが、大石さんは振り返らずにそのまま行ってしまった。


 ………………は……?
 意味が分からない。
 ……今さっき同盟を組んだばかりじゃねぇか。……それを……破棄するだと?
 大石さんは何を考えているんだよ。
 ……俺を信頼したから同盟を結んだんだろ!? 確かに、大石さんとこれ以上ケンカ腰な姿勢で接したくなかった、ってのもある!! だが!! 俺だって大石さんの事は信頼している!! ……だから同盟に応じたんだ!!
 ……それを……理由も話さずに破棄するだと……?
 ふざけるな……!!!

 失望したのはこっちだよ!!!!

 あれやこれやと、俺は大石さんへの罵倒文句を心の中に並べた。
 次から次へと出てくるんだから不思議なもんだ。
 ……だが、あれだけ嫌味に思っていながらも……涙が出てくる。

 …………裏切り。

 ……この単語が、俺の中を染めていく……。

 遠くで、ブゥゥウン……と音がした。
 ……大石さんが、車のエンジンを入れたのだ。
 …………そして……車は走っていった……。

 ……俺は、何がなんだかわからないまま、古手神社に取り残されてしまった。





 ……夜が来た。
 あたりは夕闇が支配し、ずっと鳴いていたひぐらしも合唱をやめて、静まり返っている。
 結局今日は何もしなかった。…………いや、できなかった。
 俺は日が沈むまで、古手神社の境内でブツブツと独り言をつぶやき続けていたのだ。
 
 ……大石さんのせいだ。……大石さんが……あんな事言うから。
 綿流しまで、あと二日しかないのに……。……貴重な時間を、無駄にしてしまった。
 
 ……クソ、クソ、クソ……!!

 近くにあった木を、握りこぶしを作ってバシバシと叩く。
 ……何度も叩いた。
 この、行き場のない気持ちを……どこかへぶつけたかったのかもしれない。
 でも、木を叩けば叩くほど。……俺の手は、悲鳴をあげていく。
 じんわりと痛み出した両手は、叩いた部分を赤く染め、皮はゴツゴツした幹によって少しめくれてしまっていた。

 ……痛かった。


 ふと、空を見上げた。
 綺麗な月と、綺麗な星。透き通った空は、こんなにも美しかったのか……。

 ……知らなかったよ。
 
 こんな空の下で、散歩でもしてみたら。俺の中にある……このモヤモヤも、俺の上空のように……晴れ晴れとして、綺麗な月を覗かせるだろうか。
 ……うん、そうだ。きっと……覗かせてくれる。
 俺は勝手にそういう事にし、古手神社の階段を下りていった。

 街頭がチカチカと暗い道を照らして、より人気のなさを際立たせた。
 ……人の居ない雛見沢って、こんなにも寂しいものなのか。……こんなにも静かな……雛見沢は見たことがない。
 雛見沢に居て、寂しいなんて……感じた事はない。
 記憶を無くして……ここに倒れていて。
 その後、古手さんと出会って(・・・・)……悟史と出会って……。……沙都子と再会して(・・・・)……。
 夜の寂しさなんて……忘れてしまっていたのかもしれない。


 …………古手さん……。
 彼女は、俺の置かれた状況を説明して……手助けをしてくれた。
 俺が次にどうすればいいかを的確に指示してくれる。
 俺の…………………………。

 …………。

 …………古手さんは……俺の、何だ?
 何故彼女は俺の置かれた状況を知っていた?
 何故彼女は俺にあんな指示をしてくれた?
 何故彼女は……俺に……優しく接してくれたのだろう……?

 ……何も知らない、ハタ目から見れば、優しいなんて見えないと思う。
 …………でも……俺には分かるんだ。
 何故か、彼女は……今まで俺をサポートしてくれていた。……その中で……俺は、彼女の「優しさ」を無意識に……感じていたんだ……。

 …………何故だ…………?
 何故彼女は俺に優しくしてくれるんだ?
 ……分からない。
 ……何故……俺は彼女からの「優しさ」を……感じ取る事ができたんだ……?

 ………………結局、分からなかった。



 ……そろそろ、夜も冷えてきた。
 今は夏だが、去年同様……晴れた夜は少し寒い。
 そろそろ散歩も潮時か。
 ……結局、モヤモヤは晴れる事なく、俺は野宿する時にいつも使っていた木を目指して歩く事にした。

 ……歩きながら、考える。
 ……一人で居る事は、こんなにも寂しかったのか。
 今までは古手さんが居た。……だからこそ、俺は今後の展開に対して安心して挑む事ができたのだ。
 だが、今回は居ない。
 ……たった、それだけなのだけど。……不安が無いと言えば、嘘になる。
 俺は……古手さんに……頼っていたのかもしれない……。

 ……月明かりに照らされた夜道は、どこか物悲しかった。
 夜の虫達の鳴き声が、心にしみた。


「……よいしょ……っと……。……ふぅ……」
 しばらく歩いた後、俺は野宿時に根城にしている木の上へと登った。
 結局……今日はわけが分からないまま終わる。
 とんでもなく無駄な一日だ。…………そう、思いながら、まぶたを閉じる。
 ……すると……。

「……ハァ、ハァ……、ハァ……!」

 息を荒げながら、誰かが俺の真下に走りながら来ていた。
 ……目を閉じるまでは気づかなかったな。

 一体誰だと下を覗き込もうとして、足を枝に引っ掛け、ぐりんと体を下に垂らした。

「……ぉうぁ!!?」

 俺が逆さになって顔を下へ向けると、そいつは驚いた様子でしりもちをついた。
 ……うん、まぁ確かに突然人の顔が現れたら驚くな。
 俺が言えた事ではないが、心中察するぞ。

 ……ていうか、俺の事が見えるのか。
 つまり……今年の俺にとって、こいつは必要不可欠な人物って事になるが……。

「だ……誰!?」
 俺がいろいろと脳内で考えを膨らませていると、弱弱しい声が聞こえてきた。
「前原圭一。君は誰だ?」
 誰と聞かれたら答えるのが世の情けってもんだ。
 暗くて相手の顔がよく見えなかったので、ついでに名前も尋ねた。 
 
「……へ……? ……圭ちゃん……?」
 その声は……俺の名前を愛称を使って呼んだ。
 ……圭ちゃんだって?
 …………どこかで……聞いた気がする……。
 ……すると……雲に月が隠れていたのか、だんだんとあたりを明るくしていき……そいつの顔を俺の脳が認識できるまでに照らしてくれた。
「……お前は…………魅音……」
 ……「魅音」。……そんな名前、今まで脳内どこを探してもなかったはずだ。 
 …………そうか、お前も……俺の記憶の一欠けらって事なんだな……。

「……あ、はは……っ、圭ちゃんだー!! 久しぶりだね〜!」
「魅音じゃねぇか! 久しぶりだなぁ」

 ……本当に久しぶりだ。
 この、記憶を掘り起こされるような妙な感覚は、最初こそ多発していたが、今じゃめったに味わえなくなっていた。
 昭和53年の夏。……確か……妹の詩音と一緒に俺の前に現れたんだったっけ。
 それ以来、会ってなかった気がする。

「圭ちゃん元気してた? 毎年失踪しちゃうから、鬼隠しに毎年遭ってるんじゃないかって思っちゃったよ。……まぁ、無事ならいいんだけどね」
「おいおい、筒抜けだなぁ。俺が迷子でそこら辺彷徨ってたなんて言いふらすなよ?」
「……お、それは初耳だねぇ! 圭ちゃん、迷子になってんだぁ〜☆ そっかそっか〜!」
 うげ、しまった……。
 園崎家の情報網を過大評価していたか!?

「……えへへ。ほんっと、久しぶり! 去年と一昨年、顔見せてくれたらよかったのに」
 ……と、次にどんな嫌味がとんでくるかと思っていると、魅音は笑みを浮かべて、言葉を並べた。
 予想外な単語が並び、一瞬ぽけーっとしたが、これではまたおちょくられると思い、返事をする。
「すまねぇな。俺にもいろいろあってさ」
 一昨年と去年。……とてもじゃないが魅音に会いにいける状態じゃなかったな。
 そもそも、「魅音」っていう個人の名前すら俺の記憶からは消去されちまってたわけだし……。

 ………………ん…………?
 ……まてよ……。魅音は園崎家の次期当主……だったよな……。
 魅音に聞いてみれば……何か分かるかも……?
「……なぁ、魅音。オヤシロ様の祟り……知ってるか?」
「…………知ってるよ。村人が噂してるあれでしょ?」
「ああ。……単刀直入に言おう。……それを起こしているのは……園崎家の人たちなのか……?」
 冷や汗が、たらりと流れる。
 魅音は黙りこくって、あたりはふたたび静かになる……。
 その後、魅音は考えるような動作をして……ようやく口を開いた。
「……圭ちゃんには教えておいてあげるよ。オヤシロ様の祟りに関して、園崎家は何も関与していない」
「……『圭ちゃんには教えておいてあげるよ』ってのはどういう意味だ?」
「あれ? 私達が引き起こしてると思ったから聞いたんだよね? ……うーん、まぁ……園崎家が、いかにも自分達がやったって、そう思わせるようなそぶりをしているんだよ。……だから、周りはそう思ってるみたいだね」
「……でも、そのイメージは園崎家にとってマイナスにはならないのか?」
「うちは「ブラフにハッタリ上等!」の家系だからねー……。自分達がやったように見せかけて、園崎家の凄みっていうか、そういうのをアピールしてるんだよ」
「……へぇ……」
 つまり、大石さんはその策略に見事引っかかっている、って事か。
 ……伝えてやるべきか……。……でも、伝えたらダム現場の殺人事件について隠し通せるほど俺はポーカーフェイスじゃねぇし、色々と面倒な事になりそうだ。
 ……しばらくはそのまま園崎家の掌の上で踊っていてもらおう。……ごめんなさい、大石さん。「その時」が来たら絶対に伝えますからね……。

「そういや、圭ちゃんは何でこんなところに? 梨花ちゃん家に泊めてもらってるんじゃないの?」
「……あー、実は、これまた色々あってな……。今日は野宿なんだよ」
「へー、圭ちゃん……梨花ちゃんと夫婦喧嘩でもしっちゃったんだねぇ〜!」
「ば……馬鹿言うな!!! 誰がそんな……」

 ……そんな事をするか。
 きっぱり言えばいいのに、何故か出ない。

「ん〜? 図星かなぁ〜?」
「……く……。……そ、そうだ!! 魅音!! お前こそ、何でこんなところに居るんだよ!!!」
「え? ……………………」

「魅音さん〜!! どこですかーー!!!」

 遠くから、声がした。
 魅音がポン、と手を叩く。

「実は――」
「もういい、分かった」

 俺は言いかけた魅音を制止させた。
 わざわざ言ってくれんでも理解できる。

 ……簡単な話、魅音は追っかけられているわけだ。

「何でお前追いかけられてんだよ」
「えへへ〜。婆っちゃが修行だーってあれやこれややらすから……。私もストレスとか溜まっちゃって、……色々あってね? ……婆っちゃの大切にしてた壷、割っちゃった☆」
「………………」
 言葉が出なかった。
 腹いせなんだかついなんだかは知らんが、そりゃ怒られるわな……。
 ……今、逃げてんのか……。
「そゆこと〜」
「……俺は勘弁な。巻き込まれるのはごめんだ」
「え〜! そんな事言わないでよー!!」
「だってお前……、魅音を探してるのって……園崎家の人=ヤクザの人だろ? 誰だって俺と同じ判断するって……」
「圭ちゃんのケチー! ふん、いいさいいさ。おじさんはこの思春期の貴重な時間を削りながら婆っちゃにしごかれますよーだ!」
「………………」

 ……めんどくさい事になりそうな予感がした。

「あー!! 見つけましたよー!!!」
「やばっ、見つかっちゃった! 圭ちゃん、あとよろしく〜!」
「何っ!?」
「何だ貴様は!! そこをどけぇえええ!!!」
「うわ、おい待て!! どくから、懐に手を入れて何かを出そうとするなぁぁぁあぁぁあ!!!」
「圭ちゃん、頑張って追い払って〜〜!!!」
「コラ待てーー!! 逃げるなぁぁぁああ!!!」
「うぉぉおおぉお!!!」
「あぁもう!!!」

 もう、何が何だかだ。
 とりあえず俺につっこんでくるこいつを何とかしないと、命の危険がある。
 俺は眼を変えて、一瞬でケリをつけた。
「……か……!?」
「悪ぃな……。俺、まだ死にたくないから……」
 とりあえず、みぞおちに一撃加えてみた。
 腕力もアップしているはずなので、かなり手加減をして。
 ……それでも、効果抜群だったみたいだけど。
 哀れ、色々勘違いして俺に襲い掛かってきたそいつは、一発殴られてKOされるのであった。

「わー……。圭ちゃんすごーい」
 振り向くと、魅音が戻ってきていた。
「逃げたんじゃないのかよ」
「おじさんはエールを送ってたよぅ? 頑張って追い払って〜って言ったじゃん」
「…………」
 言いつつ俺とは反対側へ走っていたのはどこのどいつだ。
 ……まったく……。
「ねぇ圭ちゃん。こうして一人のしちゃったわけだしさ、おじさんと一緒に夜の街へ行ってみない?」
「……はぁ? 今からかよ」
「うん。最近街まで行ってないんだよねぇ。まだ開いてるお店もあるだろうし! ……ねっ!」
 ねっ! と言われつつ満面の笑みを浮かべられては断るに断れない。
 ……まぁ、俺も嫌だというわけではなかったし。……ちょうど、モヤモヤを消すのにいいか。
 そう思いつつ、承諾した。
「わかったよ」
「いぇ〜い! 圭ちゃんと夜間デートだー!」
「デートってお前……」

 ……そういう事になるのだろうか。
 魅音って今何歳だっけ。……デートの意味くらい知っとるだろうが。
「男女が二人で街まで行きゃデートだって! ね、早く行こうよ!」
「はい、はい。……そうだな……」
「……へっ……きゃん!」
 俺は魅音の足と腰を持って、抱きかかえるようにした。
 その後、眼を変える。
「しっかりつかまってろよ」
「……え」
 足に思いっきり力をためて……一気に跳ぶ……っ!!!

「ひゃっほ〜〜い!!!」
「う……うわぁぁ!! すごいすごい!!」

 予想してたよりもだいぶ高くまで俺達は宙を仰いだ。
 しばらくしたら、当然重力によって俺達の体は地上へと戻る。……うん、着地時の衝撃も、この状態なら大丈夫だ。
 ……試しにやってみたが、問題なさそうだな。
 さっきは上に向かって足にためた力を一気に放出したが、こんどは後方に向かって放出すれば……!
「一気に……前進できるぜ!」
 土でできた地面を少し沈下させながら、俺は跳ねるように右、左、右、と、交互にこれを繰り返した。
 一度スピードがつくと、早い早い。
 一体時速何キロくらいでているのだろう? 風がひんやりとするけど、なかなか楽しいぜ!

「う……うわぁ〜! 圭ちゃん、こんな事できたんだー!!」
「すぐに街までつれてってやるよ! そら……よっ!!」
 自分でも驚くほどに、速い。
 今は夜だし、車もまったくないと言ってもいいほどだ。
 俺はどんどんスピードを出して、興宮を目指した。

 
「お〜し、到着だぜ!」
 爽快感に満ちていた俺は、声を透き通った夜に向かって放った。
「ふわ〜! 楽しかったぁ〜!!」
 魅音も楽しんでくれたようだな。
 ちょっぴり寒かったけど、そんな事忘れちまうくらいに面白かった。

 興宮には、あっという間についた。
 道が下りだった事もあったのだろう。……尤も、上り坂でもたいした違いはないだろうがな。
 俺は眼の状態を元に戻しつつ、魅音に尋ねる。
「さて……どこに行くよ、魅音」
「ん〜……そうだね」
 魅音は俺の問いかけに腕を組む。  
 街まで来たはいいけど、何もせずに帰るのはもったいないからな。
 もともと、ここへは遊びに来たんだし。

「夜も長いし、色々見てまわろうよ! そうだね……。あそこのホビーショップなんていいんじゃない!?」
「OK! 行ってみようぜ!」
 ホビーショップか。……今まで、入った事ないな。
 どんな店なんだろ?
「わ〜っ! おじさん、久しぶり〜!! しばらく来ないうちに新しいゲームがいっぱい入ってる〜!」
「おや、こんばんは魅音ちゃん。今日は一人かい?」
「ううん。圭ちゃんと一緒だよ!」
 …………あ、マズイ……!!
 俺、普通の人には見えないんだ……っ!!!
「圭ちゃん? あぁ、あの圭一君か。……姿が見えないようだけど……」
「俺はここに居ますっ!」
「おや、すまない。……気づかなかった……
 おいおい、俺を存在感の薄いキャラにするような発言は控えてくれ。
 ……まぁ……事実……なんだよな……。……声に出して反論できないのが少し悔しい。
 まぁ、気づけないのも無理はない。俺は今まで、見えない人にとっては存在しない者だったわけだからな。
 魅音は俺の存在を認知できる。それは、彼女が俺の記憶を掘り起こすきっかけとなった、この年のキーパーソンだからだ。
 だが、このホビーショップの店長さんは俺と何の接点もない。……故に、見えない。
 俺はここには来た事がない。……店長さんは俺の事が見えなかった事、そしてこのお店に入った記憶を取り戻さない事もその証拠といえるだろう。
 そこで、俺はとっさにその辺りに並んでいた商品を手に取ったのだ。
 その時点で、俺の存在は誰からでも「認知できるようになる」からな。
 具体的に言えば、俺の姿が見えないと、品物が宙に浮いているように見えてしまう。(・・・・・・・・・・・・・・・・)
 それは物理的にありえない事なので、世界はそんな時だけ俺の存在がそこにある事を許した。
 ……それだけの事だ。
「う〜ん。悩むなぁー。手持ちも少ないしなー」
「……言っておくが、俺は金を持ってないぞ」
「ちぇー」
 悪いが、俺は公衆電話をかける金すら持ってない。
 食ったりする必要がないため、食べ物には困らないんだよな。……まぁ、食えるにこした事はないんだけど。味もなんとか感じ取れるようだし。
「んじゃ、おじさん。これ頂戴!」
「はいよ」
 色々悩んだ挙句、魅音は何を買うか決めたようだ。
 レジに商品を持っていく。
「圭一君は金欠だったかな?」
「あ、はは……」
 ……まずいな。
 金欠の野郎が何商品持ってやがる、と目が語っている。
 これを置かないと面倒な事になる。でも、置くと店長さんから見ると俺は突然消える。
 ……どっちにしても面倒だ。
「九百八十円ね」
 ……と、考えているうちに店長さんの視線が俺から離れた。……今だ!
「はい、千円でいいよね」
「勿論だ。二十円のおつりだね。ありがとうございました」
 ……と、そんなやりとりが行われている隙に、俺は店の外へと移動していた。……当然、商品は置いてきている。
「圭ちゃんおまたせ……って何で外に居るの? 店内の方があったかかったでしょうに」
「いいのいいの。金欠の俺が店内にいたってお払い箱だ」
「それもそうだね。……じゃ、次行こうか」
「おいおい、俺は金持ってないんだぜ?」
「構わないよ。ここいらは園崎家のお店多いし、何かとサービスしてくれるから。お金は、まぁ少しは持ってるからね」
「……すまねぇな……。バイトでも何でもして必ず返すからな」
「ま、その話は後日ね。今は思いっきり楽しもうじゃない!」
「そうさせてもらうとするか……」
 ……女の子に金の心配させるようじゃ……俺も男失格かなぁ……。
 ……金を稼ぐ、という概念が今までなかったからな……。
 両親が今居ないから……というのもあるのだろうけど、食い物が必要ないからな。この身体。
 何も食わなくても腹が減らない。体調に変化もない。
 ……とことん、俺の感覚は麻痺しているようだ。

「行こ、圭ちゃん!」
「おう!」

 その後は、楽しいもんだった。
 街中をあっちへ行ったりこっちへ行ったり。興宮中を回っちまうんじゃねぇかと思うくらいだ。
 魅音にとって庭同然の興宮は、楽しめる場所を次々と俺の前に出してくれ、これ以上ないくらいに遊び倒してやった。
 ちなみに、早くしないと店が閉まっちまうってんで、眼は使いっぱなしだった。
 まだ大丈夫。……まだ大丈夫。そう、何度も自己暗示をかけながら、興宮を爆走していたのだった。

「ふぅー! 面白かったぁ!!」
「まったくだぜ! こんな楽しい夜はひさしぶりだ!」
 記憶を失ってから数日……いや、数年か。色々あったけど、夜をこんなに楽しく感じた事はない。
 むしろ、恐ろしかった時が多かった。
 ……そんな俺にとっては、今日遊び倒した記憶は……本当に安らげる時間だった。
「えへへ……。また来ようね。圭ちゃんと一緒だったらとっても面白いもん!」
「勿論だぜ。……そん時は、金も十分稼いでおくからな」
「頼りにしてるよ」
 さて、もうお開きの空気だな。
「じゃ、雛見沢へ帰るか。いい加減、お前も帰らないと心配されてるだろうから」
「……そうだね。ま、そんときゃ圭ちゃんも同罪って事で〜!」
「なぁ……! てめ、初めからそれが狙いだったなぁ!!」
「さぁ圭ちゃん! 雛見沢へ――――」
「………………な……?」
「圭……」
「……魅音……!!!」

 ……な……何だ……? 何が起こった……?
 俺は今まで魅音と話していた。……間違いない。
 ……それなのに……魅音の姿が……突然見えなくなった。
 ……何故……?
「……っあ……あぁあああぁ!!!!」
 
 俺達は歩道を歩いていた。
 ……そしたら……車が近づいてきて……。
 …………魅音を…………。

「うぁぁあぁああぁあぁぁ!!!」
 俺は再び眼を変化させ、追いかけようとする。
「――――!!?」
 ……だが……からだが動かない……!?
 ……お……おい……!!
 ちょっと待てよ……!!
 何でだ……!! 何で動かないんだよ……!!!
 魅音が……魅音が……!!!

「う……あぁぁあぁ……」

 くそ!! くそ……!!!
 何で……何で動かねぇんだよ……!!!
 ……何で……!!!!

 ……体が動かない。
 動かそうと思っても……それを拒否してしまう。
 ……もう……言う事を聞いてくれない……。

 俺はその場に……倒れこんだ。

「……前原さぁん……」
「……!!?」
 ……誰だ……。
 ……俺は……動くのを拒否しようとする体を必死に動かす。
 震える手で身体を支えて……頭をあげる。
 ……そこには……。
「……大石さん……」
「……ほら……。だぁから言わんこっちゃない……」
「な……何の話ですか……」
「……こういう事ですよ」
 ……そう言うと、大石さんは無線機を取り出して何かを話しだした。
 …………すると……。

 キキーッ!!!

 俺の前方で……ブレーキ音がした。

「…………え…………?」
「……お分かりですかぁ?」

 ……どういう……事だ……。
 
「……一芝居うたせてもらった、って事ですよ」
 ……何……だと!!?
「…………あんた……ふ……ふざけるのも大概にしろ!!! 俺は……!!」

「それはこっちの台詞です!!!!」

「――――っ!!」
「あんた、自慢げに話してましたよね? この眼があれば大丈夫だと。……失礼ですが、あなたを尾行させてもらいました。……ですが……何ですかあれは!!! 必要のない時に余計な力を使い、肝心な時に力尽きて倒れる!!! 仮にあの車が私の部下によるものじゃなかったら……どうするつもりだったんです!!!!」
「…………」
「私ゃね、あなたのそういうところが許せなかったんです!! あなたは自分で自分の力の使い方も分かっちゃいない!!! 身体能力が全面的に上がる力なんて、使っていけば副作用があって当然です!!! それすらも気づかない様子で、よくもまぁオヤシロ様の祟りを止めるなんて大見得きったもんですよ!!!!」
「…………」
 …………気づけば、魅音が俺のそばで心配そうな顔をして立っていた。
 ……。
 ……言葉が出ない。……出せない。
 言いたい事はいくらでもある。……でも……今の俺に……そんな事を言う資格は……無い……。

 ……大石さんの言う通りだ……。
 興宮から雛見沢までは遠い。……でも、歩いていって行けないわけではないのだ……。
 ……それに、興宮を回っていく時だって……。……力を使う必要なんて……なかった……。
 …………その……結果がこれだ……。

 あれが芝居でなかったらと思うと……ゾッとする……。

「分かりましたか? あなたはまず、その力に頼る事をやめるんです!! その眼とやらは、必ずしっぺ返しをくらう力です。使う時はいざという時だけ、他は自分の力で何とかする!!! それを肝に銘じてください!!!!!」
「…………」
 ……自分の不甲斐なさに……腹が立つ……。
 今の俺の無様な姿は何だ?
 ……まったく……何から何まで……大石さんの言う通りで……。
「……そうしたなら……私の元を訪れてください。何でも教えてさしあげましょう」
「…………」

 そう言い残して……大石さんは去ろうとする。
 
「……待ってください!!!」
「…………」
 大石さんは無言で振り返る。
「……ありがとうございました。……もう……大丈夫です」
「……そうですか。ならば……今から私のところへ来ますか? ……あなたがその力に頼らなくても済むように鍛え上げてあげますよ。……んっふっふ!」
「……ぜひ……お願いします。魅音を送り届けたら……すぐに向かいます」
「……園崎……魅音さんですか……。…………熊ちゃーん! 魅音さんをお届けしてあげてもらいますか〜!」
「OKです大石さーん!!」

 離れた車から、人が顔を出して声が聞こえてきた。
 …………。
「圭ちゃん……」
「……身勝手でごめんな。……魅音」
「うぅん……いいよ。それに、圭ちゃんが成長する事につながったのなら……あながちこの夜遊びも無駄じゃなかったって事だしね」
「……ありがとな……」
「頑張ってね。私は一足さきに雛見沢に帰ってるよ〜!」

 じゃあね、と言い残して魅音はさきほど自分を連れ去った車の中へと乗り込んだ。
 ……本当は……最後まで付き合ってやるべきなのだ。
 …………全部……俺が悪い……。

「……さて、前原さん。あと一日とちょっとしかありません。……死ぬ気でついてきてくださいねぇ?」
「……分かっています。俺は……絶対に強くなる……!!」

 ……同じ事を繰り返しては駄目だ。
 今日のこの一件で……よく分かった。……眼に頼るのはもうやめだ。
 自分自身の力を高めないと……意味がない。こいつは……切り札だ。いざという時以外には……使わない。
「そろそろ身体も動くようになったんじゃないですか?」
「……はい。何とか……」
「とりあえず、体術の基本形と……技を少し教えておきましょう。あらゆる想定をしてあなたの身体に叩き込みます」
「覚悟はできています」
「よろしい! ……行きましょう」
「……はい」

 俺は……いつの間にか眼の力に溺れてしまっていた。
 こいつさえあれば大丈夫だ。……そう思っていた。
 だけど……それじゃ駄目なんだ!!!
 ……こんなんじゃ……古手さんの両親は救えない!!!!

 ……俺が……今すべき事。
 己を鍛え上げる。……それだけだ!!!

 夜も、そろそろ深くなってきた。
 心のモヤモヤは、もう……無くなっていた。






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