「……うぅん……。よく見えない……」
 かび臭さの漂う、いやな空気で満たされている祭具殿。
 その中に……積まれている書物の数々。
 羽入に異変が起きて数時間。
 私は、ずっと書物をあさっていた。

「あぅあぅ……。梨花、ご両親が探しているみたいですよ……」
 ……みたいですよ、などと曖昧な表現を使うのは声が聞こえるからだろう。
 私にも聞こえる。……今、祭具殿の傍を通ったみたいね。
「……構わないわ。私はここで……作業を続けるから」
「………………」
 それっきり、羽入は何も言わない。
 ただ、私の傍で……見守ってくれていた。

 ……それにしても、文字が読みにくて仕方ない。
 祭具殿には窓というものが無い。
 今は夜中なので、月明かりが……私の入ってきた入り口から照らしてくれるだけ。
 私は目をごしごしとこすりながら、文字を読もうと集中しすぎてぼやけてくる視界を必死に元に戻そうとする。
 
「……梨花……」
「…………」
 私は答えない。
 羽入は傍で見守って。……祈って。
 あなたがそうしてくれるのなら……きっと、見つかるはずだから。
 羽入にだってそれは分かっているはず。
 ……だから、私も何も言わない。

 積まれていた書物を、一つ手にとって……パラパラとページをめくる。
 右に……左に。目を素早く動かして、キーワードを探す。

 眼、眼、眼。
 どこかに無いの!? 
 他の文字はどうでもいい。
 ……どこかに……どこかにあるはずなの……!!
 この文字にだけ絞れば……だいぶ時間が削減できると思ったんだけど……甘かったの!?

「……あった……!!」

 ……見つけた。
 確かに「眼」って文字を……今見つけた!!!
 パラパラとページをめくっていたので、少し通り過ぎてしまった。
 私は二、三ページほどめくり戻し、先ほど見た「眼」を探す。
 ……あった。これだ。
 やっと、見つけた。
 ……でも……私はそこにわずかな違和感を感じた。

「……え……!?」

 ……く……。
 やはり考えが甘かった……!!
 確かに「眼」という文字はあったが……これは今回の件とは関係ない……!!
 そもそも、書物自体が古すぎて読めないような字でいっぱいだ。
 この字を見つけただけでもラッキーだといえるのに……。

 ……フェイクは……おそらくこれだけじゃないだろう。
 もっともっと……あると思ってまず間違いない。

 でも……あきらめるわけにはいかない……!!
 ため息をついている暇があったら前を見なさい! 古手梨花!!
 今は立ち止まっている余裕なんて無いの……!!!

「あきらめない……あきらめない……!!」
「……梨花……ぅ……ぅぅ……」
「……? 羽入……?」

 突然……羽入の嗚咽が聞こえてきた。
 あまりに突然だったので、私は振り向いて羽入を凝視する。
「……ぅ……ぅぅぅ……」
 ……泣いている……?
 ……何故……羽入は涙を流しているのよ……?
「どうしたの? ……具合でも悪いのかしら?」
 羽入に異変があれば私にだって影響が出る。
 そもそも、肉体を持たないのだから具合が悪くなるはずもない。
 ……だから、ちょっとした冗談のつもりで言ってみた。
「……悔しいのです……」
「……どうして?」
「………………」
 ……何となくは分かったけど……私の勝手な判断で決め付けるのはいけないと思った。
 聞き返してはみたけど……羽入は何も言わない。
 ……いや、何か言っている……?
 小さな……本当に小さな声で……何か言っている……。
 ……何? 一体……何を言っているの……?
「…………」
 耳を澄ませて……よく聞いてみる……。

「……梨花が頑張っているのに……僕は何も出来ない……。今の僕は……梨花の足手まといでしかない……」

 ……耳を澄ますと……あっさりと聞こえた。
 雑音が混じって聞こえにくかっただけだったのかもしれない。
 ……一度聞こえると、今度はいやおう無しにも……ずっと耳に残る。
 ……まったく、相変わらずのマイナス思考ってわけね……。

 …………今はそっとしておいてあげよう。
 言うべき事はさっき言った。
 ……あとは羽入自身に……任せるしかないのだ……。

 私は振り向く事なく、目の前に積まれた書物に再び目を落とすのであった。

 *     *      *

「…………これも違う……。……次……」
「…………」
 もう、随分と時間がかかった。
 外で聞こえていた両親の声は……今だ絶えない。
 ずっと、ずっと私を探して声を張り上げていた。
 ……そのうち夜が明けて、村の人達が来てしまうかもしれない。
 ……そろそろ止めて、一旦外に出た方がいいかしら……。
 
 天井を見上げる。
 …………高いな。……でも、出れない事はないか。
 私は足を引っ掛けられるところを探しだして、外に出るまでのルートを確認した後、
「羽入。そろそろ出ましょう」
 羽入に声をかけた。
「……あぅ。……しばらくここに居たいのです」
「…………そう」
 羽入が祭具殿に……。
 ……羽入は悲しい事があった時や、考え事をする時は決まってここに来る。
 
 ……いいわ。しっかりと悩んでちょうだい。
 あなたには、まだ躊躇いがある。
 わずかでも躊躇いがあってはならないの。それは、後に命取りになる。
 目が見えなくなったって、先へ進む道が消えるわけじゃない。
 見えなくなってしまうだけなの。
 ……どうか、それに気づいて。
 そして、何としても昭和58年に待ち受けている壁を乗り越えるという……強い意志を身に着けて。
 ……お願いね、羽入……。

 私は先ほど確認したルートを辿って、祭具殿から抜け出した。


 祭具殿から出ると、太陽が私を照らした。
 ちょうど、夜明けの時間。顔を覗かせ始めた太陽が、空を薄明るく照らしている。
「……綺麗……」
 祭具殿に居た時はまったく気づかなかったけど。
 太陽は、夜を照らして朝にしていた。
 ……夕暮れ時の空も好きだけど。
 ……朝日が昇る時の空も……涼しくて、安らげた。


「梨花!!」
「……っ!」
 空をぼーっと見上げていたら、突然名前を呼ばれた。
 ビクッとしながら下を見ると……お父さんがそこに居た。

「こっちに来なさい……!!」

 ……あぁ、怒られるな。
 
 私はそう考えながら、しぶしぶ屋根から下りた。
 下りきったところで、私はお父さんの傍へ駆け寄る。
 何を言われてもいい。……私は、私の意志で動く。それだけは、誰にも邪魔されたくなかったから。

 しばらくお父さんを見つめていると……突然、両手を振り上げた。
 どっちの腕でゲンコツを食らう羽目になるのだろう。左の方が……利き腕じゃないぶん痛くないかな。
 ……そんな事を思って、目をつぶった。 

「……よかった……!!」
「……え……?」

 ……でも……私の予想は、見事に裏切られた。
 私に危害を加えるために振り上げられたと思っていた両手は……私を優しく包んだのだ。

「……お父……さん……?」
「……梨花……すまなかった。きっと、お前にも何か事情があったのだろう……。……私に祭具殿に入りたい、などと言った時……それに気づいてやるべきだった……」
「……何を言っているの……?」
「……祭具殿へは好きに入りなさい」
「……!」
 ……以外だった。
 私のお父さんが……祭具殿へ入る事を許可してくれるなんて……。
 今まで……一度だってそんな事はなかったのに。
 私が祭具殿に、正面の扉から入るのは……毎回、決まって昭和57年以降だったからだ。
 ……でも、どうして……?
 今まで、頑なに私を入れようとしなかったのに……どうして今……?

 ……そんな疑問を持ったけど。
 ……すぐに、答えは見つかった。

「……だから……もう、どこにも行かないでくれ……」
「…………!」
「……私も……お母さんも、お前が居ないと……駄目なんだよ。さっきまで……思い切りうろたえて、探し回った。……落ち着きなんて、そんなものはなかった」
 ……私を抱きしめるお父さんの手は……震えていた。
「お前を見つけた時……本当にほっとした。……居てくれてよかったと、……本気でそう思った」
「……お父……さん……」
「私は、お前が嫁に行くまで、ずっと見守り続けるからな……」
「…………っお父さん……お父さん……!! ……ふ……ぇぇん……」
 
 ……頬を……涙がつたった。
 今まで……ここまで私の事をお父さんが思ってくれていたなんて……知らなかった。
 ……いや、知ろうともしなかったのだ。
 どうせ居なくなってしまうのだからと……ずっと、両親に対して冷たい態度をとっていた。
 昭和56年には……特にそうだった。
 だから、今回もそうしたつもりだった。
 ……だから、私は舞台を降りたんだった。
 ……でも……圭一が……私を再び舞台の上へ誘ってくれて……。
 ……それで……祭具殿へ入って、書物をずっとあさっていたんだ。
 ……その流れがあったからこそ……私は……お父さんの本心を初めて知る事が出来た……。

 …………圭一…………。

 ……ありがとう。
 ……ありがとう。

 さっきも誓った。
 もう、何度も誓った。

 ……でも……。

 改めて、私は誓おう。


 私は……二度とあきらめたりしない。


 あなたが、それに気づかせてくれた。


 …………ありがとう。……圭一……。




 *     *      *

「ぐぁっ……!!」
「……腰が入ってません!! そんなんじゃまだまだですよぅ!?」
「……まだ……まだだ……!! 俺は……俺は……!!」

「もう一度です!!」

 負けねぇ……!! これくらいの痛みには負けてられねぇ!!!
 これは訓練なんだ!! 訓練の痛みに負けてるようじゃ……実戦じゃ何の役にも立たない!!!
 あきらめねぇ……!!

 投げ、当身!!
 
 戦うためには……不可欠だ!!!
 絶対に……会得してやる!!!!

「うおおおおおおおおおおっ!!!!!」


 *     *     *



「……前原さん。見えてきましたよ」
「えぇ。……綿流しの……お祭りか。一昨年に比べると……随分賑やかになりましたね」
「そうですね。年が経つにつれ……どんどん活気付いていきますからねぇ。来年、再来年辺りには……もっと賑やかになる事でしょう」

 綿流しのお祭り。
 ……一昨年、一度だけ行ってみた事があった。
 その後、色々あったもんですっかり忘れてたけど……。
 年が暮れるにつれ活気付いていくこのお祭り。
 ……その裏で、一人が死に、一人が消える事件が起こっているんだ。
 
 今年の被害者であると想定される人物は……古手家の頭首とその妻。
 護ってみせる。……古手さんのためにも……。……運命を打ち破る……きっかけを作るためにも……!!

「着きましたよ前原さん」
 大石さんは車を止める。
 ……古手神社。綿流しのお祭り。
 ……今宵の……予め用意されていたシナリオをぶち壊すための……舞台。
 
 俺は車のドアを開けて、足を地面につける。
 そして、空気を思いっきり吸った。
 ……よし。
「……では、手筈通りに動きましょう」
 大石さんは窓から乗り出して、俺に語りかける。
「ええ。俺は、古手さんのお父さんの下へ行って、護衛を兼ねて祭りをうろつく」
「私は、『敵』に怪しまれるといけないので今まで通り警備を続ける。連絡はポケベルで。……分かっていらっしゃるようで助かります」
「……ええ。大石さんのおかげで、俺も戦える力を身につけました。基礎知識は全て頭に叩き込みましたし、丸一日の訓練のおかげで身体もどうにかついてくるようになりましたから」
「……よろしい。……では前原さん」
 空を見ながらタバコをふかしていた大石さんは、俺の方を向く。
 ……そして、親指を突き立ててこちらに向けた。
「健闘を祈ります」
「ありがとうございます」

 ここで、大石さんとはお別れだ。
 ポケベルで連絡できるようにはなっているが、戦闘中にチンタラ文字を入力している暇なんて無い。
 ここからは……俺の戦い。
 負けられない。……絶対に勝つ……!!

 少し経ってから、大石さんはクラクションを一つ鳴らして、警備位置へと向かっていった。
 
 まずは深呼吸。……スー……ハー……。
 ……よし。
 ……急ごう。護衛は早くついた方がいいに決まってる。
  
 俺は神社の石段を二段飛ばしで一気に駆け上がった。
 ……そして、賑やかな声がしていた境内を視界の中に入れる。
 
「……わぁ……」

 思わず……声が漏れた。
 俺が一昨年見た光景とは……だいぶかけ離れていたからだ。
 以前見た綿流しは、人もまばらで……ギリギリお祭りと言えない事も無い、って感じだった。
 だが……これは何だ?
 人、人、人。
 見渡す限り人が居て……賑やか、と言って何ら嘘は無い状態だ。
 子ども達も走り回って、はしゃいでいる。
 ……綿流し祭か。……たった二年でここまで賑やかになるとは、凄いな……。
 
「お……! 圭ちゃーん!」
「……ん……?」
 どこかで聞いた声……。
 ……つか、この呼び方で俺を呼ぶのは……。
「……魅音か!」
「久しぶりー! 元気してたー?」
「まだ二日ぶりだろ。それくらいで身体ぶっ壊すほどやわじゃねぇよ」
「そりゃそうだ! あははははは!」
 魅音の甲高い笑い声が響き渡る。
 うーん、何かいい意味で緊張感がほぐれるな!
 ……執行は……今晩だ。
 ……だが……いくら何でもお祭りの途中から……ってのはないだろう。
 神主さんもお祭りには来るのだろうし。
 ……そうだな。
「どうだ、魅音。ちょっと、一緒に遊んでいかないか?」
「……え? ……やぁだ、何それ? 圭ちゃん、私をデートにでも誘ってるのー?」
 ニヤリと笑いながら、魅音は言う。
 ……不覚にも、あわててしまう俺。
 ……その後、たっぷりとからかわれる羽目になってしまった……。



「えぇい! やかましいっ! 何も言うな!! イエスかノーか! どっちかに一つだ!!」
 しばらくして。
 このままではラチが開かないので答えを迫った。
 ……何だか誤解されそうな台詞になっちまったけど。
「……うーんと……まぁ、いいかな? 今年は私も一人で回る事になってたし」
「……え……? 悟史と……沙都子と……古手さんはどうしたんだ?」
「…………梨花ちゃんは……何か、突然キャンセルされちゃったよ。今日は両親と一緒に居たい、って。悟史と沙都子は……今、興宮に居る」
「……そう……なのか……」
 ……どちらも、以外だった。
 沙都子達は北条家に戻っているのだと思っていたから、興宮に居る……っていうのは考えもしなかった。
 古手さんも、舞台から降りる……って言ってたし、両親と一緒に居たいなんて、少し不自然だ。
 …………つまり……歯車は着実に動き出してやがる……って事か……。
「……沙都子達、興宮に住んでるのか……?」
「……ううん。住んでるのは雛見沢だよ。叔父と叔母にとっては、北条家は広い家だからね」
「……じゃあ……何で沙都子と悟史は綿流しに来てないんだよ……?」
「……綿流しの日にあわせて……叔母が二人をもと居た家に連れ帰っちゃったんだよ」
「……何だよそりゃあ……!?」
 ふざけるな……!!
 そんな行為に……何の意味があるってんだよ……!!?
「嫌がらせだろうね……。……悟史と沙都子……綿流しで遊ぶ事すら……させてもらえないんだよ……」
「……何だよ……それ……!!! ふざけるんじゃねぇ……!!」
 俺は……地団太を踏んだ。
 去年……幸せそうな家庭を築いていたのに……。沙都子と……お義父さんの関係だって……良い方向へ向かいつつあったのに……!!
 ……俺のせいだ……。
 俺が……。……俺が……!!
 ……止める事さえ出来れば……!!!

 ……一年目……二年目……。
 …………俺は……結局……。

「……圭ちゃん……?」
「……!」
 魅音の声に、我に返る。
 ……見ると、俺は……地面を蹴って掘り返し、靴は泥まみれになっていた。
「……大丈夫……?」
「……ああ。大丈夫だ……」
 ……落ち着け……。
 ……こんな事……俺だって認めたくはないけど。……逃げているようにしか聞こえないけど。
 ……しょうが……ない……。
 …………しょうがないのか…………?
 ……くそ……。
 自問自答したところで……答えなんて出るはずもなかった。

「悪い。……行こうぜ!」
「う……うん」
 靴についた泥を祓って、俺は魅音の手をひいた。
 
 そして、まず最初に目に入ったのが……たこ焼き屋。
 お祭りには欠かせない出店だ。
「圭ちゃん、たこ焼き買っていこうよ!」
「おう! 何なら、早食い勝負でもするかー?」
「勝てるわけないよー。あはははは!」
 魅音は笑いながら、たこ焼きを二つ注文した。
 …………その瞬間……。
 ……俺は……重大な事を思い出した。

 ………………金………………持ってねぇ……。

「うわぁああぁああ!!! すみません!! やっぱ無しでぇええ!!!」
 俺は大声を張り上げて、魅音を引っ張ってその場を後にしようとする。
「え? えぇえ!?」
 だが、魅音は突然の事にも関わらず、ぐっと足に力を入れてそれを許そうとしない。
 やめろ、魅音……!!
 俺は金を持ってねぇんだ!!!
 このままでは!!!
「け、圭ちゃん……!? …………あ……。………………もう、どうせお金持ってないんでしょー? ……はぁー。しょうがない、これだけはおごってあげるよ」
 呆れたような……でも、どこか優しい表情で、魅音はそう言った。
「圭ちゃんへの貸しね」
「う……」
 ……抜け目ないところは流石だと言っておいてやろう。
 
 魅音は二人分のたこ焼きを買ってきて、俺に一つ差し出した。
「サンキュ」
「いいのいいの。どうせ返してもらうしね!」
「お前、それがなかったら最高なんだけどな……」
 ああ、むなしいかな。
 俺には金がねぇ。
 来年はバイトでもするかと考えつつ、俺達は静かにたこ焼きが食えるところへと足を運んだ。
 普通は出店を見ながら食ったりするのだろうが、金が無い以上いくら見ても冷やかしだ。
 ならば誰の目も気にせずに食えるところへ行こうと、こうなったわけだ。
 どこにするか少し放した結果、高台まで行く事にした。
 雛見沢の全貌を臨む事の出来る高台付近は、景色はいいが逆に言えば危ない。
 あの付近に出店は無いはずだ。
 適当に歩いていた俺達の足は、目的地を決めたために、そこへ向かって歩き出す。
 てくてくてく。とことことこ。
 てくてくてく。とことことこ。
 てくてくてく。とことことこ。
 ぺたぺたぺた。てくてくてく。
 てくてくてく。とことことこ。
「…………?」
 不意に、背後を窺った。
 ……何で俺は振り返ったんだ?
 …………??

 ……何をしてんだと自身に言い聞かせ、俺は先に進んでいる魅音を追いかけた。

 ぺたぺたぺた。



 高台につくと、もうその頃にはたこ焼きは冷えてしまっていた。
 しまったと思いつつ、食えないわけではないので、俺は貸しになってしまったたこ焼きを口にほお張る。
 ……美味いと賛辞できるほどではなかったけど、まずくもなかった。
 そんな微妙な味になってしまったたこ焼きをかみ締めながら、雛見沢を眺める。 
 今日はお祭りだから、どの家にも明かりはなかった。……とても静かだ。
 そんな、普段見ない風景を……じっと見詰めていた。

 涼しい風が、全身に当たる。
 ……心地よかった。

「圭ちゃん、そろそろ戻ろう。眺めて見るだけでも楽しいと思うよ」
「……あ、ああ。そうだな」

 魅音の言葉を境に、俺達は高台から祭りの会場へ向かう。
 ざっ、ざっと、砂利の敷き詰められた場所を移動していた。
 ――その時。
「……ひっ……!?」
 短い……小さな悲鳴が聞こえた。
 ……誰だ、何て聞こうとは思わなかった。
 ……魅音以外に、そんな事をして俺の耳まで伝わるような位置に居る人物は居ない。
 どうしたんだろうと、俺は魅音の方へ振り返る。
「……あれ……」
 そう言って、魅音は震えながらある場所を……指差した。
 あれは……祭具殿……?
 
 ……何だ……?
 ……何が……あるんだ……?

 俺は、少しずつ……魅音が指差した場所へと向かう。

 …………っ!!?
「これは……!?」

 …………血痕。
 ……それは……ありえないほどに……鮮明な赤色を、不自然な場所に彩りとして与えていた。
 
「……魅音……。人を……人を呼んでこい……!! 綿流しの……実行委員みたいな人達を……!!」
「う、……うん……っ! け、圭ちゃんは……っ!?」
「俺は犯人をとっちめる!!!」

 それだけ言い残して、俺は駆け出した。

 …………畜生。何てこった……!!!
 一年目も……二年目も……三年目までも……!!!
 知った時には全てが手遅れ……!!! 俺は……何も変わっちゃいないじゃないか……!!!!

 …………いや……!! あきらめるな!!!!
 まだ手遅れじゃない!!! まだ……間に合うんだ!!!!

 血痕はまだ赤い色をしていた。量も少量だ……!!
 ……つまり……空気に触れてまだ間もなかったという事だ……!!

 俺達が高台へ向かった後、あそこで何かがあったんだ……!!
 そして……事が終わった後に俺達が発見した……!!
 ……時間はまだそう経ってはいない!! まだ光は閉ざされちゃいないんだ!!!!!
 だが……悲鳴も何も聞こえなかったって事は、相手は相当の手誰のはずだ。
 多少の暴行を行っても声を出させない術を知っているような奴ら……!!
 ……えぇいひるむな前原圭一!! 何のために柔術を習ったんだ!!?
 俺は……このために大石さんから特訓を受けたんだろうがぁああぁ!!!!

「……! そうだ!! 大石さん……!!」

 今ので思い出した。
 ……何かあったら、大石さんに連絡をしないといけない。
 もしも戦闘になったら、そんな事をしている暇など無い。
 俺は急いでポケベルを取り出して、文章を作成する。

「フルデジンジャノサイグデンデケッコンヲハッケン オレハマダチカクニイルデアロウハンニンタチヲオイマス」

 まだだ……! これだけじゃ足りない……!!
 大石さんは警察だ。きっと、祭具伝の方に何かあるのかと勘違いする……!
 自信が無いわけではないが……多勢に無勢ではやはりこちらが不利だ。保険の意味でも、増援は必須……!
 
「オオイシサン マズハオレヲオッテクダサイ ハンニンタチヲニガスコトダケハデキマセン オネガイシマス」

 ……よし……。こんなところか……!!
 待っていてくれ、神主さん!!!
 絶対に見つけ出してやるからな!!!!

 だが……どっちに行ったんだ……!?
 奴らはどちらへ向かった……!?
 それが分からないと……追跡のしようが無い……!!!
 くそ、どうすればいい……!?

 …………あぁくそったれ……!!
 使いたくはなかったが……五秒……。五秒だけ使わせてもらうぜ大石さん……!!

 俺は一旦立ち止まり……目蓋を、ゆっくりと閉じる。
 一呼吸置く。……すぅっと息を吸い……力を込める……!!
「眼球変化……!!」
 ……許された時間は五秒間のみ!!
 探せ……! 探せ……!!
 犯人の場所を示す手がかり……!!!
 後四秒……どこだ!?
 くそ……三秒……!!
 二秒……一秒……。
「――!!! 見つけた!!!」

 ……ゼロ。
 ……見つけたぜ……!!

 ……それは……祭具殿に付着していたわずかな血痕……!!
 ……よく見ると……上で何かを引きずった痕が残っている。
 方向は左下。……つまり……この血痕を中心に、左下方向へ逃げた……という事だ。

 もちろん、方向転換をした、という可能性も拭いきれない。
 だが、この位置から左下に当たる方向にこれといった障害物は無い。
 ならば、まっすぐ進むより時間のかかる方向転換をするよりも、直進して別の仲間と落ち合う、といった計画を立てるのが普通だ。
 ……それでも拭いされるわけではないが……。………………。
 ……えぇい、迷っている暇はない!!!
 急げ圭一!!
 
 俺はそれを信じて、血痕が示した方角へと走り出した。

 急げ、急げ、急げ、急げ!!!
 ひたすらに走る。
 ……血痕の量から、まだ殺害されているとは思えない。絞殺ならば血痕すら出ないはずだからな。
 おそらく、暴行を受けて気絶しているか、その後即効性の睡眠薬をかがされて眠っているかのどちらかだ!!

 そう。……まだ……幕は降りちゃいねぇえぇ!!!
 間に合わせてみせる!!! 絶対に!!!!!!!

 ――その時……!!
「……!! これは……!!」
 足元に……目が行った。
 ……そこには……矢印が書いてあったのだ。
 何でこんなところに矢印が……。……そう思った。
 ……でも、それを考える前に、誰かが俺のために残してくれたものなのだとすぐに理解する。
 根拠なんてない。……ただ、そう思ったんだ!!
 俺は矢印が指す方へ方向を切り替え、再び走り出す!!

 きっと……この先に……!!
 ……居る!!

「……圭一。お願い……! お父さんを……助けてあげて……!!」



 *     *      *


 ……正直、驚いた。
 綿流しのお祭り。私は、後二年は安全のはずだから、ずっと父の傍に居た。
 それで……本当に、本当にちょっと。
 屋台へ行って、食べ物を買ってきたら……父は居なかった。 
 奴らはあまりにも迅速で……躊躇がない。
 私が離れた隙に、絶好の機会だといわんばかりに……連れ去ったのだ。
 場には血痕が残っており、私はすぐに何が起こったのかを判断した。
 辺りをよく見回すと、犯人達の姿がまだあった。……追いかけようとも思ったけど、ちょうど圭一と魅音の姿も見たから、矢印を書いたのだ。
 父は圭一に任せて大丈夫だ。
 ……私は……母を守る……!!

「まってて……!! お母さん……!!!!」

 ……父は既に連れ去られた。
 なら、母に危害が加わってないとは限らない……!!
 毎年起こる、オヤシロ様の祟り。今年の祟りは、父が急病で病死して、母が鬼ヶ淵沼に入水自殺するというものだ。
 母は……やつらに誘拐されて消えてしまう……!!
 女性とは言え、大人一人を鬼隠しに遭わそうと思えばそれなりの人数が必要になる。父の時にもそれは見た!
 そして、母が残す遺書。……筆跡鑑定に引っかからないという事は、母に無理矢理書かせているに違いない……!!
 遺書を書かせた後に失踪させるんだ!!

 そして……父はおそらく何かの薬物を注射させられる……!! 
 それによって急死するに違いない……!! 
 ……それ以外に……考えられない……! 父の体調はいたって健康だ。病院の定期検査にだって引っかかった事は無い!
 なら……敵はかなり手ごわいという事を示している……!!!
 そういう類の薬物を入手でき、複数の要員をも揃えられる。そんな奴ら……!
 
「…………まさか…………」
 
 ……一つだけ……心当たりがある。
 ………………入江診療所……。…………山狗…………?

 ……いや、そんな馬鹿な。
 彼らは味方のはず……。……こんな事を……彼らが……!?
 ……まさか……!?

 …………いや、今は何も考えるな、古手梨花!!
 私は……今すべき事をやるの!! 他に考える必要なんてない!!!

 どこ!?
 お母さんはどこに居るの!!?

 ……思い出せ……思い出せ……!!
 私もいくつもの世界で見てきた……あの遺書を……!!
 ……文字は筆によるものだった。……筆ペンかしら……!?
 母は、いつも手紙を書く時私の両親の部屋で筆ペンを使って書く。……最後のわがままという事で犯人達が要求を呑んだのなら……きっとあそこだ!!

 よし……!! 急ごう、梨花!!!

 
 綿流しのお祭りは古手神社で開催される。
 私達の家もすぐそこだし、母と父の部屋もそう遠くはない!!!
 まだ……間に合うかもしれない……!!!!

「……ハァ……ハァ……!! まっててお母さん……!!」

 着いた……!! 後は両親の部屋を目指すだけ!!
 私は靴を脱ぎ捨て、目指すべきところへ足を向ける!!
 もう少し、もう少し! もう少し!!!

 お願い!! お母さん……無事でいて……!!!

「お母さん!!!」

 私はふすまを勢いよく開け放ち、中へと踏み入る。
 ……そこには……母が居た!!!

「梨花………………――――!!! 駄目!! やめてぇぇえ!!!!」

 ……母が、叫んだ。
 そう、感じ取った瞬間……私の意識は……遠のいた……。


   *     *     *

 
「……ハァ……ハァ……!! 見つけた……!!!」

 あれから、随分走ったと思う。
 矢印を頼りにずっと……直進してきた。
 
 ……見つけた。

 大人が四人と……一人。
 こんな人気の無いところに……不自然だ。
 ……しかも傍らには……。
「……間違い無い。……神主さんだ」
 神主さんは以前見た事がある。……その人は、俺の記憶のとおりの顔をしている。
 ……痛々しい傷跡を除いて……だがな。
 明らかに暴行を加えたと思われる人物が四人と……傷だらけの神主さん……。
 ……「奴等」だ……!!
 ……もうやる事は決まっている。
 奴らが逃げ込む場所は……きっとまだ遠くだ。
 少なくとも、古手神社の中では……ないと思う。
 ……とにかく。今は駄目だ。奴らが動き出した瞬間……。……そこが勝負だ!!

 今飛び込んだら全員と戦う羽目になる。……敵は一人でも少ない方がいいに決まってるからな。
 奴らは今座っている。移動開始と共に、立ち上がる瞬間を……狙う。
 仮に俺に気づけたとしても上手くバランスが取れないために確実に一人は戦闘不能状態にできる。俺には当身がある。
 ……そして、移動中は警戒を怠らないだろう。
 やるなら……このタイミングしかないんだ……!!

 俺は一旦目を閉じ……眼を変化させた。
 声が聞こえないほど、俺は奴らより離れた所に居る。
 奴らの動きをよく観察する事。……そして、奴らとの距離を一気に縮める事。
 ……この二つが、今しなくてはならない事だ。
 ……こればかりは、眼に頼るしかない。……戦闘になったら後は大石さん直伝の柔術でやってやらぁ……!!

「……む……!」

 ……奴等が……立ち上がる……!!
 ……今だ!!!!

 足にぐっと力を溜める。
 ……魅音と興宮に行った時に思いついた……瞬間移動術。
 そして……地面を蹴った時。
 俺の姿は、奴等の目の前にあった。

「……――なっ……!?」
「……――――っ!!!」

 ドスッ……!!

 ……鈍い……音がしたように思う。
 どこを狙えば人が一撃で倒れるのか……大石さんに習った。全て頭に叩き込んである。
 当身の技術ってのは……不意打ちで最も……役に立つ。
 他の奴等が俺を目で捉える前に……俺は一人を打ち倒した。

「……何……!?」
「馬鹿な……!?」

 俺はここで……一旦眼を戻す。
 これ以上は使わない。……何のために大石さんに柔術を習ったんだ。
 大人も子供も、単純な「力」の差をあまり感じずに戦えるのが柔術だ。
 相手の攻撃を、流しつつ……反撃を加える。まさに、カウンターと言えよう。
 殴ってきたのならその腕を。
 蹴ってきたのならその足を。
 腕を掴んで、投げ飛ばす。
 足を掴んで、ひっくり返す。
 縦横無尽。あらゆる攻撃に備えられる。
 それが……俺が習った柔術だ!!

「……何者だ」

 その中の……妙に落ち着いた奴が俺に聞く。
 ……他の二人はパニクっているってぇのに、こいつだけは……違う。
 威圧感……とでも言うのだろうか。……それが、こいつらの中で……一番強い。そして、状況を判断する力が圧倒的に上だ。
 俺という「子供」が、仲間の「大人」を一撃で倒した。
 それを、瞬時に判断し、俺が何者なのかを探ろうとする……。
 ……だが、こちらの情報を……たとえ名前であろうと、こいつらに与える義理はない。
 俺は静かに……言った。

「……神主さんを……返してもらおうか……!!」

 それだけを言い……俺は奴に飛び掛る!!
 当身は攻めに。投げは守りに……!!
 人体に膨大なダメージを与える、急所。
 そこを……一突きする……!!!

「……何……!?」
「…………」

 ……かわ……された……!!
「はぁぁ!!」
「――がっ」
  
 ――――!!?
 な……!?

「ゲホッ……ゲホ!!」

 な……何だ……!?
 俺は何をされたんだ……!?

 ……俺が腕を突き出して攻撃を仕掛けた。
 ……それを……かわされた。
 ……その後……?
 俺は……何をされた……?
「……っ痛」
 ……今頃になって、頭がジンジンと痛み出した。
 ……頭を……打ちぬかれたのか……!?
 
「おいお前ら!! 二人を連れて行け!!」
「……は……はいっ!!」
「了解です!!」

「ま……待て……!!」

 ……く……くそ……!!
 視界がぼやける……!!

 畜生……ぼやけた視界の中で……神主さんが……連れて行かれている……!!
 駄目だ……!! ここで取り逃がしては……駄目なんだ……!!

「畜……生……ぐぁっ!!!?」
「……しばらく眠ってな」

 ……う……ぁぁ……!!
 痛い……痛い……!!!

 どこだ……!? 次はどこに何を打ち込まれた……!?

「か……は……」
「………………」

 ……痛みが……尋常じゃない……!!
 ……鳩尾に……膝蹴り……かよ……!!!
 くそ……痛ぇ……!!!

 ぼやけた視界が……さらにぼやける……。
 意識が……無くなりかけているんだ……。

 ……間違いない。
 この野郎……さっきから当身を使って……攻撃している……!!
 俺が食らった部位はどちらも大石さんに習った人体の急所に位置する場所だ……!!
 く……くそ……!!
 駄目だ……意識が……遠……。
 
 …………………………。

「……眠ったか……」
「まだだ……」

 ……駄目だ。

「…………」
「まだ……終わっちゃいない……」

 こんなんじゃ駄目だ。

「もう終わっている」
「終わってなんかない……!! まだ俺は……戦わなくちゃならないんだ……!!!」

 俺は……約束したんだ。
 必ず古手さんの両親を護る。……何があってもだ……!!!
 そのためには……こんな所で気絶している暇なんて……ないんだよ!!!!!

「……命を落とすぞ」
「……おもしれぇ……!!!」

 俺はゆらりと立ち上がると……おもむろに、空へと顔を上げる。

「はっはっはっはっは!!! はーっはっはっはっは!!!!!」

 ……そして……笑う。
 月に向かって……吼える。
 その姿……野生の獣の如し。

「……何がおかしい」

 ……そう。
 これは命のやりとりをする……ゲーム。
 この男は……俺にゲームを挑みやがったんだ。

「俺にゲームを挑むとはいい度胸だ。命をかけたゲームか。……はっはっはっは!!!」
「……何がおかしい!!」
「お前……命を落とすぜ?」
 奴は俺の言葉に、少々呆気にとられていたようだったが、すぐにニヤリと笑い返した。
「……おもしろい……!!」
「……へっ……!!」

 ……今やこいつは哀れな子羊だ。
 せいぜい神様に、天国へ行けるように祈るんだな。
 
 俺にゲームを……勝負を挑んだ時点で……貴様の敗北は決定的!!!
 何故なら……俺が目指すのは……勝利だけだからだ!!!! 
 敗北は最大の屈辱。それに準じた罰が必要だ。
 今回は「命」になったわけだが……そんなもんは関係ねぇ!!!!

 負けなければいいんだよ!!!!!!

 敵前逃亡など……ありえない!!!!
 全力を用いて目の前の敵を打ち倒せ!!!!!
 それが我が部の会則だ!!!!

「いくぞ……!!」
「……さぁ……戦闘開始(ゲームスタート)だ!!!!」

 ――刹那。
 俺の頭が掴まれる……!! 

 そして……膝が飛んでくる。

 ……おいおい、俺も舐められたもんだな。
 この程度で……個にして最強の俺様が……倒せるとでも思ってんのかよ!!!

「――何!?」
「……へ……へへ……!!!」

 殴ってきたら腕を掴んで投げ飛ばせ。
 蹴ってきたら足を掴んでひっくり返せ。

 やる事なんざ……最初っから決まってらぁ!!!

 俺は膝を受け止め……奴が攻撃を受け止められて油断した瞬間に頭を戒めから解き……一気に奴の体をひっくり返す!!!

「――――!!?」

 掴んだ膝を……上に思い切り持ち上げる。
 ……それだけで、人ってもんは重力に従って背中から倒れるもんなんだ。
 そして……今こそ一気にたたみかけるチャンスでもある!!!

「うおおおおおおおお!!!」
 今度こそ……当身技を……全力でぶつけてやる!!!!
「……まだまだ甘い!!」
「――――!?」

 な……!?
 体を半回転させて……手を一つ一つ手順を踏むように地面に当て……挙句着地までした……!?
 あの体制で……受身を取りやがった!!!!
 軽業師かよてめぇは!!!

 くそったれ……。
 やっぱり急所を一撃で突くしかねぇようだな……!!!
 
「……面白い奴だ」
「お互い様だ。アンタ軽業師の方が向いてると思うぜ」
「褒め言葉として受け取っておこうか!!」
「うぉっ!?」
 
 ……く……!!
 連打、連打、連打。
 左手が頭を狙ってきたかと思えば……右手はタイミングを少し遅らせて腹部を狙う……!!
 その逆もまたしかり……!!! どこであろうとタイミングをずらして攻撃を休める事なく打ち込んでくる!!
 くそ……これじゃ投げ飛ばせねぇ……!!

 次々と繰り出される拳の数々……!!
 それを腕で受け流すか……よけるかしか出来ない……!!!

 ……くそ……どうしたらいいんだ……!?
 チンタラやっているわけにもいかねぇ……!!
 さっさと神主さんを追わないと……!!!

 だが……抜けられない……!! この手刀の嵐から……抜け出す事が出来ない……!!
 ……トン。
「…………え……」
 ……何かが……背中にぶつかった……?
 思った瞬間。
 俺は……拳の嵐を身に受けた……!!

「が…………ぁぁぁあ……!!!」

 く……そ……!!
 後方注意たぁこの事だ……!!
 かわしながら後ろに徐々に下がっていた……!!
 そして……今俺の後ろには……木がある……!! 退路を……絶たれた……!!!

「……く……ぐぅ……!!」
「はーっはっはっはっは!!!」 
  
 くそったれ……。笑いたければ笑いやがれ……。
 俺は……てめぇなんかにゃ負けやしねぇ……!!!

「ぐぁ……!! ぐっ……!!」

 畜生……!!
 攻撃の手が……まったく休まない……!!!
 俺が命を落とすまで続ける気か……!?
 ……くそったれ!! そういうルールだもんなぁ!!!
 
 ……く……くそ……っ!!
 また……意識が……!!!

 …………駄目だ……!!!
 今……意識が飛んじまったら……ルールに準じて俺は命を落とす……!!
 そうなったら……俺は……。

「守れねぇじゃねぇか……!!」
「………………?」
「大切なものが……守れなくなっちまうじゃねぇかぁぁああぁああ!!!!!」
「――――っ!!?」

 勝つとか負けるとか……そういう問題じゃなかった……。
 負けられない……!!! 俺は……絶対に勝たないといけないんだ!!!!

 大石さん……許してください。
 俺は……あなたから教わった禁を……もう一度だけ……破ります。
 俺は静かに……目を閉じた。

 再び開いた時が……お前の最期だ……。

「……あきらめたのか……?」

 所要時間は……三十秒。
 それ以内に……ケリをつける……!!!
   
「執行……開始!!!」

 俺は……眼を見開く……!!
 そして……足払いをして奴のバランスを崩す!!!

「――何!?」
「…………」

 奴ほどの奴を打ち倒そうと思えば……それこそ命を奪うほどのつもりでやらなければ駄目だ……。
 不意打ち上等……!! 勝利を得るためには……あらゆる努力をせよ!!!
 所要時間は多くない。しゃべる暇すらもったいねぇぜ……!!
 
 俺は一旦距離をとり……瞬時に距離をつめる!!!!

「――――ぇ」

 ……やはり、こいつは目で追えていない。
 俺が一旦離れた事にわずかでも安堵感を感じたんだろうが……そんな有様じゃ俺には負けるぜ……!!!
 
 気づいた時には……もう遅い!!!!




    

 


  

「――――!!!!!」

 ……顎を打ち抜く。
 きっと奴は、何が起こっているのか……わからないのだろう。
 さっき俺も感じたからな。……苦痛は比べ物にならんと思うが……お返しだ……!
 頭部を打ちぬかれるのは、人体にとってかなりきつい。
 衝撃の強さによっては命をも落としかねないのだからな。
 加えて、顎への攻撃は目線を上へ向ける事によってこちらへの対応を出来なくする……!!

 こうなればもう……相手側に出来る事などありはしない!

 俺は腕と服を掴み……空へと投げ飛ばす!!
 ……っと、身体能力が上がってるから投げすぎちまったかな。
 ……まぁいいか……!! ……はじめから命のやりとりやってるんだからなぁぁあ!!!
 
 空を舞っている間は……攻撃をよける事は出来ない!
 この瞬間こそが……フルパワーで当身技を奴にぶつけるチャンスなのだ!!!

 ……標的確認(ターゲットロックオン)……。
 …………俺も合わせるように……跳ぶ……!! 
 
 奴をよく見ろ。
 ……俺があの場所にたどり着くまでに、奴の体はどのように浮かび、どのように落ちてくるのか。
 それらを全て……眼の力を用いて……計算する……!!

 ……食らえ……!!!!!


 ドッ……!!!!


「……が……は……」

 俺のジャンプの勢いは最高点に達するまで止まりはしない。
「……うぉぉおぉおおおおおっ!!!!!」
 拳をぶつけたまま奴の体ごと上昇し……最高点へと達したところで……思い切り腕を前に突き出して奴の体を投げ飛ばす!!!

「………………!!」

 ……意識を……失ったか……。
 ま……無理もない。
 こんなもん食らって生きているだけ……賞賛に値するぜ……。

 ……俺は跳び上がりはしたが、飛べるわけじゃない。
 重力に引っ張られ、降りる体勢をとる。
 
 ……命をかけたゲームだったはずだが……やはりそういうわけにはいかねぇな……!!
 例え目的を達成できても……俺が犯罪者になっちまったら意味がねぇ! 明らかに過剰防衛だしな。

 結構な高さになっちまったから、背中から直接落ちるとアウトだ。
 命だけは……何とかしてやらねぇと!

 ……着地して、ちょうど三十秒。
 俺は眼を元に戻し、力の限り奴の着地点へと走る……!


 ……それは……不思議な感覚だった。 
 命を取り合って戦っていたっていうのに。……相手は俺の命を本気で狙ってきてくれたってぇのに……。
 ……俺は、最後の最後で……ルールを無視しちまう。
 何でだろう。
 ゲームにしろ戦いにしろ、基本的にルールがある。
 それを破っちまうと、後で非難されるのは……紛れも無く自分自信なのに。
 …………どうして俺は……ルールを破ってまで……こいつの命なんかを……救おうとするんだろう……。

 ……ルールを破れば、問答無用で敗北だ。
 …………だが……バレなければいい……ってか?
 ここには俺達以外に誰も居ない。ルールも俺達しか知らない。
 ……バレなきゃ……こいつを救っても……いいんだよな……?

 ……俺は勝手にそう納得して、空から落ちてくる……『敵』を……助けた……。
 
  
 *     *     *


「前原さん! 前原さーん!! 目を開けてください! 前原さーん!」
 ……何だよ……五月蝿いな……。
 人がせっかくいい気分でまどろんでいるのに……。
 ……頼むから……俺を……。
 ………………。
「……――っ!!」
「……! 前原さん! よかった、無事でしたか!」
「大石……さん……」
 ……あれ……?
 ……俺は…………。
 ……ここは……神社の境内か……?
 ……奴が居ない……!? 俺はどのくらい寝ていたんだ!?
 ……ッ……!! ――そうだ!!!
「お……大石さん!! 神主さんは!! 神主さんはどこですか!?」
 しまった……!!
 俺は……一気に緊張状態が開放されちまって……そのまま寝ちまった……!!!
 く……くそったれ……!! 何たる不覚……!!!!
 俺は神主さんが無事である事を祈りながら大石さん掴みかかってに何度も聞く。
 ……だが……大石さんは首を……横に振った。
「……残念ですが……先ほど古手神社頭首である……古手梨花さんのお父さんの、……急死が確認されました」
「――――――っ!!!」
 ……く……くそ……。
 ……大石を掴んでいた腕の力が抜け……膝がガクンと立つ力を失い、俺はその場にうな垂れる……。
 
 ……何て事だ。
 あれだけの大口をたたいておいて……俺って奴は……!!!
 畜生……畜生……!!!

「……梨花さんのお母さんの方ですが……やはり行方不明になっています。現在、総力をかけて捜索中です」

 …………大石さんの言葉が……俺に突き刺さる。
 ……そう……だ……。
 祟りの犠牲者は……いつだって二人なんだ……。……しかも……俺は誰が犠牲になってしまうのか……わかっていたのに……!!

「う……ぁぁ……」

 俺は……俺は……!!!!
 結局……誰一人として……救えてねぇじゃねぇかよぉぉおぉおお!!!!!!

「うあぁぁああぁああぁあぁぁああ!!!!!!!」

 ……涙が……溢れ出してくる……。
 駄目……なのか……?
 俺なんかじゃ……運命をねじ伏せるなんて……そんな事できないのかよ……!?


 そうだ!!! できねぇんだよ!!!

 粋がるだけ粋がっておいて結局はこのざまかよ!? 寝言は寝て言えってんだよ!!!!

 俺みたいなただのクソガキが殺人を犯すような連中と戦うだと? 阿呆か!!!!

 こんな野郎がちょっと柔術習ったからってハナっからそんな事は無理だったんだよ!!!

 骨折り損のくたびれもうけとはまさにこの事だぜ!! バッカみてぇ!!!


 は……はは……!! 笑っちまうよ……!!!
 あっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!

 笑え……笑え……!! 笑っちまえ!!!

 変な正義感をふらつかせるから……結局はボロボロにされただけで目的も達成できちゃいない!!!!

 滑稽にも程があるぜ!! 遠慮すんな!!! 笑え!! 思う存分笑ってしまえ!!!!

 あーっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!


 俺が、笑ってる。
 俺を、笑ってる。
 
 お前は阿呆だ。お前は馬鹿だ。
 お前は何もできやしない。ただの偽善者だ。
 笑え笑えと、誰かに言っている。……俺は、笑っている。
 
 ……俺には……何も、出来ない。
 
 それが……俺の心を深くえぐる……。
 

「……前原さん? 前原さーん? 聞こえてますかー? 前原さーん!?」   

 そうだよ……!! 今日……何も出来なかったのは……他でもない俺自身じゃねぇか……!!
 思い込みだけで突っ走って……自らの無力感を味わうだけ味わって……!!
 笑い話以外の何だってんだよ!!?
 畜生……畜生……畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生!!!!!!

「大石さん!! 行方不明になっていた古手家頭首の妻ですが……遺書が発見されました!!!」
「なにぃ?」


 笑えよ。笑ってくれよ。
 お前達も……俺を笑ってくれよ。
 何を小難しい顔してやがるんだよ。俺を笑えよ……!!
 俺は……俺は……。

 ――無力――

「うぁぁああぁあああぁあああああ!!!!!!!」

「!? 前原さん!? 前原さん!!? どうしたんですか!? 前原さん!!?」
「……きゅ……救急車を要請してきます!!!」
「頼みます熊ちゃん!!!」


 五月蝿い……五月蝿い……。
 騒ぐな……五月蝿い……騒ぐな……。
 笑え……。俺を……笑ってくれ……。
 笑う以外で……騒ぐな……。
 ……五月蝿い……五月蝿い……。

「圭一」
「――! 梨花さん……?」


 ……五月蝿い。

「……圭一」

 ……五月蝿い……五月蝿い……!!!

「……圭一」
「――――」

 ……あ……。
 ……視界が……ぼやける……。
 ……涙……? ……俺……いつの間にか……泣いていた……のか……?
 ……だから……泣き止もうと思った。
 俺は男だから。……この子の前で……みっともない姿なんて……見せたくなかったから。
 ……でも……。
 頭に……小さな手がふわりと乗って。……やさしくなでてくれた。
 ……どうして……だろう。……また……涙が……。

「……圭一」
「……古手……さん……」

 溢れ出す涙を……止める事が出来ない……。
 笑いに来たんだよ。
 一回撫でてくれる度に……彼女の優しさが伝わってくる……。
 無能な俺を罵倒しに来たんだよ!
 ふと……顔を上げて涙をぬぐってみると……慈悲と慈愛を同時にふくんだ表情で……俺を見ている……。
 大切な両親をどうしてくれるんだと罵りに来たんだよ!!
 ……涙が……止まらない……。

「……俺を……笑いに来たのか……?」
 
 はははは!!! 聞くまでもねぇじゃだろうが!! それ以外に何があるってんだよ!!!
 止まらない涙で相変わらず視界はぼやける……。
 ……そうか……。俺は……やっと解放されるんだな……?
 さあ。……俺を……笑ってくれ……。

「圭一」
「……」
 ……何も言わない。……そんな資格は……俺には無い。 

「あなたは……戦ってくれたのですね?」
「…………え……?」
 何を言ってやがる!? 気は確かか!?
 ……何を……言っているんだろう。
 ………………分からない。

「……何を……言っているんだよ……。この様を見ろよ。……俺は……負けたんだ……」
「違う。あなたは戦って、そして打ち勝った」
あんたの両親は結局居なくなった!!!
「違う。俺は負け――」

「違う!!!」

違ったりなんかしねぇよ!!! どう違うっていうんだよ!?

 ……何で……。……どうして!! そんな事を言うんだよ……?
 俺は……負けたんだぜ……? この結果を見ればそんな事は一目瞭然だ。
 ……それなのに……どうしてだよ……?

「……逃げなかった」
「……え……」
「あなたは……逃げなかった!! あきらめなかった!!! 今夜のために大石から柔術を習ってまで……運命と戦ってくれた!!!」
無意…だった…だよ!! …そん…事し…もしな…く…同じだ…ん…よ!!

「……梨花さん……」



 ……大石さんがチラリとこちらを見た。
 ……あぁそうさ。逃げたつもりは無い。あきらめたつもりもない。……確かに大石さんから柔術を習ったさ!!!
 ……でも……負けたんだ。俺は……運命の前に屈したんだよ……!!
 俺は打ち破れなかった。……運命の壁をぶち壊す事が出来なかった……!!!
 だから!!! 守る事が出来なかった!!! 救う事が出来なかった!!!!

「……圭一。あなたは……運命に屈しますですか?」
「……違うよ……古手さん……。……俺は……もう負けたんだよ……」
「……いいですか圭一。あなたは一つ勘違いをしているようなので言っておきます」
「……?」
 勘……違い……?
 は……はは。俺が……勘違い……? ……は……ははは……!!
 俺が……何をどう思い違えていたっていうんだよ……!?

 俺はキッとにらみつける。
 ……俺に間違えなんてなかった。だって、それを認めちまったら。……本当に……何のためにこんな事をしたって言うんだ。
 俺は間違ってなんかいない。それを……認めたくない。
 ……だが、古手さんは睨みつけられようと俺の目から視線をはずさない。

「圭一が今している思い違い。……それは」
「…………」

「あなたは一人で戦っているのではないという事」

…………………………!!!!!!!

 ……古手さんは……にぱっと……笑った。
 俺の事を笑ったんじゃない。
 ……俺に……微笑みかけてくれた……。

「気づくのが遅くなってごめんなさい。一度降りた舞台だけど、もう一度登ってみたの。今夜は、私も戦った」
「……――――ッ……!!」
「……だけど、お母さんは……居なくなってしまった。……私も……負けてしまったの。戦う事も出来ずに……リタイアさせられたわ」
…………………………。
 ……そう……か。
 古手さんは……俺が神主さんを追っている……間に……。
 ……私も……か。耳が痛いよ……。

「大石。悪いですが、ちょっと席をはずしてもらえないでしょうか?」
「ん? 何か都合の悪い話でもするんですかぁ?」
 大石さんはんっふっふっふと笑う。
 古手さんがああ言うのは……おそらく、大石さんには聞かれたくない話だ。
「大石さん。俺からも、お願いします。……あなたが聞いても、おそらくいい気分はしないと思いますから……」
「……んっふっふっふ。お気遣いありがとうございます。……それじゃ、後は梨花さんにまかせるとしましょうか」
 ……大石さんも、大人だ。
 自分が関わっていい話、そうじゃない話。……関わるべき話、そうじゃない話。
 ……それらを、全て分かっているようだった。

 大石さんが見えなくなった頃、古手さんはくるりと振り返って……言う。

「圭一にはまだ言っていなかったわね。……羽入の事……覚えているかしら?」
「……あ……あぁ。覚えてるよ。あぅあぅ言ってる、あいつだろ?」
 三年前と二年前に会っているからな。
「そう。……その羽入なんだけどね、異変が起きたのよ」
「……異変……」

 ……異変と聞いて……すこし、ピンときた。
 三年前の昭和53年の時と……二年前の昭和54年のあいつの事を考えると……ちょっと考えればすぐに分かる。

「……羽入の目に……何かあったのか?」
「……あら、知っていたのね」
 古手さんは少し驚いた顔をする。……誰も知りえない話……って事か。
 つまり、発覚したのは今年……。
「分かるさ。この、俺の眼は……あいつからもらったようなものだからな。……要は、ここ三年で……俺が無駄に眼の力を使ってしまたせいで……羽入の身に何かが起こっているんだよな?」
「ええ。古手家の書物を調べても何もなかったけど……そういう予想は私にもついたわ。……正確には、視力が落ちている。視界がかなりぼやけているみたいなの」
「――そ……そんなに……!?」

 ……何てこった……!!
 この眼は……俺が持っているだけで羽入に迷惑をかけているってのかよ……!?

「だったら……!! この眼を早く羽入に返してやらないと!」

 俺は少し声を荒げて古手さんに詰め寄る。
 ……でも、古手さんは……首を横に振った。
「いい、圭一。その眼は、神様からあなたへの贈り物。返す事は出来るけど、羽入はまだそれを望んでいない」
「……どういう意味だ……?」
「まだ返す時じゃないって事。その眼は、二年後……昭和58年に、六月を越す事が出来たら……返してくれと、あの子はそう言っている」
「……」
「あの子も、悩んだの。今まであきらめていた『運命を乗り越える』という、私達の最大の目的。羽入は、いつもマイナス思考でね。……私もそうだった。……だから、あの子は乗り越えるのではなく、少しでも永らえる事を私にいつも言っていたのよ」
 ……よくは分からないが、茶化したり笑い飛ばしていい話ではないとは思ったので、俺は古手さんの話を真剣に聞く。
「だからこそ、悩んだ。運命の壁を乗り越えるための行動は、あの子が長い間やってきた事を……否定する事だから。自分はどうしたらいいのか、悩んでくれたの」
「……」
「悩んだ結果、羽入は私と……圭一と共に戦ってくれる事を選んだの。そのために、圭一がより強くあるために眼が必要なら、全てが終わるまであなたに預けます……と。私はそうあの子から言い預かったわ」
「……そうか。…………そう……だよな……」
「私、羽入、圭一。三人そろえば何とやら……とも言うわよ? ……とにかく、あなたは一人で戦っているのではないの。それを、ちゃんと分かって?」
「……あぁ。ありがとう。……ありがとうな……古手さん……」

 ……畜生……俺の視界までぼやけてきやがる……。
 ……分かってる。分かってるさ。何でぼやけてくるのかなんて……分かっている。
 一度でも、ぬぐってしまえば、視界はまた復活するだろう。……でも……俺はそれをしない。……してしまったら、羽入を否定してしまうような気がして……。
 ……こんな、前もロクに見えないような状態になっても……お前は俺と一緒に戦ってくれるんだな。……ありがとう、羽入。
 ……古手さんも……よく、舞台に戻ってきてくれた。
 俺は……一人で戦っていたわけじゃ……なかったんだ……。

「それに……悪い事ばかりじゃないわ。『敵』の姿が……ぼんやりとだけど、見えてきたの」
「……え……?」
「まだ確たる証拠があるわけじゃないけど……。鷹野三四……知っているわね?」
 鷹野……?
 ……あぁ、一年前に……会ったな。
 俺達が埋めた死体の事を何故か知っていた……何というか、近寄るのが……嫌な奴だ。
「鷹野の直属の部下である……『山狗』。今回の犯行は、彼らが行った可能性が高いの。……実際に戦ってみて、初めて分かったわ」
「……山狗……? そいつらが、……オヤシロさまの祟りを……引き起こしたっていうのか?」
「そうよ。山狗は秘密工作部隊。それをやってのけようと……何ら不思議じゃないでしょ?」
「……なるほど……。確かに、俺も奴等の一人と戦ってみたが……明らかにそこいらに転がっているようなチンピラを集めた感じじゃなかったな」
「私も、即効性の睡眠薬か何かで眠らされたわ。そんなもの、普通の人は持っていない」
「……入江診療所が関わっているとなると……その矛盾も晴れる……か」
 ……そうか。
 俺は……完全に負けちまったものかと思っていたけど。
 ……逆だ。確かに、今回の有様を見れば、俺達の負けは誰が見ても明らかだ。
 だが、転んでもただじゃ起きないのが俺達ってもんだ。……本当に、仲間の存在というのは心強い。
「何故彼らがこんな事をするのか……動機がまったく分からないけど、警戒しておいた方がいいわね」
 ……確かに、警戒するに越した事はなさそうだな。
 秘密工作部隊だなんて、それっぽにもほどがある。
 ……だが……ふと、思った。
「……古手さん。監督は……どうだろう? 監督も、そういう奴等の一味なんだろうか?」
 入江診療所の所長であり、三年前、誘拐犯のもとへ行く時に出会って、後に赤坂さんを助けてくれた監督。……赤坂さん、あの時は包帯でぐるぐる巻きにされてたな。
「……入江……? ……彼は絶対に違うわ」
 以外にも、あっさりと返事が来た。
 少々驚いたが、疑う必要は皆無だ。
「……そうか。信用しよう。……なら、思ったんだが……監督には早急にこの事を知らせた方がいいんじゃないか?」
「……そうね。……でも、今はまだ早すぎるわ。来年……もしくは再来年。伝えるのは、どちらかね」
「分かった。……そうか。……俺達はまだ……完全敗北しちまったわけじゃねぇんだな……」
「その通りよ。今年の事件が……起こってしまったのは本当に悔しいけれど。私達は……お父さんとお母さんから『敵』の正体を教えてもらった!!」
「……あぁ、そうだな……! こんなところで膝ついておいおい泣いてる暇なんかねぇ……!! 彼らの残した情報を無駄にしてはいけないんだ……!!」
 俺はむくりと立ち上がり、拳をぎゅっと握る。
 ……そうだ。もう、負けられない。絶対に……負けるわけにはいかないんだ……!!!
 
「……圭一。あなたに……まだ言わないといけない事があります」
「……? 何だ?」
「……ありがとう」

 ……それだけ言って、古手さんはにぱ〜☆と笑った。
 ……うん。やっぱり、こうじゃないとな。

「……あぅあぅ……圭一、居るのですか……?」
「……! 羽入か。ああ、居るぜ」
 眼を変化させないと羽入の姿は見えない。……昔は声も聞こえなかったみたいだが、今は……声だけなら、ちゃんと届いている。
 ……どうやら、今までの話……ずっと聞いていたみたいだな。
「羽入……」
「改めて、羽入なのです。よろしくお願いしますなのですよ」
「前原圭一だ。よろしくな」

 そう言って、俺は手を差し出した。
 ……眼を変化させるのは、羽入にとって……いい方向には働かない。
 だから、俺は誰も居ない、空に向かって手を伸ばしたのだけれど。

「……羽入……」

 ……見えた。
 俺には、確かに見えたんだ。
 ……一瞬だったけど。羽入は……ちゃんと、俺の手を握ってくれた。
 
 ……はは、本当に……仲間って奴は頼もしいや……!
 
「圭一、そろそろ……移動の時間なのです」
「……あぁ。また、来年会おう。古手さん、羽入」
「えぇ。待っているわよ」
「……あ、そうだ。古手さん、一ついいかな?」
「何かしら?」
 ふと、思った。
 俺はこの時代に魅音と出会ったけど……昭和58年、俺が雛見沢分校に来た時。
 魅音は、この昭和56年の事は特に何も言っていない。
 ……なら、今回の事を……俺に言わないようにしておかなくてはならないだろう。

 祭具殿へ行くまでに、俺は手短に古手さんに事情を説明した。

「……っていうわけなんだ。魅音に、よろしく言っておいてくれ」
「分かりました。ボクも、同じように覚えていないフリをするのですよ。にぱ〜☆」
「はは、頼むよ。…………じゃあ、行ってくる!」

 思いかんぬきは、いつの間にかはずされていた。
 扉が古い建物を思わせる、軋んだような音をたてて……ゆっくりと開く。 
 この中に入るのも、久しぶりだな。

 ……昭和……57年か。
 次こそは。……次こそは……!! 絶対に……奴等の思い通りになど……なりはしないからな……!!!
 
 軋む音を立てて、祭具殿の扉は……ゆっくりと閉じる。
 ……最初は怖い、としか思ってなかったが。
 ……今じゃ、心地いいくらいだ。

 ……昭和57年の悪魔ども。
 首洗って……待っていやがれ!!!!


 扉が、完全に……閉まった。






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