其の三【プレゼント】






「……く……ふぁぁあ……」
 ……寝ぼけ気味に大あくびをして……俺は、目を覚ました。
「……」
 俺は、寝巻きでいつの間にかいつもの古手家で俺が間借りしている部屋に居た。
 ……まだ、頭が睡眠を求めているのか、視界がぼやけている。
 それから、しばらくぼーっとしていた。
 ……何と言うか、自分でも何もする気が起きなかったというか、ぼーっとしたかったからだ。
 ……窓からは朝日が射し込んでいた。時はすっかり朝か。

 えーと。

 確か俺は昨日、沙都子からタライの三連コンボを食らって……。
 そのまま気絶、だったな。
 ……ようやく思い出した。

 俺はいつまでも動こうとしない体に渇を入れるために両頬をパン、とひっぱたき、立ち上がって部屋の扉を開けた。
 扉を開けると、いつもと変わらぬ古手家本宅が見えた。
 俺が借りている部屋は離れなので、本宅まで行くには靴を履いて行く必要がある。
 俺はぞうりを履いて、頭を掻きながら本宅へと向かった。

 しばらく地面を歩いて、家の扉を開けると中からいい香りがしてきた。
 ジュー、という何かを焼く音と、トントン、ザクザクと包丁で物を切っている音。
 俺は、音の発生源へと向かって歩き、その部屋の扉を開けた。
 ……すると、
「みぃ、圭一。おはようございます」
 そこには古手さんがおり、予想を裏切らずエプロンをつけて料理を作っていた。
「あぁ。おはよう」
「昨日は朝食も取らずにさっさと行ってしまったので、今日はちゃんと食べるのですよ」
「……ありがとな」
 俺はそうつぶやいて、部屋に置いてある朝食を取るときにいつも使っている机のもとへ歩き、イスを引っ張り出して腰を下ろした。
 ……昨日……か。
 綿流しから、二日が経った。……まだ(・・)、二日しか経ってないのか。
 綿流し当日も……昨日も……一日一日が本当に長かったような気がする。

「圭一、お皿取ってもらえますか?」
「……あ、あぁ。えーと……」
 古手さんがフライパン、食材と格闘しつつ、背をむけたまま俺に指示を出した。
 彼女は身長が少し足りないので、料理を作るときはいつも台を使っている。だから、あっちやこっちで作業をするのにいちいち台を動かす必要があるので、俺も手伝う事が多かった。
「今日のメニューは何なんだ?」
 メニューが分からない事にはどの皿を出していいのか分からない。
「お味噌汁にベーコンエッグ、あとキャベツの千切りなのですよ」
「りょーかい」
 俺はカチャカチャと音を立てながらメニューに適した皿を食器棚から二枚ずつ取り出し、古手さんのもとへと持っていく。
 この作業も、もう慣れたものだった。

 ……それにしても、いつも料理を作ってもらっていて思うが、古手さんの料理の上手さには驚かされる。
 朝、昼、夜、――最近は昼を家で食べない事が多いが――どの時間帯の料理でも難なく作ってくれるのだ。
 まだ幼い……もとい、若いというのに本当に素晴らしい事だと思う。……って、これじゃ俺が年寄りみたいだな。
 まぁいいや。
 今は彼女の料理をゆっくりと味わう事にしよう。

 古手さんは俺の持ってきた皿に、作りたての料理を盛り付けていく。
 俺はそれを再び持ち上げて、テーブルの上へと乗せていった。
 俺がその作業をしている時、古手さんは茶碗にご飯をよそっていた。
 ……そうこうしているうちに、ただのテーブルはあっという間に食卓へと変貌した。
 俺と古手さんは席に着き、手を合わせる。

「「 いただきます 」」

 食事の挨拶を終えた俺は、勢いよくご飯を口の中へとかきこみ、味噌汁をすすった。
 よく考えれば、昨日は朝も昼も夜も何も食ってない。箸という武器を手に入れた俺の手は、ご飯をこれでもかというくらいに口内へ放り込んでいった。
 詰め込みすぎて喉につまりそうになるが、古手さんがクスクス笑いながら水を差し出してくれたので助かった。
「そんなにあわてて食べなくても大丈夫なのですよ」
「腹減ってたから、つい……な。……おかわり!」
「はいはい」
 そう言って差し出した空のお茶碗を受け取った古手さんは、笑顔を崩す事なく二杯目のご飯をよそい、俺へと再び差し出した。
 それを受け取った俺は、今度は標的を別の皿へと向ける。
 ……そこにあるのは、ベーコンエッグとキャベツの千切り。
 それを見つけた俺の手は、瞬間的に獲物を捕らえ、先ほど同様一気に口へと放り込んでいく!
 口いっぱいに詰め込んだ俺は、もきゅもきゅとよ〜〜〜〜〜〜〜く噛んだ後、今度は喉に詰めないように少しずつ飲み込んでいった。
「はぁ〜……。相変わらず美味いなぁー!」
「ありがとうなのですよ」
「いや、礼を言うのはこっちだよ。ありがとな、古手さん」
 いつも美味い料理作ってもらってるし、世話にもなってるんだもんな。
 ……悟史……沙都子にぬいぐるみをプレゼントするって言ってたな。
 俺も何か古手さんにプレゼントしてあげたいけど……いかんせん金が無い。十円が数枚あるが、これで何か買っても意味がない。
 悟史がプレゼントするぬいぐるみは、悟史が汗水流して働いた金で買ったからこそプレゼントとしての価値を持つ。
 現状では俺にプレゼントを買う、という選択肢は無いのだ。バイトをしてもいいが、それでは時間がかかるしな……。
「どうしたのですか?」
「あ……いや。何でもないよ」
「みぃ?」

 ……うぅむ、……外をブラブラしていい手を考えるか……。
 
「ごちそうさま。いつも美味い料理、本当にありがとな」
「みぃ、どういたしまして……なのですよ」
「……今日は俺、ちょっと散歩に行ってくるよ。ここんとこ気が休まる暇がなかったからさ」
「そうですか? それなら、ボクはこれから学校なので、圭一は圭一のやり方で気晴らしをしておいてくださいね」
「あぁ。ブラリとまわってくるよ」

 そういえば、今日は月曜日。古手さんや悟史達は学校か。
 ……これは……俺にとっちゃ好都合だ。
 プレゼントなんてのは突然渡した方が効果大だもんな。

 俺は食器を流し台にさげた後、服を着替えようと思って……ようやく気づく。
 ……何で俺……寝巻きになってるんだ……?

 俺は、ギギギと、後ろに……振り返る。

 ……そこでは……古手さんが、にぱ〜☆ と笑っていた……。




「……今度からは気絶もできんな……」
 部屋に戻って早々、俺は窓を閉めカーテンを閉め、扉には鍵をかけて着替えを開始した。
 着替え終わると、今度はさっきの逆の動作をして状態をリセットする。
 雛見沢で泥棒する輩は居ない。ましてやここは古手神社だ。そんな事をすれば村人から白い目で見られるのは明らかなのだ。
 日が出ているうちは随分暑くなるし、窓なんかは開けておいた方がいい。

 俺は扉の鍵を開錠してからスライドさせ、今度は靴を履いて、朝の日差しが射し込む中を歩いて行った。
 
「……さて……どうするかな」
 独り言をつぶやき、俺は宛ても無くひたすら歩いていく。
 ……魅音にバイトでも紹介してもらうしか……ないのか……。
 ……うぅむ……。

 ……何も思い浮かばない。
 俺は腕を組んで唸り声をあげながら歩いていくしかなく、そんな俺の姿は他人から見ると果てしなく不思議なようであった。

「ど……どうしたのかな……?」
「……ん?」
「何か悩み事……? よかったら相談に乗るよ……?」
「……あ、」
 そんな俺を見かねたのか、それとも物好きなのか、
「レナ……」
 困ったような顔でレナが声をかけてきた……まではいいのだが、俺の視線は自然と……ツーッと彼女の手元へ向かう。
「その鉈は何だ?」
 しかし、その手に握られていたのはあまりにも一少女が持っているものとしては似つかわしくないものであって。
 俺は思わずレナが持っていた鉈を指指して、少し青くなりながら聞いてみた。
「これ? これは宝探しに使うんだよ」
「宝探し? ……シャベルとかじゃなくて……鉈で……?」
「あ、えぇっとね? う〜んと……どう説明しよう……」
「……??」
 レナは人差し指をピンと立てて顎に当て、首を少し傾けながらう〜んと再び困ったような顔をした。
 彼女のつぶやきを聞く限りではどうやって説明すればいいのか分からずに悩んでいるようだが、説明できないような宝探しって何だよ。
「圭一君も来る? 聞くより見たりやったりした方が早いと思うから」
 と、俺が言葉に出さずにひそかに突っ込みを入れたところでレナから「宝探し」の誘いがきた。
 どうしようか少し迷ったが、どうせ行く宛ても無かったのだし、興味が無いと言えば嘘になる。俺は、好奇心の誘うままにOKした。
「それじゃ、ついて来て! レナが最近見つけた秘密の場所に案内するから!」
「お、おい……レナ!」

 レナは振り返ると、タタタタ、と急ぎ足で進み始めた。
 置いてけぼりを食うと見失ってしまうので、俺も急いで後を追いかける。


 ……それにしても……鉈で宝探しか……。一体レナは何をしようというんだ……?
  
 日はすっかり高くなり、日差しも強くなってきた。
 少し前からセミも鳴き始めた。
 そして、レナが林道へ入っていった。俺も後を追い、草木が生い茂る道を進んでいく。
 セミの鳴き声が一層強くなった。……俺は、何だかここを通った事がある気がして……妙な気分になっていた。 
 あまり地形とかに詳しいわけではないが、何故か……この道は何度も通った気がするのだ。

 ……本当に、何でかはわからないけど……。


 それからもしばらく歩き、日差しと長時間早足で移動した事でにじみ出てきた汗が気持ち悪く感じてきた頃に、レナが立ち止まった。

「着いたよ!」
「……これは……」

 そこにあったのは……ゴミだった。
 右も左もあっちもこっちもゴミだらけ。……どうやら、不法投棄されたものらしい。
 ゴミの隙間から見える草木は明らかにここがゴミ捨て場では無いという事を示しており、同時に市の治安の無さが伺えた。

 ……まぁ、それはいいとして。
 俺は、今一番気に掛かっている事をレナに質問した。
「なぁ、レナ。……ひょっとして……宝物ってこのゴミの塊の事なのか……?」
「はぅ、ご……ゴミじゃないよぅ……。みーんな宝の山なんだよ? だよ?」
 ……何と言うか、レナは普通の少女にとどまる器ではない、という事か?
 これがゴミじゃなかったら何だって言うんだ……。まして、宝の山には見えないぞ。
 ……よく見れば、中にはまだ使えそうなものもあり、ゴミと言うのは失礼な品もあるが、俺にとってやっぱりこれらはゴミだった。
 粗大ゴミなので臭いは無いが、ごちゃごちゃした感じは当然の如くそこにあり、あまり長く居たいようには思わなかった。
 俺はレナの方を見る。……かぁいいモードになっている。まさか……このゴミを持って帰る気なのか……?
 ……って……、あぁ、……それで鉈なんか持ってたのかよ……。

「はぅ〜、あっちに新しい山が増えてる〜! お持ち帰り〜☆」
 俺が額に指の先を当てて目を閉じて呆れていると、レナは鉈を持ってフラフラとゴミ山の中に進んで行く。
 目を閉じたので少し反応が遅れたため、気がついた頃にはレナは既に発掘作業に入っていた。……持っていた鉈を、地面――というかゴミ――に向かってガシガシ振り下ろしている。
 俺は改めてレナの凄さを身に感じ、腰を下ろしてしばらくその光景を眺めていた。
 ……だが、レナはどんどん奥へと行ってしまい、時間と共に姿が見えなくなっていく。
 林道からゴミ山への入口に居るとはいえ、レナが見えていないといつ帰ってくるのかが分からないので動くに動けなくなる。
 俺は腰を上げて、レナの姿を見失わないよう前方と不安定な足元を交互に見ながら追いかけて行った。

 そんな事をずっとやっていて、結局俺はレナと一緒にゴミ山を一周する形になってしまった。
 レナは何度も来ているようだからまだまだやれるとばかりにピンピンしているが、さながら俺はフラフラだ。
 何せ足場が悪いため、思うように前に進めない。眼を使って身体能力の向上も試したが、進む時地面を蹴るため、ゴミの上に居るとたちどころに崩れてしまう。
 そのため、俺は通常状態でレナを追いかけるしかなく、そして……情けない事に追いつく事も出来ない。……結局、レナは一人で宝探しを楽しんだようだった。
 
「ハァ……ハァ……お、お前……よくこんな所でそんなに物を発掘できるな……」
 レナの横には、今までの時間で発掘したと思われるガラクタ――尤も、それは俺から見たらだが――が積まれていた。
「レナはもう何度もここに来てるからね。足場の不安定さも慣れちゃった」
「素でお前の事をすげぇと思うよ……」
 俺はそれだけ言って、その場に座り込んだ。
 俺達が今居るのは、俺がレナを追いかけた時のスタート地点。……つまりは、ゴミ山への入口だった。
 レナはあっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返し、ここにお気に入りを溜め込んでいたのだ。
 ……結局追いつくだけの体力が無くなった俺は大声を張り上げて、一旦ここに戻ろうとレナに言い聞かせ、現在に至る。

「……ん……?」
 俺が座り込んだ時、地面についた手に何か硬い物があたった。
 手を動かす度にジャラジャラと音がする。
 一体なんだろうと、俺は地面につけた手の下にある物を握り締め、持ち上げた後……ゆっくりと手を離した。

「……これは……」
「わー、圭一君いいなぁ……! それ、ペンダントだよね?」
 俺が手を開いてその姿を確認するや否や、レナが目を輝かせながら俺に聞いてきた。
 ……なるほど、確かによく見ればペンダントに見えない事もなかった。
 薄汚れていて、首にかけるチェーンもちぎれて使い物にならなさそうだったが、磨いた後にチェーンの代わりを何とかすればプレゼントに出来ない事もなさそうだった。
 ゴミをあげるのもどうかと思ったが、よごれが少ない部分から見えるペンダントの光沢を見る限り、磨けばとても輝きそうだ。
 俺は再びそれを握り締め、ポケットに突っ込んだ。
「圭一君も宝物発見できたね!」
 レナが笑顔で言う。
「あぁ。誘ってくれてありがとな、レナ」
「はぅ……」
 俺は汚れていた手を服で拭った後、レナの頭をわしわしと撫でてやった。
 ペンダント以外に何もレナにお礼として渡す物が無かったので、せめてもの礼という事で取っといてくれ。……これが礼に値するかどうかは分からんが。

 ……そうだ。これくらいで礼をした気分になるのはちと早い。
 レナの手伝いをしてやれば、それこそ真のお礼になると言えよう!

「レナ、もう一回ゴミ……じゃなかった、宝の山へ行こうぜ。今回のお礼って事で、発掘の手伝いしてやるよ。レナ一人じゃ発掘出来なかったのもあっただろ?」
「え……?」
 俺の言葉を聞いたレナは、凄く嬉しいが俺の手をわずらわせたくない、というような複雑な表情をした。
「い、いいの……?」
 ……本当に頼んでもいいのか迷っているようだったので、俺は声を張り上げて言う。
「勿論だ!」
「う、うんっ……! じゃ、じゃあね、こっちに欲しいのがあるんだけど、圭一君お願いできるかな?」
 そして、再びレナの目は爛々と輝いた。
 レナはひょいひょいと軽い身のこなしで奥へと進んでいく。無論、今度は見失わないよう俺も急いで追いかけ、一つの……最も乱雑にゴミが捨てられている場所へとたどり着く。
 そこには、木材やトタン、中には木製の電柱まであった。
 ……なるほど、確かにここはレナ一人で処理するには大変だろう。
「で、どれが欲しいんだ?」
 俺は複雑に絡み合って捨てられていたゴミを一瞥し、レナに問いかける。
「あのね、あのね……! あそこにある、小さなぬいぐるみが欲しいの!」
「あぁ、あれか……」
 レナが言ったのは、ゴミの隙間からその姿を確認できた。
 キーホルダーくらいの大きさの、本当に小さな……かわいらしいぬいぐるみだった。
 ただ、場所が悪すぎる。
 上には木材が散乱しているし、鉈一本でどこまでやれるか不安だな……。
 ……しかし、俺が言い出した事であるわけだし、レナにお礼がしたいのは本心だ。
 俺はレナから鉈を受け取り、思いっきり振りかぶって……振り――下ろす!!

 ガッ!!

「――っくぁーーー!!! な、何つー固さだ……!!?」
「レ……レナもやってみたんだけどね……? 木材が何重にも重なってとても固くて……。上の方のは何度もやれば叩き割れるけど、下の方の木材までどうしても壊す事が出来ないの……」
 ……なるほどな、レナがこのぬいぐるみをあきらめていたわけが分かったぜ……!
 木材はぬいぐるみの上で何重にも重なっている。そして、その木材自体もかなり厚いし、長い。
 鉈を思いっきり振り下ろしても、せいぜい上の木材の半分食い込むかどうか。レナの言う通り、何度もやってりゃ壊れそうだが、よく見ると長い木材同士がいたるところで重なってその重さを互いにかけあっており、一箇所割ったくらいじゃ他の木材の重さで排除するのも難しい。
 俺達が今乗っている木材からぬいぐるみまで……最低限排除しなければならない木材は五つ。
 だが、その五つは先に述べた通り、別の木材が上から乗っかっているために鉈を使って壊すしかない。だが、五回もこんな事をやってりゃ豆だらけになって手が使い物にならなくなってしまうだろう。
 しかも、一つ取り除くためには一本の木材につき二箇所壊し、それによって出来た重さが他からかかっていない部分を一つ一つ取り除くしかないのだ。
「やっぱり……無理かな……?」
「いや! 無理じゃねぇ! 絶対に俺が取ってやるよ!」
「で……でも……」
「俺を信じて待ってろって! いいか、俺が言ったらそれは絶対だ。必ずこの邪魔な木材叩き割って、あのぬいぐるみを取ってやる……!!」
 そう言って、俺は両手で鉈を持ち、勢いよく振り下ろした。
 だが、鉈は先ほど打ち込んだ部分から少し外れてしまい、別の場所に傷跡がついただけにとどまってしまう。
 ……くそ、固いなぁ畜生……!  どうにかして……一発で叩き割れないだろうか……?
 って、そんな方法があるならとっくに使ってる……! 無駄な事考えてる暇があったら地道にやってく方へと少しでも時間をまわした方がよさそうだ……!

 ガッ、ガッ、ガッ、ガッ。
 ガッ、ガッ、――バキッ!!

 俺が振り下ろした鉈は、いい音を立てながら、木材の二箇所ある破壊部分の一方を叩き割った。
「よ……よし……。まず一箇所……」
 くそ、現時点でかなり疲れてるな……。
 ……振り下ろす度に腰を曲げているから、振り下ろしと振り上げでしょっちゅう腰へ負荷が掛かっている事を考えれば当然といえば当然だ。
 だが、約束を守るためなら疲れるところまで疲れてやる……。 体力は休めば回復するんだからな……!
 俺は再び鉈を振り上げ、さきほどまで打ち付けていた部分とは反対側へと……振り下ろす!

 ――バキィ!!!

「……へ?」

 ……何だ……? さっきまでの手ごたえが……まった……くない……?
「うわわ……!! ――ぁ痛てっ……!!」
 おかげで俺はバランスを崩し、その場に倒れこんでしまった。
「だ、大丈夫……!?」
「あ、ああ」
 レナが心配そうに駆け寄って声をかける。……俺はというと、木材が平らになってる所に倒れこんだので怪我は無かった。
 俺は立ち上がって、少し疑問に思いつつも、中心部分を左よりと右よりで二箇所破壊して、一部分だけ取り除けるようになった一本目の木材を手に取った。
「……! なるほどな……」
「どうしたのかな……? かな?」
「見てみろよ、レナ」
「……?」
 俺は、手に持っていた木材をレナが見やすいように前に出した。
「……あ……!」
 レナもそれを見て、はっきりと気づいたようだった。
 
 俺がさっき鉈を振り下ろして……一撃で叩き割れた理由。
 それは、木材の裏側にあったのだ。

 表は風に当たったりしていたために固いままだった木材。
 ……だが、ひとたびひっくり返せば……。
 ……そこには、腐ってしまって黒ずんだ部位が確かに確認できた。
 
 ……そう、表は風通しがいいから砂が積もるくらいで済む。
 だが、雨が降った時や降った後、裏側は密集されて湿気ったままだ。……その結果、木材は表は綺麗に見えるが、裏側は実は腐っていた、というような何とも不思議な現象を起こしていたのだ。
 そして、切り取った木材を良く見ると、腐っている部分が表側へと侵食していく様をあらわした腐敗面積が、広かったり狭かったりする部分があった。
 これはおそらく、傾いていた木材の上に降ってきた雨が下方向へと流れていった事から起こったものだろう。
 重なり合った木材は、雨が降れば一番上のものがそれを受け、下にあるものは上から流れるものや隙間から降ってきたものに当たる事になる。
 隙間から降ってきたものは一粒一粒だからそれほど影響は無いが、流れてきたものは、木と木が重なりあった……プラモとかで言う接着部分に部分で、隙間に少し溜まった後に流れていく。
 そして、その溜まった部分は乾燥するまで消えないし、木が吸収しても次から次へと流れてくるので結局消えない。
 そのため、傾きの下側から徐々に腐敗が広がり、割れやすい部分とそうでない部分が出来てしまったのだ。

 ……仕組みが分かれば、後は簡単だ。
 まずは傾きをよく見て、片方を破壊。
 次に、破壊した部分の下に先ほどの一本目の……比較的壊れにくい部分を挿し込んでレナに片方を踏ませ、俺の合図に合わせて……鉈を振り下ろし、同時にレナの足にも力を入れさせ、鉈の破壊力とてこの原理を利用して一気に壊しにかかる。
 左側からはレナによる上へと行こうとする力。……そして、俺が鉈を振り下ろす右側からは鉈を叩きつける事による下へと向かう力と、鉈自体についている刃によって……木材は極端に一方へと圧力と傷をつけられ、軋みをあげてみるみるうちに壊れていく……!!

 ――バキッ!!!

「よし……!! いける……いけるぞ!!」
「う……うんっ!」
 
 ここからは、とても楽な作業だった。
 二本目を壊した俺達は、三本目、四本目、五本目にも同様の処理を施し、次々と破壊していく……!

「ハァ……ハァ……ッ、やった……! これで……五本目も壊したぞ……!」
 俺は肩で息をしながら、すっかり他の部分より低くなってしまった足場にしゃがみ、五本目の木材を放り投げる。
 そして、そこに落ちていた……小さなぬいぐるみを拾い上げた。
「ほらよ、レナ!」
「あ……ありがとう、圭一君……!」
 ぬいぐるみを受け取ったレナは、とても嬉しそうな表情で俺に何度もお礼を言った。
 俺からすればお礼のためにやった事だから、逆に礼を言われるのも何だか変な感じだったから、適当に理由をつけてレナに礼を言うのを止めさせた。

 そうして、二人して笑っていると……。
「……! ……ひぐらしが鳴き始めたな……」
「本当だ……。わわ、もう空が赤くなってる……」
 レナがそう言って、俺は初めて日が暮れているという事に気がついた。
 ……それだけ集中していたという事だろうか。……とにかく、時間の経過にまったく気がつかなかった。

 そろそろ古手さんも帰って来る頃だろうか……?

「……ん……?」

 ……あれ……?
 古手さんで……思い出した。

「レナ、学校はどうしたんだ?」
「……え?」
「今日、月曜だろ? お前、学校行かなくてよかったのか?」

 考えてみれば、レナが……朝から、ずっと俺と一緒にここで宝探しをやっているのもおかしな話だった。
 レナは今年引っ越してきたらしいし、引越しをしたというのなら同時に転校手続きもしたはずだ。
 って事は、レナは雛見沢分校の生徒って事になるはずだが……。

 ……俺はレナへと視線を送る。……俯いていて何もしゃべらない。
 それからしばらく黙っていたが、こちらも黙ってみていると、レナは顔を上げて、苦笑いを浮かべた。
「あ、えっと……。……あはは、仮病使って……休んじゃった……」
「はぁ……!? な……何で……?」
 俺が声を高くして聞くと、レナはフッと微笑を浮かべてと向こうを向いて、ゴミ山へと歩いて行く。
 夕日に照らされたゴミ山は、もうゴミに見えない。ただただ、朱い塊がそこにあるのみだ。
 そして、それをどんどんのぼっていく……レナ。
 俺は、その不思議な光景を前に……何も……できなかった。 

「ここが、レナの秘密の場所だから」
「……?」
 レナは、俺に背を向けたまま語り始めた。
「ここはレナが見つけた、レナだけの空間。ここには誰も来ないし、来ようとも思わないの」
「……ぇ……」
 声が漏れたが、それだけだった。
 他にしゃべれない。……いや、俺自身がしゃべろうとしない。
 俺は、レナの次の言葉を……待った。

「だから、ここに来ようと思ったの。……他の人にとっては、ここはただのゴミ山でしかないけれど」
「……」

「私、言ったよね?」

 レナは、空へと向けていた視線を、振り向いた後……俺に向けた。

「ここは、宝の山(・・・)だって」



 ……そう、俺に告げたレナの表情は……どこか、寂しそうだった……。



「……何か……悩みでもあるのか……?」
「……」
 レナは再び俯いて、何もしゃべらなくなった。
 ……それだけで、分かる。
 返事をしないという事は、それはYESという意味だ。仮に違うのならば、否定すればいい。
 こんな時の沈黙というのは、本当は悩みがあるが、打ち明けたくなかったり、また、打ち明けようかどうか迷っている時に訪れる時が多い。
 悩みがあるからYESと言うのがここでは正しい。でも、本当に打ち明けていいのか分からない。だからと言って、NOと言えばもう打ち明けられない。
 ……どう返事をすればいいのか、分からない。
 ……そのせいで、沈黙が訪れるのだ。

 ひぐらしだけが、この場が沈黙へと沈まないように必死に声を出している。
 ……俺は開いていた手をギュッと握り、顔を上げてレナを見つめた。
 レナは相変わらず俯いていたが、おかげで俺が顔を上げたのが見えたようで、少し驚きを見せた。

「レナがどんな悩みを抱えているのか分からないし、俺が打ち明けるに値しないのなら無理に打ち明ける必要はない。だが、これだけは覚えておいてくれ!」
「……」

「俺も、魅音も、悟史も、沙都子も、詩音も、古手さんも……皆、お前の仲間だっていう事をな!!」

「――っ」
「お前の敵は居ない。もし害を与える者が居るってんなら、俺達がそいつをぶちのめしてやる! 俺は仲間を見捨てないし、裏切らない。それだけは絶対のものとしてここに約束する!」
 ……それが、仲間だから。
 雛見沢に住んでいるのなら、もう俺達は仲間だ。
 誰かが困っているのなら必ず助けに行く。

 一人に石を投げられたら、二人で投げ返せ。
 二人に石を投げられたら、四人で石を。
 八人に棒で追い回されたら十六人で。
 千人に襲われたら村人全員で立ち向かえ。

 雛見沢は絶対に仲間を見捨てない。
 そして……俺も、雛見沢の一員だ!!
 
「もし、レナが悩みから目を背けているというのなら。……それは間違っていると断言してやる!」
「……!」
「目を背けるな!! 前を見ろ!! 逃げる事を考えるな!! 立ち向かうんだよ!! 一人で足りないなら二人で!! 二人で足りないなら四人で!! 四人で足りないなら八人で!!」
 俺は、朱い塊の上で見つめているレナへと、どんどん言葉を並べていく。
 ……策略や戦略を考える時は最高にクールに。
 ……相手に自分の意思を伝える時は最高に熱く!!!
 それが……不器用なりに編み出した俺の一つの答えだ!!!
「それでも足りないなら村人全員を誘え!! 仲間を増やす事は自分で戦わないとか、逃げる事じゃない! 敵を迎え撃つ準備をする事だ!!」
 レナは何も話さず、ずっと俺の目を見ていた。
 ……その、寂しげな表情と瞳は……段々と輝き始める……!!

「仲間から距離を置くな!! 仲間に打ち明ける事を恥じるな!!! それがどんな悩みであろうと……誰もお前を見捨てたりしない! 一緒に肩を組んで、前へ踏み出す手伝いをしてくれるはずなんだ!!!」

 ……今年になって、俺は悟史から教わった。
 仲間を信じろ。信じた以上は、絶対に疑うな。
 仲間は常にお互いの為に動いている。自分自身のためだけに勝手な行動をするような奴はここ(雛見沢)には決して居ない!! 
 疑ったらそれで最後なんだ。
 足音に怯え、視線に怯え、精神を削り取られ、さらなる疑心暗鬼に取り付かれる。
 そうならない為にも、仲間を疑う事は絶対にしてはいけない事なんだ。
 レナは、仲間を疑ったりしてはいないだろう。
 だが、信頼しきれてない(・・・・・・・・)ようだ。
 雛見沢に来てまだ日が浅い、というのもあるのだろう。
 だが、信頼しきれないという事は、いつしかささいなきっかけを境に仲間を疑う事へとつながってしまう!
 それだけは絶対に避けなければいけない。
 あの恐怖は、人を確実に狂わせていく……!! 

「明日にでも、魅音達に相談してみな。勿論、全員に相談する必要は無い。自分が……この人なら絶対の信頼をおけるって人に、打ち明けてみろよ。打ち明けられた側は、誰一人として逃げないぜ。ちゃんとお前の話を聞いて、ちゃんと解決方法を見出してくれるはずだ」
 
 俺は、沈みかけた夕日でわずかに照らされた足場に注意しながら、レナのもとへと歩いていく。
 ……そして、彼女の頭に手を置いた。

「そして、いつの日か……お前も、誰かから相談してもらえるような存在になれよ。雛見沢では、そうなって初めて一人前って事なんだからな」
 そして、俺も……レナに負けないくらいの笑顔になって、優しく言ってやった。
「……」
 レナはしばらく黙っていたが、夕日が完全に沈みきると同時に、
「……うん」
 小さな、レナの……精一杯の声が、聞こえてきた。

「ありがとうね、圭一君……」
「……もう日も暮れた。……帰ろうぜ」
「……うんっ……!」

 そうして俺達は、沈黙に包まれたゴミ山を後にした。

 
 ……結局、レナの悩みが何だったのかは分からなかった。
 でも、きっと大丈夫だ。
 レナなら、すぐに解決してみせるだろう。
 自分の力だけじゃ駄目なら、誰かに相談すればいい。
 彼女は、今日それを学んだはずだ。……俺が、悟史から教わったように。

 俺は、空に浮かんだ美しい満月に手を伸ばした後、
「ひゃぅっ……?」
 そのまま手をレナの頭の上へと移動させ、優しく撫でてやった。

「レナ。学校ってのは、楽しいもんだぜ?」
「え……? え? きゅ、急にどうしたのかな?」

 レナは頭に疑問記号を浮かべながら俺に聞いてくる。
 
「ま、それはいいとして。……とにかく、これからは学校サボったりしたら駄目だ。間違いなく損した気分になるからな」
「……?」


「……レナ」
「……何かな……?」


「……来年……昭和58年の六月に入ってすぐ、『前原圭一』って奴が雛見沢に引っ越してくるんだ」
 俺がそう言うと、レナは再び疑問記号を頭の上に浮かべた。
 ……俺が何を言っているのか分からないのだろう。……そりゃそうだ。俺がこうしてここに居るのに、引っ越してくるだなんておかしな話だもんな。

「……まぁ、とにかくそいつが引越してくるから、その時はよろしく頼むな。……それと、転校初日に魅音と古手さんが俺の事で騒ぐと思うけど、レナは何も知らないふりをしてほしいんだ」
「……?」
「俺からのお願い……聞いてくれるか?」

 俺は頭を撫でるのを止め、レナの正面に立って……俺が真剣に言っているのだという事をアピールした。
 ……すると、レナはにっこりと笑い、
「うん。圭一君がそう言うならそうするね!」
 ……と、非常に頼もしい声のトーンでそう言ってくれた。

 ……まぁ、こんなもんだろう。
 魅音には古手さんが言ってるはずだし、レナもこうして言い聞かせた。
 後は沙都子だが……「またトラップに引っかかりにきた」とか言ってたから、何も言わなくても大丈夫だろう。


 ……さて……。今日は疲れた。
 明日は午後から悟史とプレゼント買いに行かなきゃならんし、今日は帰ってもう寝よう……。


 俺はふああ、と大あくびをしながら、レナと一緒に帰路についた。
















 *     *      *



「……ふぁー……。もう夜かぁー……」
 私は、ベッドからよそよそと出てからカーテンを閉めた。

 あれから、私は本家の方で一泊していく事になった。
 私は園崎詩音であり、昔からあまりいい思いはしていなかった。
 ……だけど、昨日……私は鬼婆に認めてもらえた。

 圭ちゃんに、梨花ちゃまに、沙都子に、悟史君のおかげで。

 お姉に聞いた話だと圭ちゃんは二年前、悟史君、沙都子と一時期一緒に暮らしていたらしい。
 それから、引越しで雛見沢を出て行ったけど、途中で北条家の両親と共に失踪。
 その後足取りがつかめず、翌年の綿流しの直前にまた現れたのだという。
 ……きっと、二年前悟史君達と暮らした事のある圭ちゃんだからこそ、悟史君と沙都子を救い出す事にあれほどの執念を見せてくれたのだと思う。
 そして、悟史君もまた……圭ちゃんと一緒に暮らしていた事があったから、彼には心を開いていた。
 綿流しのお祭りで悟史君、圭ちゃんと合流した時、悟史君はいつもの悟史君に戻っていたもの。
 今年も殺人事件はおきちゃったけど、悟史君は……圭ちゃんによって救われた。
 ……もし、彼と話をした圭ちゃんじゃなかったら。……きっと、悟史君は何も変わらないままだったと思う。
 二年前の北条家と圭ちゃんとの接触があったからこそ、悟史君は救われたんだ。
 ……そして、沙都子。
 沙都子は、両親の「温もり」を知らなかったと聞いた。
 幼いうちから何度も何度もお父さんが変わっていって、段々と悪戯をするようになった……って。
 だから、当然二年前に消えた両親にも、心を開かず、温もりなんて知らなかったはずなのだ。
 ……でも……ここでも、圭ちゃんが関与してきた事によって、家族仲は復活した。
 北条家の両親も、悟史君も、沙都子も、笑顔を取り戻して、沙都子はここで初めて「温もり」を感じたんだ。
 ……だからこそ、今年のお祭りで私が温もりの事を言ってあげた時に……思い出す事が出来たのだ。

 ……つまり、もし……圭ちゃんが居なかったら。
 悟史君も沙都子も、絶対に救えなかった。
 そして、今の悟史君と沙都子が居なかったら。
 ……私は、爪を剥がされていただろう。

 ……圭ちゃんは、私達に「誓い」を立てた時に涙を流していた。
 そして、その中には「祟りを起こさない」というのもあったはずだ。
 ……結局、圭ちゃんは今年も防げなかったみたいだけど、私はそうなって……今の、この姿こそが悟史君にとっても沙都子にとってもベストなのではないかと思ってる。
 叔母があのまま居座り続けたら、結局は一緒なのだ。
 だから、この姿こそが一番正しいものだと、私は信じてる。……だから、
 
 ……って、話が脱線しちゃった。

 ……えぇと、圭ちゃんは祟りを起こさないと言い、そして……二年目の事件と重ね合わせてみる。
 確か、圭ちゃんはその時北条家の両親と一緒に失踪した。
 ……だけど、翌年に再び現れた。……でも、北条家の両親はやはり現れなかった。(・・・・・・・・・)
 同じように消えたというのに、何故圭ちゃんだけ帰ってきたのか。
 ……お姉の話では、去年圭ちゃんは祭りの途中で祭具殿の入口付近を見た時……何かに気づいたようにどこかへ走り去ったという。
 ……そして、三年目の祟りは、やはり起こってしまった。

 ……仮に、最初の年のオヤシロさまの祟りにも圭ちゃんが同席していたというのなら……。
 
 圭ちゃんが昭和54、55、56年の祟りに遭遇し、それらを止めようとしていたとすれば……。
 ……私が、一番気になっていた……「四年前から姿があまり変わっていない」という事も……ある仮説で説明がつくのだ。
 
 圭ちゃんは、時を一年毎に移動している。

 最初の年で事件に遭遇し、オヤシロさまの祟りが幕を開けた事を……知ったまでとは行かずとも、感じ取るくらいはしたはずだ。……そして、第二の年で悟史君達と暮らし、目の前で両親が亡くなった。これにより、圭ちゃんがもうあんな事が無いように……と誓ったとするならば……。
 ……そうしたのならば、第三の年……、つまり去年。祭具殿の入口に何かの「痕跡」が残っていたと仮定すれば、梨花ちゃまの両親が消されると感じて行動に移したのも納得がいく。
 そして、やはり祟りは防げず梨花ちゃまのご両親は祟りに遭って消えた。
 それによって、知り合いの両親が……二度も「目の前で」消されるという事を体験したのだとしたら……今年の祟りを防ごうとしていたのも……やはり納得がいくのだ。

 そして、それをしようと思えば一年待つ必要がある。
 でも、一年待っていたら……圭ちゃんくらいの年頃の男子なら、確実に成長するはずなのだ。
 ましてや、今年は昭和53年から四年経っている。……私も、こうして成長した。
 ……それが、無いという事は……。
 ……やはり、「時間を移動している」としか考えられない。

 それが、一体何の力で……何故圭ちゃんがそのような境遇にあるのかは分からない。
 ……けど、彼は確実に……雛見沢をいい方向へと引っ張ってくれている。
 ダム戦争を勝利に導き、オヤシロさまの祟りを三年連続で時間を跳躍し、短期にわたって食い止めようとした事。……そして、二年目で北条家のもとに居た事で今年の祟りを防ぐともいかなかったけど、悟史君と沙都子を救い出す事に成功した。
 彼は何の為にここに居るのか、と聞かれれば、「雛見沢を守るため」と言っても、おそらく過言じゃない。
 彼は友人や知り合いを助けるために必死になっているだけなのかもしれないけど、それは結果的に雛見沢を「オヤシロさまの祟り」という脅威から救っている事と何ら変わりないのだ。
 そして、今年になってようやく彼は友人を救った。
 
 ……悟史君と沙都子を助け出そうと、彼は家に押しかけるまでしたのだ。
 きっと、二人を助けたいって気持ちは一段と強かったのだと思う。
 だからこそ、今までの積み重ねが彼に味方し、今年の……そう、「奇跡」を呼んだのだ。
 
 圭ちゃんは……言っていた。
 努力している奴はきっと幸せになれる。真実の幸せを手に入れられる。
 そして、彼は三つの誓いの中に、「私と悟史君の幸せ」という項目を取り入れた。
 そして、「悟史君と沙都子を笑顔にする」というのも誓いの中にあったはずだ。

 ……つまり、彼も私と同じなのだ。

 「自分以外の大切な人が幸せになる事」こそが、「自分の幸せ」であるのだ。


 ……つまり……私達を笑顔にする事が、彼にとっての幸せ。
 そして、彼は四年という長い年月をかけて……その間に行った「努力」によって、私達を見事笑顔に……幸せにしてくれた。
 それは同時に、圭ちゃんの幸せでもある。

 ……何が言いたいかと言うと、圭ちゃんの言っている事に、間違いは……やはり無かったという事だ。

 
 圭ちゃんは、未来で掴む可能性のある幸せのために今まで努力してきた。
 その努力は、彼に幸せを与えた。
 私達も、彼のおかげで幸せになれた。
 本来なら最悪の場でしかなかった……昨夜の地下祭具殿の場を……私の今までの人生最大の「幸せな場」へと変貌させたのだ。
 他人の幸せを望む事こそが彼の幸せなのだ。
 彼は努力してまで、他人の幸せを望むのだ。

 ……でも……一体、何故?
 
 正直、普通の人間は……あそこまで他人のために努力するなんて思えないし、思わない。
 恋人とか、家族とかならまだ分かるけど……悟史君や沙都子……ましてや、私なんてどちらにも当てはまらないのだ。
 それなのに、何故……?

 ……そうか。

 彼は、雛見沢の為に国を相手に皆の先導を切って戦ったのだ。
 そんな人が、雛見沢を守りたいと思って……どんな不自然があるというのか?
 ダム戦争で先陣を切るだなんて、よほどの勇気と雛見沢への思い入れが無ければ出来ない。
 つまり、圭ちゃんには雛見沢に対して思いいれがあったのだ。
 ……圭ちゃんが初めて雛見沢に現れたのは昭和53年。
 それ以前は、どこに居たのかは分かっていない。……本人も何も話さないし、話を聞こうとした人もおそらく居ないだろう。
 
 ……もし……圭ちゃんが、未来から来た人間なのだとしたら。

 ……今年までに「前原」という家族が雛見沢に住んでいた記録も記憶も一切無い。
 つまり、彼の家はまだ無く、でも、雛見沢に対して思いいれがあったというのならば……可能性は一つしか残されていない。
 ……これから(・・・・)作るのだ。
 きっと、もうすぐどこかの空き地に家が建つ。
 そして、その家に「前原圭一」が引っ越してくるのだ。
 
 彼はここでの生活をとても気に入る。
 何故って、お姉もレナさんも梨花ちゃまも沙都子も悟史君も、圭ちゃんの事を知っているんだもの。
 圭ちゃんは、ダム戦争を勝利へ導いて、それから沙都子と悟史君を救ったのだ。
 勿論、お姉ともレナさんとも認識がある。一昨日のお祭りは遊び倒してやったじゃないか。
 だから、すぐに皆の中に溶け込むのだ。
 ……だからこそ、彼は雛見沢の事が大好きになるのだ。

 そして、ある日……時を遡り、昭和53年へと落とされる。

 そうだとするのならば、自分の大好きな雛見沢がダムの底に沈む……という事を聞いて、行動するのも納得がいく。
 そして、ダム戦争は終結。彼はもともとここの人間ではないのだから、きっと元の時代へ戻ろうとするはず。
 ……だけど、それが出来なくなってしまったのだとしたら……??
 ……そう、「一年一年雛見沢の同じ時を移動していく」という条件のもと帰る事になるのだとしたら。
 
 ……全てに……説明がつく……!!



 ……圭ちゃんについて色々考えてみたけれど。……只者じゃないって事は確かだ。 
 ……でも、私にとって……圭ちゃんがどんな人であるのかなんて関係ない。
 彼は私達を幸せまで手を引っ張って導いてくれた人。……それだけなのだ。
 彼のおかげで私達は救われたのだ。
 ……私も、いつか彼へ恩返しをしなくてはいけない。勿論、圭ちゃんはいらないとでも言うだろう。
 でも、それだけは譲れない。
 悟史君と、沙都子と、一緒に圭ちゃんも幸せにしてやる!

 ……それが、これからの目標かな。
 悟史君とは……両想いに……なれたし……♪
 
 
「詩音さん。……詩音さん。居ますか? 詩音さん」
「……はっ……! あー、ごめんごめん!」

 ……色々考えていたから、さきほどから葛西が私の部屋のドアを叩いていたのにまったく気がつかなかった。
 我に返った私は、ドアをガチャリと開けて葛西を向かいいれる。

「……よかった、爪や指の方は何もされなかったようですね」
「って、地下室から無事帰ってきた私に対しての第一声がそれですか? まったく、葛西はデリカシーのない」
「しょうがないでしょう。……まさか、本当に彼らがやってくれるとは思ってなかったのですから」
「ちちち、駄目ですね葛西は」

 私は人差し指をピンと立て、左右に振ってからニヤリと笑う。

「自分で言った事でしょう? 私の事をよろしく頼むって。それなら、最後まで彼らを信じてあげなきゃ! ……そんなんじゃ友達なくしますよ?」

 それを聞いた葛西は微笑を浮かべて、
「……そうですね」
 とだけ言った。
 ……ちなみに、葛西がどんな事していたのかは園崎にはやはり筒抜けだった。
 本来なら指とか爪とかとお別れの挨拶というところだけど、私の存在が正当化されてたおかげで葛西も助かったのだ。
 
 それから、私は葛西から昨日の話をうんと聞いた。
 このマンションの入口付近で何が起こっていたのか。
 どうして葛西は二人を連れて行こうと思ったのか。
 それから、圭ちゃんと悟史君の言動をこと細かく。
 ……それは、聞いていてとても気分が良かった。……気のせいかもしれないけど、話している葛西も楽しそうだ。

「おーい。詩音ー!」

 私が葛西の話に耳を傾けていると、再びドアをバンバン叩く音が聞こえた。
 私はとてとて歩いてドアを開ける。

「母さん、いらっしゃい。今日はどうしたの?」
「何だい、風邪ひいたっていうから見舞いに来てやったんだよ? ……あぁ、葛西もいるじゃないか!」
 そこに居たのは、母さんだった。
 愉快そうな顔をしながら、相変わらずの着物姿で立っていた。

 ……そうそう、私はあの後熱を出したのだ。
 色々と、詰める事が出来るものは全部詰めたような日が続いたから、一気に緊張が解けたのかもしれない。
 私は昨夜から出た熱に唸りながら、園崎本家の人に車をまわしてもらってここまで帰ってきたのだ。
 後は、ずっと眠っていた。
 そして、現在に至るわけだけど。
 ……ねぇ、母さん。酒瓶を片手にお見舞いと言われてもピンと来ないんだけど……。

「ご無沙汰しています」
「あーもう、あんたは堅苦しいったらありゃしない。三人しか居ないんだし、昔みたいにタメ口で仲良く語り合おうじゃないか!」
「……ご冗談を」
 葛西の姿を発見した母さんはずかずかと部屋に入りこみ、酒瓶を机に置いてベッドに腰を下ろした。
 二人と父さんは昔からの友人だそうで、他の人が居ないところじゃ母さんはこんな風に無作法というか、自分の意思のままに行動するようになるのだ。
「そういやドアの外まで話し声が聞こえてきたけど、ありゃ何話してたんだい?」
「圭ちゃんと悟史君の事だよ。昨日の事で話しまくってたってわけ!」
「中の様子については私は詩音さんに聞き、地下に入るまでの事は私が詩音さんにしていました」 
「あぁー、あの二人ね。あの悟史って子、よくもまぁ地下まで入ってきたもんだよ。私が同じ立場だったら怖くて近づけないけどねぇ」
「悟史君、私の為に来てくれたって言ってたよ」
「詩音もますますあの子にお熱だねぇ。ま、鬼婆様からも許可出た事だし……こうなった以上私ゃ二人の幸せを祈ってるからね」
「……ありがと」
 それだけ言って母さんは持ってきた酒瓶に手を伸ばし、葛西にかんぬきとグラスを持ってこさせてトポトポとつぎはじめた。
「それにしても……悟史君……だっけ? あの子にも驚いたけど、圭一君にゃさらに驚かされたね」
 グラスの中の酒をくいっと飲み干して、母さんが口を開く。
 私もグラスを取り出して中にそれをつぎながら、口を開いた。
「圭ちゃんは超突猛進な面があるからね。これだ、って思った事はとことんまでやる人だもん」
「……面白い子だよ。本当に面白い子だ。何者にも臆す事なく、逆に睨み返してくるくらいだからねぇ。将来絶対大物になるよ、あの子は」
「母さんが二の句を失うなんて、目の前の光景が信じられなかったよ」
「あー、あれかい」
 私はグラスの中に溜まった液体を少しずつ口の中へと入れていきながら母さんの話を聞いていた。
「……あれはねぇ、本当に一本取られたよ。私は相手が何言おうと即座に相手が言った言葉に対しての否定的な意味を持つ言葉を思いつくっていう、鬼婆直伝のへんてこな特技があるんだけどねぇ」
「……」
「思いつきはしたよ。……『そんな人は居ない』ってね。でも、言えなかった」
 そう言って、母さんは葛西の方をチラリと見た。
「葛西も含めて……義郎さんも私の旦那も……魅音も……鬼婆もさね。……いや、園崎の者が皆、詩音。……あんたの事をず〜っと心配していたんだからね」
「へ……? 鬼婆もなの?」
「ああそうさ。ただ、私達は園崎家であるわけだからね。けじめつける時はつけなきゃならない。……自分の孫だからってあまり甘やかし過ぎると他から白い目で見られるだろう? あんたは生まれた時既に一度甘やかしてもらってるんだからね」
 ……あぁ、双子が生まれたら後に生まれた方は殺せってやつか。
 ……ん〜、厳密に言うと私は庇ってもらってないんだけど、それを言うと話がややこしくなるので私はあえて黙っていた。
「……そんなわけで、皆長年で身に着けた『見て見ぬふり』使って早く終わるのを待ってたのさ。……あんたには誤解させてたかもしれないけど、誰一人としてあんたを嫌ってる輩は居ないんだよ」
「……つまり、茜さんが思いついたその言葉を言うという事は……」
「……園崎全員を敵に回すって事。……圭一君もよくこんな機転利かせたねぇと今でも思ってるよ」
「……私がここにこうしているのは、不服?」
「んにゃ。さっきも言っただろう? あんたが無事に事を終える事が出来て……本当に良かったよ。鬼婆も圭一君にゃ感謝してるみたいだしねぇ」
「悟史君には無いのかなー」
「あの子には、詩音との交際を認めるっていうので既に借りは返してるって鬼婆ずっと言ってたよ。まったく、屁理屈考えるのだけは得意なんだから……」
 母さんはふぅ、と一息ついて、再びグラスに酒をついでいった。
 ……屁理屈……か。
 それで、あんなにもスムーズに母さん圭ちゃんに言い返してたのか。
 鬼婆で慣れてたんだから、そりゃ言い返しやすい事この上なかったんだろうな。
 ……まぁ、だからこそ虚をつかれた言葉に言い返せなくなった、ってのもあったんだろうけどね。
「でもまぁ、鬼婆の悟史君に対する認識は大きく変わったよ。地下まで乗り込むのは、さっき私が言ったけど大変勇気が居る事だからね。鬼婆はその勇気をちゃんと見てる」
「……そっか……」
 私は、そっと胸をなでおろした。 
 ……これなら、私と悟史君の交際は……今後安全を約束されていると言って大丈夫だろう。

「私は中に居なかったので詳しい事情は知りませんが、茜さんの目から見てあの前原圭一君という少年はどう映りましたか?」
「圭一君ね……。……ん〜、さっき言ったとおりかね。将来大物になる。……これは間違いないね。それから、」
 そこで母さんは一旦しゃべるのを止めた。
 そして、酒を一杯飲んだ後……。
「園崎はまた彼に世話になりそうな気がするんだよねぇ。何となくだけど」

 私と葛西は目をパチクリとさせた。

「へー……。母さんにそこまで言わすとは……。……流石ダム工事中止させただけあるわー……」
「……ほぅ、あの少年が噂に聞くダム戦争を終結させた少年ですか」
 葛西が驚いたように私達へ問いかけた。
「何だい、葛西。あんた知らなかったのかい」
「面識が無かったものですから。ダム戦争を終結させた少年の名前も耳には入れましたが、何せやる事が多いもので、忘れていましたよ」
 ……まぁ、無理もない。
 葛西と圭ちゃんは昨日が初見だろうし、葛西の業務は多忙を極めるものが多いから。
「あんたもまだまだだねぇ!」
 そんな葛西を、母さんはとことんまでおちょくろうと色々言っている。
「精進しますよ」
 だが、母さんと私の扱いだけは誰にも負けないのが葛西であって、他に適役などいない。
 私達の相手をいつもしている葛西は、冷静に、すらりとかわしていた。

 私はそんな二人のやりとりを横目で見ながら、悟史君が笑っている所を頭の中で浮かべていた……。



 *     *     *
  


 

 ……朝……か。
 いつものように、いつもの部屋で俺は睡眠を取り、いつものように朝を迎えた。
 窓から射し込む日差しも普段俺が浴びているものであり、今ではこの空間で朝を迎える事で安らぎを感じるほどになっていた。

 昨夜、正直思い出したくもない事があった。
 思い出したくないので思い出さない。……うん、あれは勘弁してくれって感じだったな。うん。
 ……まぁ、色々あって、俺は倉庫の中からやすりを引っ張りだしてからペンダントをずっと磨いていた。
 ……結構夜遅くまでやっていたので、朝と言ってももう十時半だ。
 だが、おかげでペンダントはピカピカになった。表面の模様は全部研いじまってなくなってツルツルになったけど、輝きは俺が見込んだ通りのものとなっていた。
 寝る前に発見したが、このペンダントには細工が施してあり、汚れがひどい時は出来なかったのだが、綺麗になっていくにつれそれが出来るようになっていた。
 ペンダントの中央より少し横に親指を当てて、横にスライドさせると……二枚に分かれていたペンダントが、上部分を残して完全に離れるのだ。
 やろうと思えば、上のフタにあたる部分を一回転させる事も出来る。
 ……つまりは、小さな物をしまう事が出来るスペースが、ペンダントには隠されていた。
 
 俺はすっかり綺麗になったペンダントを手にとり、フタをスライドさせた。
 ……と言っても入れる物が無かったので、俺はコンパスの針を使って、ペンダントの内側をガリガリと削り、文字を書いていく。


「……うし、完成だ!」
 そして、文字を完全に刻み終わり、俺は伸びをして……ついでにあくびをした。
 昨日は朝日が見えるまで徹夜をしていたので、まだまだ眠い。

 ……だが、これ以上は爆睡モードに入りかねず、そうなると悟史との待ち合わせに遅れる可能性が出る。
 それは少し困るので、俺は布団を蹴飛ばして立ち上がり、カーテンを開けた。

 ……そして、空を見ながら……ふと、来年の事を思った。
 今年が昭和57年で、来年は……昭和58年だ。
 思えば、昭和53年から……色々やってきたけど、もう少しで……俺はあるべき時代へと戻れるんだな……。

 ……え……? ……あれ?
 ……もう……少し……?
 何で俺は……そんな事を思ったんだ?
 確かに、綿流しはもう終わった。……いや、だからこそ(・・・・・)今の俺はおかしいんじゃないか。
 今まではどうだった?
 ……例外無く、俺は綿流しのお祭りの日のうちに次の年へとやって来たはずだ。
 それが、綿流しはもう二日も前に終了したっていうのに、まだ俺の身の回りで時間移動の兆候は見えない。
 ……まだ帰れないという可能性が高いってのに……何で俺は……?

 ……そういえば、今年だけは何故か執行猶予までの時間がやけに短かった。
 ……それが……関係してるのか……?

「……」

 ……って、こんな朝っぱらから何をごちゃごちゃと考えてるんだ俺は……。
 俺がまだ次の年へと進まないのはまだ俺が「帰るべきじゃない」からに決まってるだろ!
 多分、俺にはまだやらなきゃいけない事があるんだ。
 それを遂行しなければ、俺は永遠に帰る事は出来ないんだよ。
 ……なら、俺がしなければならない事って何だ?
 
 ……今の所は、悟史と一緒に興宮まで行ってぬいぐるみを買う事ぐらいしか思い浮かばないが……。

 ……まぁいい。流れに……まかせるとしよう。

「あぅあぅ……」
「……!」

 俺が腕を組んで唸り続け、一応の結論にまで達した時、部屋の隅っこから羽入の声が聞こえてきた。
 俺はハッとして多少俯き気味だった頭を上げ、声のした方を凝視する。
「羽入か……」
「……あぅ」
「何だ? 俺に何か用か?」
 俺は視線を動かさず、羽入の返事を待った。
「……圭一、ありがとうございます」
「――え……?」
 ……だが、返って来た言葉があまりに俺の想像を超えていたので、俺は思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
 俺はなおも、視線を逸らさずに黙って見つめる。
「……僕は……圭一が今年に来てからずっと、後ろであなたを見守っていたのですよ。……えへへ、気づかなかったですか?」
 羽入は、少し得意げに……苦笑いから無理矢理作った笑顔で言った。
 それから、少し俯いて……羽入はさらに作り笑いを重ねて……笑顔のまま、また……俺を見る。
「……あなたが居なかったら、悟史も、詩音も、沙都子も……ずっと、心を閉ざしたままになるところでした。……ギリギリ、あなたの救済措置が間に合った事によって、今年の『結果』は大きく変わろうとしています」
「……」
「……僕は……それが嬉しいのですよ。……特に……あんなにも楽しそうで……幸せそうな悟史を……僕達は『昭和57年』に見た事がありません」
 羽入はとても嬉しそうだった。
 ……嬉しそうに見えた。

 ……。

「……羽入、お前……」
「圭一。……梨花は、あなたに本当に感謝していました。悟史を笑顔にしてくれてありがとう。詩音を笑顔にしてくれてありがとう。……そして、何より。……沙都子を、笑顔にしてくれて……ありがとう、と」
 羽入は俺の言葉をさえぎって自らの言葉を重ねた。
 まるで、俺の言葉が何であるかがわかっていて……それを、俺の口から言わせたくないようだった。
「……沙都子……そんなにひどかったのか……?」
「……圭一が居ない世界だと、沙都子が……あなたが知っているあの笑顔を取り戻すまで、半年近くかかるのです。……まず、悟史が失踪して……沙都子は自分が捨てられたんだという事に気づきます。……そうして、悲しくて……辛い思いをして、初めて気づくのです。……『にーにーはもっともっと辛かったんだ』……って」
「……」
「それに気づいても、まだ、悟史が自分を捨てたという事が信じられなくて。……それを、沙都子が認めるまでに半年かかります。……そして、それを認めた沙都子は……『自分がしっかりして、にーにーが帰ってきた時に胸を張って迎えられるようにならなくちゃ』って思って……、その上で……ようやく、沙都子は笑うのです」
 ……話題を逸らそうとしているのか、それとも沙都子の事について純粋に俺に伝えておきたいだけなのか。
 俺には……それがわからない。……だから、羽入が言葉を終えるまで黙って待っていようと思った。
 ……羽入は、それを望んでいる。

「それを、何度も目の前にしてきた梨花だから。……沙都子が、辛さと悲しみの上でつくり上げた笑顔を持つのではなく、純粋な気持ちで……自然な笑顔を取り戻してくれた事に……心の底から、親友へと涙を流していたのです。圭一が寝入った後の事なので、あなたは知らなかったと思いますが……」
「……あー、それは俺のおかげじゃないよ。詩音のおかげだ。……礼言うならあいつに」
「いいえ。これは、全て圭一の頑張りが影響して起きた事。最初の年、第二の年……第三の年。一つでも欠けていたのならば、あなたはここまでの奇跡を成し遂げる事は絶対にありませんでした」
 その、羽入の言葉に……俺は、昔の嫌な記憶を掘り起こされた気分になり、少し顔色を悪くする……。
 ……でも、羽入は……あくまで、淡々と語った。
「最初の年を終えて第二の年へと進んだ時……圭一は何を思いましたか?」
「……何を……って言われてもな。……ただ、あの時はひたすらに怖かったよ」
「……そう。あなたがあの時感じた恐怖は、その後どうなりましたか?」
「どう……って……。……あ、」
 そこまで言われて、俺は今更のように気がついた。
 ……あれから、二年もの年月が経って、俺は……脳裏に俺が感じた事を……ようやく鮮明に映し出す……。
「悟史と……北条家の皆と出会って、段々と薄れていったんじゃないですか?」
 羽入はにっこりと笑ってそう言った。
「あ……ああ。そうだ。……だからこそ、俺は……第二の年での『祟り』を経験した時、こんな理不尽があってたまるかって……そう思った」
 ……そうだ。
 昭和55年の……あの、夏は。
 沙都子の具合が急変して……巻き起こされた。
 あれは誰の責任でもない。誰が悪いというわけでもないんだ。
 ……あれは……本当に、「事故」だった。
 ……それなのに……周りの奴等はあれを祟りだ祟りだと言い、いつまでも沙都子を傷つけていったんだ。
 だから……俺は思ったんだった。水面下で……無意識のうちに。

 ……この世は、何故これほどに理不尽で溢れているんだ、……と……。

 沙都子が何をした?
 幼い頃からなれない環境におかれて、それでも……二年前も、……今だって……あいつは笑ってる。
 本当なら、第二の年の……あの時のように、暴れまわってもおかしくないのに。……精神的に、異常をきたしても……あいつは何ら不思議じゃないんだ。
 それなのに、あいつは笑っている。
 どんな時も、沙都子が笑っているから俺たちも笑っていられた。
 沙都子が笑顔になると、皆が笑顔になるんだ。

 ……あいつだからこそ。……沙都子だからこそ、それは出来るのだ。
 沙都子は、二年前の記憶と……今年、叔母に極限まで追い詰められた事……。……その二つが身にしみているからこそ、今……笑顔を取り戻した沙都子が、その笑顔がどれほど尊く、大切なものかを知っている。
 だから……あいつはいつでも笑っているんだ。
 周りをも、無意識のうちに一緒に笑顔にさせてくれる。
 それを、沙都子は知っているから。……もう、誰の悲しんだ顔もみたくないから。
 だから、沙都子は笑顔になる。その、愛らしい笑顔を……ふりまいてくれるのだ。

 どんなにつらい環境下に置かれたって。
 どんなにつらい過去を持っていたって。
 
 沙都子は、……俺たちに、笑顔を分けてくれていたのだ。


 その沙都子に。
 ……何故、傷つけるようなマネをする?
 何故、沙都子から全てを奪おうとする?

 それは、あまりに理不尽だった。

 無防備な姿を無理矢理曝され……そして、そんな沙都子から全てを奪っていくのだ。
 ……何が?
 ……そんなの……決まっている。
 ……オヤシロさまの……祟りだ。

 そして俺は。

 ……それに、怒りを覚えた。



 
 何故、オヤシロさまの祟りなんていうのが存在するんだ。
 何故、オヤシロさまの祟りは、存在するだけならまだしも……沙都子を追い詰めようとするんだ?
 何故だ? どうして。

 どうして沙都子を追い詰める? どうして悟史を追い詰める? ……どうして……北条の名を持つ者を追い詰める!!?
 ……良い人達だった。
 沙都子達のご両親は、とても良い人達だった。
 沙都子も、悟史も……北条家の中に悪い奴らなんて一人もいやしない。
 
 ……ダム戦争時に、彼らが賛成を示したのは正直俺も解せない。
 俺も、あの時は……北条家はわずらわしい存在でしかなかった。
 ……だけど。……触れ合ってみて、俺は……ようやくわかったのだ。

 彼らは、沙都子の笑顔が欲しかったんだ。

 雛見沢の……あの家で、沙都子と悟史の母親は何度も再婚した。  
 そして、そのたびに……忌まわしい記憶が沙都子を傷つける。
 ……それは……沙都子の新たな親父となった……その人の、最大の悩みであったんだ。
 ……だから。
 彼らは……「引越し」という手段を取ろうとしたんじゃないか……。

 ……引越しをするのなら、もう雛見沢に住むのではないという事を意味する。
 ……だから、彼らは……園崎に喧嘩を売ったのだ。
 ……怖かったはずだ。聞いた話では、彼らはあのお魎婆さんに面と向かって罵声を浴びせたという。
 それは、とても……恐ろしかったはずなのだ。
 あの場で、園崎の者に取り押さえられて、そのまま殺されてもおかしくないのだ。
 ……園崎お魎に直に……俺みたいな子供ではなく、大人である身で喧嘩を売るというのは、それほどの事を意味するのだ。

 ……だが、彼らはやったのだ。

 沙都子の中の、忌々しい記憶と共に。



 ……雛見沢を……忘れるために。




 ……あの二人は……子供思いの、とてもいい……両親だったんじゃないか……。
 ……俺は……それに、今まで……気づいてやる事も出来なくて……。

 ……彼らの気持ちが……今頃になって、俺にひしひしと伝わってくる……。
 
 そして……彼らの無念が……伝わってくる……。
 
 ようやく、新たな生活をスタートできると思ったのに。
 何て……悲しい……結末なんだよ……。……何て……。

 ……でも。
 それは、自分達が沙都子を……愛しきれてやれなかったと言って……彼らは受け入れた。
 沙都子が、二人に向けた牙を……彼らは、止めなかった。
 あえて、それを……受け入れたのだ。

 ……だって……そうだろ?

 俺たちが落下したあの谷は。
 ……落下するまでの位置に歩いていけば、とても見晴らしがいいんだ。
 沙都子が隠れてこそこそ近づき、突き落とした……なんて事は、絶対に出来なかったはずなんだ。
 
 二人は、後ろから近づく足音に……振り向いた。
 そして、それが沙都子だと知って……表情をやわらかくして、微笑んで。
 ……両手を広げて、沙都子を……迎え入れようとしたんだ。

 ……でも……向けられたのは、鋭い牙だった。

 ……前に突き出された……沙都子の手は、二人のバランスを崩した事だろう。
 

 ……そう、二人は……真正面から、沙都子の……「牙」を受けたのだ。
 


 俺が、自分で言ったじゃないか。



 身体的差がある。
 視界に入っている状態でそんな事をされそうになったら、誰だって抵抗する。


 ……それを。
 ……二人は、あえて……受け入れた……。



 ……落下しながらも……沙都子の笑顔を願って。
 ……沙都子の、幸せを願って。

 彼らは……深い……深い、闇の中へと……消えていったのだ。

 ……我が身を犠牲にして。
 沙都子の幸せを、永遠に……願い続けたのだ。

 
 落下してゆく二人の表情を見て、沙都子は確実に驚いたはずだ。
 ……二人の顔は、沙都子に向かって……やわらかく微笑んでいたのだから……。



 ――沙都子、どうか……幸せに。







 ……俺の目頭が……急に熱くなる。
 その、全てに……気づいた時。
 俺は……涙を流していた。
 
 ……言いようの無い……悲しみが……俺の中で、溢れていく……。

 
 彼らは……幸せを願って戦ったのだ。
 ……努力をしたのだ。
 園崎家に喧嘩を売って……雛見沢の村民全員に喧嘩を売ってまで、自分達の幸せのために……戦ったのだ。

 ……その、結果が。

 ……こんな事に……なるなんて……ッ!!
  
 ……ッ……ぐ……!!!


 そんなのって……ねぇよ。
 あんなにも頑張ったんじゃないか。
 沙都子に笑顔になってもらおうと。
 あんなにも……戦ったんじゃないか……!!

 ……傍目から見たら、そのやり方は間違ってるなんて意見が出るかもしれない。
 ……だが、もしそんな奴が居るというのなら、俺がそいつを叩きのめしてやる……!!
 引越しの資金なんて、地道に稼いで、こつこつ溜めていけばいい。
 ……あぁそうさ、確かにそうだ。自らが汗水流して働いて、その結果得たお金で引越しをするのが一番さ。

 ……だが……沙都子には、それを待てるほど……時間がなかったのだ……。
 小さい頃から、何度も何度も傷つけてしまった事を、沙都子のお母さんは嘆いたのだ。
 どうして自分は傷つく沙都子へ目を向けられなかったのか。
 どうして自分は、自分自身の事しか考えずに何度も再婚したのか。
 それを……悔やんだはずなのだ……。
 そして……沙都子の、義父。
 彼は、そんな沙都子と……自分の奥さんとなった彼女を見て、思ったはずなのだ。

 自分が何とかしなければ。

 一家の大黒柱は、今や自分自身なのだ。
 自分がどうにかしなくて誰がするというんだ。
 ……何とか……しなくては……!!

 ……そう、思ったに……違いないのだ……。


 二人は、金のために戦ったんじゃない。
 沙都子の為に……戦ったんだ……!!!!

 でも……それは結局……叶う事はなくて……。
 ……ならば、せめて……あのお金は、悟史と沙都子が……立派になるまで、不自由なく暮らせるように。
 ……そうして、彼らが……悟史と沙都子に残した……お金だったのだ……!!!

 それを、食い荒らされて。
 悟史が、どれほど怒りを感じたか? 
 それだけじゃ飽き足らず……沙都子を苛め抜いて!!!

 悟史が……どれほど怒りを感じた事かっ!!!!

 
 ……そうした……各々の「想い」が、北条家を……再び、惨劇の舞台の上へと……引きずり出した……。


 ……誰も悪くなんかない。
 断じて、誰かが悪いわけではないんだ。

 ……元凶は……全て、オヤシロさまの祟りなのだ。
 第二の年で……祟りが起きなければ、北条家は今も……どこかで幸せに暮らしていた事だろう。
 第二の年で……祟りが起きなければ、叔父叔母夫婦が沙都子達のもとへとやってくる事もなかったのだ。
 ……祟りが無ければ、悟史だって、殺人を起こす必要なんて……なかったのだ。

 そうさ。

 ……誰も……悪くなんかない。

 オヤシロさまの祟り。
 二年目までは……二つとも衝動的なものだった。
 だから、俺もそれほどこの問題について真剣にとやかく言おうとは思わなかった。

 ……だけど。
 第三の年の……犯行は。
 明らかに、何者かに指示されたものなのだ。
 
 やる必要の無い事を。

 ……どうしてわざわざする必要がある……?

 それによって傷つく人が必ず出てくるというのに……!!
 何故……そんな事をする必要がある……!!?

 

 腸が煮え繰り返そうになった。
 あの時の憤怒の感情は、今でもはっきりと覚えている。

 そして……その、いたずらに実行されたオヤシロさまの祟りは。
 ……今年……昭和57年に、新たな惨劇を生んだのだ。

 ……そう。
 祟りは、翌年の祟りを呼び寄せる。

 だからこそ、俺は……第二の年で防げなかった……「オヤシロさまの祟り」を本気で恨んだ。
 ……そして、それを消滅させようと……行動に出たのだ。


「……圭一の、その『思い』は。……あなたの行動の糧となり、そして……奇跡を起こしました」
 俯き、涙を流していた俺にそっと寄り添い、羽入が言葉を発した。
「……」
「圭一が何を思って、何を感じ取って……戦っていたのかは、僕には分かりません。……でも……僕はずっと、確かにこの「目」で見続けました。前原圭一という一人の少年が、勇敢に運命に立ち向かっていく姿を。……段々と見えなくなっていったけど、僕は……確かに見てきたのです」
「……羽……入……」
「そして……僕は今も、これからも……。……あなたのその意思があり続ける限り、あなたと共に戦おう。あなたは、奇跡を起こす力を秘めている。それに気づいていないだけで、確かにその力を持っているのです」
「……」
 ……その、羽入の……一言一言は。
 ……俺の沈んだ心を……溶かしていってくれた。

 俺が、不甲斐なかったから。
 俺のせいで、祟りは何度も起こってしまったものだと思っていたから。

 ……だけど、それは間違いだったんだ。

 突き崩していけば、祟りを「実際に起こした人間」が一番悪いのだ。
 ……よく考えてみろ。
 一年目と二年目は先に述べたとおり衝動的なものであり、それに直接的な非は無い。
 四年目……今年の祟りも、以前に起きた三つの祟りの上にあって初めて成立したものだ。
 ……だが……三年目……!!!!
 あれは……間違いなく誰かの指示のもと、集団で祟りを起こしたに……違いないのだっ……!!!!

 ……動機が何故なのかは知らないが……意図的に祟りを実行した……あいつらが……。
 ……あいつらが……余計な事さえしなけりゃ、こんな事は……もう、起きる事もなかったのに……!!
 
 ……俺がただ単に責任をなすりつけているように見えるだろう。
 確かにそうかもしれない。俺自信が防げなかった事を、やっている人間が悪いのだと言い張り、自分を正当化しようとしているだけだ。
 ……だけど。
 俺は、どうしても……許せなかった。
 祟りを意図的に起こすという事は。
 ……人間を二人、この世から消し去るという事を意味するんだぞ!!?
 そんな事を……意図的に……計画を立てて実行されてたまるかよ!!?
 
 ……標的となった古手さんの両親が何をした!!!!?
 ……触れ合ったから……分かるんだ。
 親父さんの方は、厳しくしかる時は厳しくし、優しく微笑みかける時は本当に優しい人だった.……!!
 奥さんの方は、古手さんの事を誰よりも心配していて……、とても……とても、家族思いな人だった……!!!

 その人達が!!!

 一体何をしたっ!!!?

 何故!!! 何故消し去る必要があった!!!?
 
 ……自分勝手なわがままで……人を殺していいと思っているのか!!?
 ……秘密工作部隊? 山狗?

 ふざけるな!!!!!

 人を殺すために……消し去るために居る部隊が……一体何の役に立つというのか!!?
 そんなものは雛見沢にはいらねぇ!! さっさと出ていきやがれ!!!!
 平和な日常を壊すだけの存在が……この村に必要なわけがねぇだろうがぁぁあぁぁあ!!!!!

 ――ッくそったれぇぇえぇぇぇえ!!!!

「……う……っ……く、……うぅ……」
「圭……一……」
 
 ……畜生……。
 ……畜生……!!! 

 やってやる……。相手が何だろうと……俺が全て叩きのめしてやる……!!!
 その為に俺はここに居るのだ。その為に俺は大石さんから戦闘技術を学んだのだ……!!!
 相手が誰かは最早関係ない。
 平和を乱すか、否か。……俺にとって、戦う理由はそれだけで充分だ……!!!
 平和が乱れれば、必ず涙を流す人が出てくる。必ず誰かが傷つき、必ず誰かが消えてゆくのだ……!!!!
 俺はそれを断じて許さねぇ!!!! 
 涙を流す人の悲しみが……どれほど大きいものか……。
 消え行く人の無念が……どれほど大きいものか……!!!!!
 俺は……そうなっていった人達をこの目で見てきた……!!

 だから……分かる!!!!

 もう、これ以上の涙を……雛見沢で流させてはいけない。
 悲劇は……もう充分だ……!! 惨劇なんてもってのほか!!!!!
 
 守ってやる……。
 俺が……絶対にこの村を守ってみせる……!!!  
 この村の人達を……!! 絶対に守ってやる!!!!
  
 オヤシロさまの祟りは、俺が必ず消し去ってやる……!!! ……この……理不尽にも繰り返される、惨劇のサイクルを……止めるために……!!

「圭一」
「……」
 羽入が声をかけてきたが、嗚咽がひどくて声が出せない。
 俺は……黙ってその場にうずくまるばかりだ……。
 ……羽入は、続ける。
「……圭一は、皆をひきつけて、先導する能力を持っています。……そして、その能力が無ければ、奇跡は起こす事が出来ない」
「……え……?」
「奇跡は、『信じあう心』が生み出すのです。……圭一は、奇跡は待っているものか、それとも掴み取るためにあるものか……どちらだと思いますか?」
 俺はそれを聞き、涙を拭って……嗚咽を必死に押さえ込み、口を開いた。
「こ……後者だ。俺は……奇跡なんかに頼って待つなんてマネは絶対にしない。わずかでも出来る事があるのなら、それを実行する。無いのなら、それを見つければいい」
 俺は涙をぬぐって、羽入へと向かって言う。
 ……目の変化はさせてなかったけど。
 羽入の姿は……俺の目にはっきりと映っていた。  
「……その、何が起きようと決して立ち止まらず突き進もうとする勇気と、強さ。……そして、あなたがこの四年間で築き上げてきた絆が、さらなる奇跡を起こす事でしょう」
「……」

「僕も、だんだんワクワクしてきたのです。圭一が、これからどんな奇跡を引き起こしてくれるのか。……あぅあぅ☆」
「……へっ……」

 俺は一旦視線を逸らしてから、再び羽入を見つめる。

「じゃあ後ろからよーく見てな! 奇跡だろうと何だろうと、それで悲劇をとめられるのならば引き起こしてみせるぜ!?」
「あぅあぅ、頼もしい限りなのです」

 俺は握りこぶしを作って、それを見つめた。
 
 ……もう、何も起こさせない。
 俺が……絶対に止めてやる。
 たとえこの先……何があるのだとしてもな……!

 俺がまだこの世界にいる理由。
 ……これから……何かが起こるんだ。
 
 ……ならば。
 ……もう、絶対にそれを許すわけにはいかない。  

 それを食い止めるべく、今……俺はここに居るのだから……!!

「……古手さんは……もう学校だよな?」
「あぅ。梨花は圭一を起こしにきましたけど、何をしても起きないので朝ご飯だけ作って学校に行ったのですよ」
 ……何をしても……ね。
 それがごく一般的な意味で使われた事を切に願う。

「……俺は……どうするかな。とりあえず午後までは暇なんだが……」
「……なら、圭一。僕と遊んでくれませんか?」
「羽入と?」
「あぅ、最近梨花が構ってくれなくて遊んでもらってないのです。僕だって思いっきり遊んだりしたいのです」
「……そっか。おう、それは一向に構わないぜ」
「あぅあぅ〜☆」
 ……羽入のこういう面を見ていると、彼女が神様なのだという事を忘れてしまいそうだ。
 何百年……いや、もっと長くかもしれないが、それくらいの時を羽入はずっと眺めてきたと古手さんから聞いた。
 ……だが、見た目と年齢はまったく比例していないし、性格も精神的な年齢も全然年をとってない。
 
 俺は無邪気に笑う羽入を見ながら、そういえば遊ぶのは久しぶりだなと思いつつ、歩を進めて部屋の扉を開けた。





 *     *     *




「うー……頭痛いー……」
 ……目が覚めて、第一声がこれ。
 ……太陽の日差しが差し込んでいて、私は朝を迎えた。
 爽やか? 何ですかそれ?
 朝っぱらから頭痛がひどいったらありゃしないです。……まだ微熱がある上に二日酔いときたもんだからこりゃたまったもんじゃないですね。
 ……だるくて何もする気がおきない……。
 
 ……そんなわけで、私は目が覚めてからずっとベッドの上で唸りながら横になっていた。
 頭はズキズキしてるし昨日も外に出てないし今日も無理そうだし……。あぁもう、最近きゅんきゅん☆ してませんねぇ……。
 悟史君……お見舞いに来てくれないかなぁ……。

「はぁー……」
 
 ……あー、これいけない……。……本当、調子に乗って飲みすぎた……。

「大丈夫ですか、詩音さん」
 そう言うのは、私のお目付け役の葛西だ。
 私が目を覚ましたら呼び鈴を鳴らして壊れたレコーダーみたいに「詩音さん」って連呼してたから、このままじゃ五月蝿いのでとりあえず中に入れた。
 ……あぁもう、このズキズキなんとかならないかなぁ。


 ( ・3・)もー、母さんが病人のお見舞いでお酒なんか持ってくるからです。ぶーぶー。
 ( ■-■)飲む飲まないは詩音さんの判断ですよ。


「……葛西も暇ですねぇ〜……。こーんな朝っぱらからお見舞いにわざわざ足を運ぶなんて」
 私はベッドに潜り込んで、葛西に背を向けてからそう言ってやった。
 だって、本当にそう思ったんだもん。
「今はもうお昼ですよ」
 葛西は持ってきていたビニール袋から何かを出しながら私に返す。
「……へ」
 ……そう言われて、私は時計に視線を流した。
 ……午前十一時四十三分。うぁー、私ってそんなに寝てたの?
 て言うか、全然気づかなかった。……よく見ればレースカーテン越しに射し込む日差しで出来た影は、朝……というにはあまりにも面積が少ない。
 ……とりあえず、私は葛西がビニールから出していた軽食をいただく事にして、痛む頭を抑えながらのそのそベッドから這い出した。
「……今日バイトあるんだよねー……。どーしよ……」
 サンドイッチをほおばりながら私は頭を抱えた。
「お休みになってはどうですか?」
「ドタキャンはまずいっしょ。午後からだけど、代わってくれる人もそう居るもんじゃないし」
 昔っからドタキャンされた方からいい印象とかイメージは受けない。
 私の生活費のあてはエンジェルモートのバイトだけだから、あまり信用を失うわけにはいかないのだ。
「ですが、詩音さんの事情は義郎なら知っているはずです。大丈夫なのでは?」
「もー、葛西は本当に分かってないなー。私が休んで困るのは、義郎おじさんは勿論だけど、バイト仲間の皆! エンジェルモートは結構忙しいから、一人抜けるってのは仕事量が何倍にも増えるって事なんだよ?」
「そうでしたか……軽率な発言をして申し訳ありません」
「分かればよろしーい」
 私は得意げにふふん、と胸を張り、足を組みなおしてから残ったサンドイッチに再び手を伸ばした。
 葛西はイスに座ってから俯き、少しの間をおいて私が口に含んだサンドイッチを食べ終えた頃に顔を上げた。
「……しかし、詩音さん……変わられましたね」
「……へ?」
 葛西の口から出た言葉が私にとって以外というか、予想外だったので、私は素っ頓狂な声を思わず漏らした。
 ……私が、変わった?
 そうかな。自分じゃそんな感じまったくしないんだけど。
「昨日もそうでしたね」
「……?」
「今まで、私の方から詩音さんにご意見する事やご忠告する事はありましたが、詩音さんが私に意見を言う、というのはあまりありませんでしたからね。昨日得意げに私にご意見なされた時は、失礼ながら驚きました。……そして、今日の言葉で確信に至りましたよ」 
 ……そう……いえば……。
 言われてみるまで……自分でも気づかなかった。確かに、私は葛西に意見するなんて昔からあまりない。
 ただ、何となく……こうじゃないのかな……って思ったから言っただけで……他意は無かったんだけど……。
 ……不思議な感じだった。
「……やはり、貴方は茜さんの娘なんですね」
「……母さんの若い頃に似てるっての?」
「少なくとも魅音さんよりはそう感じます。相手の行動を読む事や口論時の対応力……。お二人が姉妹喧嘩……じゃれあいと言った方がよろしいでしょうか」
 ここで葛西は一旦微笑を浮かべた。……そして、言葉をつなげる。
「それをなさる時は昔からあなたの方が一枚上手でしたから。……まぁ詩音さんは時々感情的になりますからまだまだ未熟と言ったところですが」 
「悪かったですねー、母さんみたいに要領よくなくて」
「茜さんも昔は貴方のような感じでしたよ」
 葛西は懐かしむように天井を見上げ、深く息を吐いた後に私へ視線を戻した。
「……何と言いますか……昔を思い出します」
 そしてまた、微笑を浮かべた。
「まったまたぁ。なーに年寄りくさい事言ってんですか! 葛西もまだまだ若いんだから、恋人の一人でも見つけたらどうです?」
「ご冗談を」
 葛西は右手で左手を覆うように掌を組み、ひじをテーブルに乗せた。
「私には無縁の世界ですよ」
 そして、やや笑った表情で言う。
 寂しそうでは無い。ただ、愉快だとか……そういう感情も、含まれていない。
 表情はやや笑顔だったが、感情の無い声だった。
 
 ……そうか。
 「この世界」に足を踏み入れたその瞬間から……アンタは捨てるものは……全て捨ててきたんだね。

 私は軽率な発言をしてしまった事を悔い、何も言えなくなって……黙ってしまう。
 そんな私を見て、葛西は……サングラスを取り、めったに見せない笑顔を私に見せてから、口を開いた。

「……しかし……本当によかったです」
「……何がです?」
「あなたと悟史君の事です。お二人の幸せを、茜さん同様願っていますよ」
 葛西は笑顔を崩さずにそこまで言い切った。
 ……その後は、サングラスをかけなおして微笑しか見せないいつもの顔立ち。
「……ありがとね……」
 ……私には、それが……素直に嬉しかった。

 ……そういえば、母さんも鬼婆からは猛反対食らってちゃんちゃんばらばらだったっけ。
 ……葛西の言った通り、私と母さんは本当に似たもの同士らしい。
 私が同じ境遇に居たからこそ……昨日、母さんが今葛西が言った言葉と同じ言葉を発した事が……急に、とても……とても、大切なものだったように思えてきた。

「……お話しか聞けないのが残念ですが、話を聞くたびに昔を思い出しますよ。若い頃というのは本当に怖いもの知らずでどんどん前に突き進んだものです」
「葛西にもそんな時期があったんだよね〜」
 私はケラケラ笑って、組んでいた足を宙であっちへいったりこっちへいったりさせた。
 すると葛西は少し疑問を持った顔をし、それから私を見て……何か納得したような微笑を浮かべる。
「茜さんの事ですよ。無論私も否定はしませんが、現頭首と茜さんがやりあった時は本当にヒヤヒヤしました」
 ああ、そっちの事ですか。
 ……んー、しかし……私は圭ちゃんや悟史君、沙都子に梨花ちゃまに助けられたわけだけど、母さんって一人で日本刀持って鬼婆とやりあったんだよね……。
 母さんの凄さと恐ろしさを、私は改めて認識し身震いした。
  
 私って……本当にとんでもない家系に生まれちゃったな。
 今更ながら、私はそれが恐ろしくもなったが、同時に頼もしくも思えた。

 「けじめ」を見せるべき時はたとえ身内でも厳しいけど。
 悪い事をしなければ、誰だって笑顔で……優しいのだ。
 そんなのは、この日本という国……いや、全世界どこであっても共通であるはずなのに。
 私は、そんな事さえ……忘れていた気がする。

 そして、そんな家に生まれたからこそ。
 ……これから先、きっと……私も、悟史君も……幸せに「道」を歩んでいけるのだと、確信する。
 
 ……もう、終わったんだ。

 私はベッドに寝転がって、うーんと伸びをした。

 ……あーあ。早く悟史君に会いたいなぁ。
 会ったらたくさんからかってやろう。
 そしたら、悟史君はむぅって言って困った顔をする。
 だから、私はそんな悟史君の頭を、いつも悟史君がしてくれるように撫で撫でしてあげるのだ。
 それで、いつもどおり。
 確かに、勇敢だったりたくましい悟史君は、とてもかっこいい。

 ……でも、私には。

 ちょっと抜けてて……頼りないくらいの悟史君が、一番いい。



 だって。……それが。……私が……「園崎詩音」が恋をした、北条悟史君なのだから……。



 それから私と葛西は談笑に花を咲かせ、しばらくの間喋りこんでいた。
 ……だけど、その楽しい時間は時計の針が指した時刻によって終わりを迎えた。
「……っと、話し込んでいるうちにもうバイトの時間が近づいてきちゃいましたね」
「熱と頭痛は大丈夫ですか?」
「へーきへーき! 葛西のおかげで吹き飛んだって!」
「……そうですか……。……それでは、私はこの辺りで失礼します。くれぐれもお体をお大事にしてくださいね」
「了解っ」
 私は昼ごはんを持ってきてくれた葛西にビシッと敬礼し、葛西は苦笑いをしながら部屋から出て行った。
 
 ……うん。もう、頭痛も熱も感じないや。

 ……葛西はいつだって私の心配をしてくれて、私のわがままを聞いてくれて……気をきかせてくれた。
 今思えば、昔から頼りっぱなしだったな。

 ……今度は、私もしっかりやっていけるって姿を見せなきゃ!
 それが、恩返しってもんだよね!

 私は寝巻きから私服に着替え、必要品を持って靴を履く。
 それから、右手を開いて口元に添え、笑いながら口を開いた。

「行ってきまーす!」

 誰も居ない部屋に、私の明るい声が響いた。



 *      *      *
 


「おぉーい! 圭一ー!」
「あーっ、遅いぞ悟史ーー!!」

 熱い日差しがこれからもっともっと熱くなるぞ、と告げる六月下旬。
 セミがやかましく鳴く、雛見沢から興宮への一本道の入口で待っていた俺の背後から、悟史が自転車に乗ってこちらへやってきた。

「ったく、このクソ熱い中で一人たたされる身にもなってくれよな」
「ごめんごめん。部活を断る文句がぜんぜん思いつかなくて……」
「……!」
 
 俺は、悟史の言葉に出てきた単語にピンときた。
 ……部活。
 皆でトランプを使って遊んだり、推理ゲームをして遊んだり、時には外に出て身体を動かして遊ぶ。
 部活って言うより、「放課後の遊び」の正当化の文句みたいな感じな、俺たちの部活。
 そういえば、この部活っていつから出来たんだろう。

「なぁ、悟史。進みながらでいいからさ、部活の事……色々教えてくれよ」
「……? うん、いいよ」

 俺が転校して、雛見沢に来た時から既に部活は存在した。
 悟史は結局ずっと雛見沢分校通いだから、いつ、どういう経路で発足したものとか、詳しい事も知っているだろう。
 俺の知らない部活……かぁ。
 こいつは見ものならず聞きものだな。俺は悟史の方へ目を爛々とさせて振り向いた。
 
「僕達の部活は、……何て言うのかな、普通の部活じゃないんだよ。ただ単に、毎日カードを使ったり、ボードゲームとか、とにかく色々なゲームを使って遊ぶものなんだ」
「へー」
 俺は内容を知っていたが、あえて自分の持っている知識は全て無視して悟史の話を聞いた。
 何故って、その方が話しが面白いからに決まってる。どうせ聞くなら、楽しまなきゃな。
「その日その日によってやる事が違って、大抵は魅音が決めるね。多分、きまぐれで毎日何をするか決めてるんだと思うよ。やる事に規則性とかが全然ないんだもの」
 悟史は嬉しそうにそう語った。
 ……やっぱり、部活は誰がやっても楽しいらしいな。
 初めの頃は慣れなかったりで、その上罰ゲームまでさせられて何だこりゃ、って思ったけど、毎日毎日やってるとこれがなかなか面白い。
 分かりやすく言えば「やみつき」になる面白さだな。ゲームの勝敗、そして罰ゲーム。
 たった二つしか要素が無いわけだが、これが無限の楽しみを俺に教えてくれた。
 悟史の話を聞けば聞くほど、俺は初めて部活を体験した時や、鬼ごっこであれこれ作戦立てた挙句結局魅音と共に罰ゲームを受けた事などを思い出し、いつの間にかニヤニヤ笑っていたらしい。
「圭一?」
 悟史がふと気づいたように、笑っていた俺に疑問系で言葉をかけた。
「あ、わり。何でもないから、続けてくれ」
「うん」
 悟史はあまり気にしなかったようで、何事も無かったかのようにまた笑顔になって話を続けた。
 俺も悟史の無意識の心遣い(?)に便乗させてもらい、先ほどと同じようにやっぱりニヤニヤしながら聞いていた。
「悟史は負けたりするのかよ?」
「勿論僕だって負けた事はあるよ。ていうかほとんど僕が負けなんだよね……むぅ」
「……じゃ……じゃあお前……まさか、あの破廉恥きわまりないあの服とかこの服とかあの何で学校のロッカーに入ってんだと思わず叫びたくなるようなあのトンデモナイ服まで着せられたというのか!!!?」
「む……むぅ……」
 OH NO!! 
 魅音の奴……詩音が聞いたらレナみたく鼻血噴出しそうな事を悟史にやっていたというのかっ!!!!
 いっそ詩音に教えてやろうか? あいつ即効転校してくるぞ。
 ( ・3・)何ですって!!? お姉、聞いてませんよ!!?
 (・3・)だって教えてないも〜ん
 ……って……まてよ? レナは勿論……古手さんや……沙都子も見ているっ!!!?
 (*・3・)(* ̄▽ ̄)はぅ ( ̄ー ̄) (//////)……      煤iД 三 ・3・)
 な……ななな何という事か!!!?
 何という世界!! 何というカオス!!!!
 魅音め、何のために部活を開設しやがったんだぁぁぁあ!!!? 
 あぁあぁぁあああ、この生々しく俺の脳内で繰り広げられる妄想を誰か止めてくれぇぇぇぇえぇぇ!!!!!
 ( ̄ー ̄)(/////)        三(*・3・)三(* ̄▽ ̄)  。゜。(´Д)むぅうぅうぅやめてぇぇえぇ
 
俺が今にも絶叫してやろうかという状態で頭を抱えながらついでにその頭を前後左右問わずぶんぶん振り回していると、悟史が俺をジト目で見つめた。
「……な、何で圭一……罰ゲームがある事とか……その、内容とか……知ってるの……?」
( ・3・)おおおぉおぉお姉、まさかまさかまさか悟史君にあんな事やこんな事をしていないでしょうね? でしょうね!?
 (*・3・)おじさん何の事だか分からないよ〜。 
 ……あ。
( ・3・)とぼけないでください!!! アンタという人はアンタという人は!!! 私と悟史きゅんきゅん☆ がようやく手をつないでウェディングドレスとタキシードを着たというのに何で悟史きゅんを汚すんですか!!! あぁもうアンタという人は!!!
 (・3・)悟史も詩音もまだ結婚できないって〜。馬鹿だなぁ詩音は〜あっひゃっひゃっひゃ!
 ……これ、まずいな。そりゃあもう色んな意味で。
(圭`Д´)五月蝿い空気嫁
 (・3・)( ・3・)アルェ〜〜〜?

 いくら悟史が天然であろうとこれは不思議に思うはずだ。というより疑うはずだ。
 ほらみろ、悟史のジト目がさらに冷たい視線になってきた。
「……僕、知らなかったよ。圭一に覗きの趣味があったなんて
いやいやいやいやいやいやいやいや」 
 ( ・3・)え!? 圭ちゃんそんな趣味あったんですか!?
 (`Д´)阿呆を言うな!! 俺にそんな趣味があるか!!!
 (*・3・)またまたぁ、照れちゃって〜。
 (TДT)ちっがぁぁぁああぁあう!!!!!
 俺は首と掌をブンブンと振り回し、断固拒否の姿勢を見せた。

「何でそうなるか」
 そしてつかつかと悟史に近づき、その頭にチョップを叩き込んだ。
( ♯・3・)あぁぁぁあ!! 私の悟史きゅんきゅん☆ に何するんですかぁぁあ!!!
 (`Д´)やかましいっ!!! 何ならてめぇらにも一発食らわせたろか!!!
 (*・3・)圭ちゃん、優しくね〜?
 (TДT)お前は何を言っとるんじゃあぁああ!!!!
 (*・3・)またまたぁ分かってるくせに〜。
 (TДT)ふざけるなぁぁあぁぁ!!!

「むぅ、痛いよ圭一」 
( ♯・3・)圭ちゃんんんん!! あんたって人はあんたって人はぁぁぁあぁぁあぁあ!! Sッ気があったんですかぁぁぁあ!!!
 (TДT)だから違うと言うとるにぃいぃいい!!! って言うか何で話がそっちに行くんだお前はぁぁぁあ!!!!
 (・3・)言ってないじゃん。
 (`Д´)決定!! 貴様ら二人ともボコボコにしてやるわぁぁぁ!!!
 (*・3・)や・さ・し・く・ね
 (TДT)だーかーらー
「お前が勝手に話を進めるからだ。とりあえず言っておくが、俺には断じてそのような趣味は無い!!! 沙都子やレナ、さらに鷹野さんを陰ながら見守り続けシャッターを切っているトミーと一緒にするな!!!」
「え!? 富竹さんってそんな事してたの!? って言うか沙都子ッ!!!?(怒」
「ソウルブラザーは犯罪スレスレ極限の萌えを追求する!! 俺は先ほど彼の行動を非難したが、それはあくまで『前原圭一』としての意見だ!! ソウルブラザーにとってそれはむしろ勇気ある行動として見られるのだ!!!」
「な、何だかよく分からないけど凄いんだね」 
「そう、凄いのだ!!」
( ・3・)何で圭ちゃん富竹さんの隠し撮りの対象者知ってるんですか?

 ( ・3・)………………。
 (;`Д´)………………。
 (・3・) ………………。


 ( *・3・)(*・3・)じーーーーーーーーーーーーーーーー→ ゜。゜(´Д)゜。


「こんなものはまだまだ序の口だなトミーにとっては。それに、他メンバーにとっても――俺を一緒にするなよ?(矛盾)――クラウドやイリーに至っては肩を並べる……いや、それ以上かもしれんな。ただ、クラウドは萌えより色気というのが俺的にはけしからん。やはり俺たちソウルブラザーが求めるのは萌えのみ!!!! それを見越して言うのならばイリーは最高に素晴らしい!!! メイドという特定のジャンルでしか萌えられない奴ではあるが、奴のメイド理論・及びメイドに対する萌えの研究完成度は非常に高い!! いや、そんな表現では駄目だ。 神だ!! 神の領域へと奴は踏み込もうとしているのだ!!! いいか悟史。イリーの作成した『メイド・萌え知識全集』によると、そもそもメイドというものが誕生し、今の世代こうして繁栄している理由はだな(注・昭和57年です)、世界の歴史がそうさせたのだ。この冊子の冒頭部分、『メイドで萌えるにはまず歴史から』という欄を見るとだな……」

( ・3・)どこにそんなもの持ってたんでしょう?
 (・3・)ん〜、ズbnのなk
 ( ・3・)お姉、ストップ、ストップ。
 (・3・)え〜詩音がふってきたんでしょ〜
 ( ・3・)それはまずいって。これは文だから許されてるの(実際どうかは作者自身分かってません(滝汗)。圭ちゃんがあの冊子取り出したシーンイラストにでもしてみなさい、問題になりますって。
 (*・3・)って事は詩音分かってたんじゃ〜ん。
 (* ・3・)えぇそうですよ、確かに分かってましたよ、だから何だっていうんですか!? 私はさっきのシーンを見た人のほとんどが思うであろう疑問を解消してあげようと……。
 (*・3・)もぉ〜、照れるな照れるな〜。
 (* ・3・)照れてませんっ!!

「む……むぅ……」
「そう!! メイドとは人類と歴史が生み出した萌えの最先端っ!!! いいか悟史、この冊子の百三十二ページを見るとだな、」
「着いたよ圭一」

「……」


 ……ふー、俺とした事が。
 つい熱くなっちまったぜ。クールになれ、クールにな。

 俺は冊子を取り出した場所に戻し、

( *・3・)(*・3・)

(TДT)お前らもういいから帰れ……。



 玩具屋の前に着くなりショーウィンドウに駆け寄った悟史の後を追った。






「あ、よかった。まだあるよ」
「お前、そんな事言うって事は予約もしてなかったのか?」
「あ、いや、詩音と予約してたんだった」
「……もういいや……。さっさと買っちまおうぜ」
「うん」

 俺と悟史はカランと音の鳴るベルつきの玩具屋のドアを開けて中に入り、店員に予約の確認をした。
  
「北……ぁ〜、何だって?」
「北条悟史です」
「北……北じょ……ぁ〜、何だったかの?」
「北条悟史です」
「北条……ほう……ぁ〜、すまんがもう一回言ってくれるか?」
「ほ・う・じょ・う・さ・と・しだっつってんだろうが!!! いくら爺さんでもしまいにゃキレるぞ!!!」
「も、もう完全にキレてるよね……?」

「お〜、あったあった。北条……悟史さんじゃの。待っとってくれ、今取ってくるから」
「お願いします」
 ……ったく、何で爺さんがここの店員やってるんだよ。
 ……まさか、あの爺さんが店長……? ……んなわけないような気もするがあんな記憶力のカケラも無いような爺さんを雇うような玩具屋など聞いた事も無いのも確かだ。
 ……よく続いてるな……。

 俺は率直にそう思った。



「これで、ようやく沙都子にぬいぐるみをプレゼントできる……」
 俺が考えなくてもいいような事ばかり頭の中に浮かべていると、悟史がボソリとつぶやいたのが耳に入ってきた。
 そして、それを聞いた俺は……突然だったが、悟史にある疑問を抱いた。
「どうして悟史は沙都子にぬいぐるみをプレゼントしようと思ったんだ?」
 初めて、その事を聞いた時に抱いてもよかったような、ささいな疑問だった。
 悟史は俺の問いかけに、笑顔になって答えた。
「今日が沙都子の誕生日なんだよ」
「……え……!? そ……そうだったのか!?」
「うん。それに、沙都子はついこの間までだいぶまいってたから……。だから、勇気づけてあげられたらな……って……」
 悟史は声を段々小さくしていきながら、少し寂しげにそう言った。
 だが、言い終わると同時に再び笑顔になる。


「だから、圭一と詩音には感謝してるんだ」
「……へ?」
「圭一が居なければ今の僕は居ない。詩音が居なければ今の沙都子は居ないんだ」
「……あ、」
 ……そう……か……。
 ……そういう……事かよ……。

「僕が……叔母を」
 悟史がそう言い出したので、俺は手を出して悟史を制止させ、首を横に振った。
「……分かってるから。言う必要は無い」
「……ありがとう……」

 ……悟史が何を言いたかったのか。……俺には、手に取るように分かった。
 もし、悟史があのままの状態で今にまで至ったら。
 ぬいぐるみを買った後……雛見沢に帰る事さえままならなかったかもしれないのだ。
 雛見沢には自分の事を分かってくれる人なんて一人も居ない。……沙都子でさえ、悟史の苦しみを……分からずにいたのだ。
 その、沙都子の為に今まで頑張ってきた。
 だけど。
 このお金を使えば……この生活から抜け出す事ができるんじゃないのか?

 ……そんな、自分の内から聞こえてくる声に、悟史は頭を抱え込んで悩むのだ。
 それは、叔母のもとで生活をしながらバイトをしている時から……何度悟史を襲った事だろう。
 ぬいぐるみは買えない金額でも、今の自分には逃げるだけの資金がある。
 それは、誰のものでもない。……自分自身が必死に稼いだ……お金なのだ。
 それを、自分が逃げるために使って……何が悪い?
 どうして……こんなにも傷つきながら、僕は沙都子の為に働いているんだ?

 ……そう、悩み続けるに違いないのだ……。

 でも。
 悟史は、きっと最後まで逃げたりしない。何度も何度も悩みながら、最後まで逃げなかったに違いないのだ。
 ……その、証拠に。

 悟史は、叔母を……消した。

 だが、人を一人殺めるというのは、想像以上に……後の生活に亀裂を入れるのだ。

 沙都子のために。
 沙都子のために。
 沙都子のために。

 ……そう、何度も何度も何度も何度も、自分自身に言い聞かせながら。
 背後からゆっくりと近づいてくる足音に怯えながら。
 ……恐ろしい生活を、送ってゆくのだ。

 ……そして、その症状はすぐに現れた事だろう。
 叔母を殺害して……すぐ。最低でも、その日の深夜までには……悟史の場合、足音が再び聞こえるようになるのだ。

 ぺたぺたぺたぺたと、いつまでも追いかけてくる。
 まるで、自分を殺したにくい相手を……叔母が追い詰めるように。
 影も形も無いその……足音だけが。

 ……ぺたぺたぺたぺたと、追いかけてくるのだ。

 それが……どれほどの恐怖か……分かるか……?
 どれほど……自分自身を追い詰めていくか……分かるか……?

 ……何故だ。
 俺には、分かるのだ。

 人を殺めた事なんて一度も無い。
 それなのに、俺には……悟史の気持ちが、痛いほどにわかるのだ。

 沙都子の為に、僕が、俺が……選んだ事。
 誰の命令でもない。自分自身が……選んだ事なのだ。
 後悔なんてしない。
 でも、そんな自分を責めるかのように、足音が追ってくる。

 そんなのは……地獄だ。

 生きている限り、足音はずっと聞こえてくる。
 ……しかも、段々とにじり寄ってくるのだ。
 憎い、憎い、憎い。
 まるで、そう言っているかのように……だんだんと、にじり寄ってくるのだ……!!!

 どうして、自分はこんな目に遭わなければならないんだ?
 どうして、自分はこんな目に遭ってまでここに居なければならないんだ?

 ……そう、思うのだ。

 でも、これは沙都子の為にした事であって。
 それが間違いである事にすら気づかずに(・・・・・・・・・・・・・・・・)、沙都子の為にやったのだと言い張るのだ。
 そして、精神が限界をきたした……その時。

 雛見沢を……呪うのだ。

 この雛見沢は狂っている。
 誰も居ないのに誰かが居る。
 誰も居ないはずなのに後ろから気配と足音だけがついてくる。

 何なんだここは。
 どうしてこんなにも自分を追い詰めるのだ。

 一体、どうして。

 ……そうして、雛見沢に追い詰められたと……誤認したまま……最後を迎える。

 それが……どれほど悲しいものか。


 悟史が、あのまま……道を踏み外したまま進んでいたら。
 その先の未来が、どれほど……涙を流させた事か。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 いくら謝ったって、もう……届かないのだ。
 己の過ちに気づいた頃には……もう、届かないところに居るのだ。

 それが、どれほど……辛い事か。


 雛見沢が狂っていたんじゃない。
 

 自分自身が、おかしかったのだ。

 ――それに、気づいた時。
 
 どれほど……胸が張り裂けそうになるか……。



 そんな事を俺は経験した事は……やはり無い。
 だけど。……俺には、わかるのだ。

 何でかは分からなかった。
 でも、確かに……俺には見えるのだ。

 ボロボロになってゆく、悟史が。
 傷ついて……道をフラフラ歩きながら、必死に……前に進んでいる悟史が。
 ……傷ついてまで行った先が……絶望であるとも知らずに、それでも……それにすら気づかずに……歩き続ける……悟史の……姿が……。

 俺には……確かに……見えるのだ……。


 ……そして……沙都子……。
 沙都子は、それまで悟史の後ろに隠れる事しかしなかった。
 にーにー、にーにーと泣き喚き、いつも兄の助けを待っているだけだった。
  
 沙都子は、それに気づけなくて。

 悟史が『執行』するまで、それを続けるのだ。



 ……そして。
 悟史が、大きなぬいぐるみを持って帰って、誕生日おめでとう、沙都子……って、言いながら……帰ってきて。

 ……そして、悟史は……張り詰めた緊張が一気に解け、そのまま……フラッと……倒れるのだ。
 沙都子に、プレゼントは渡した。
 叔母も、居なくなった。

 もう、自分は何もしなくていいんだ。

 自分がするべき事は、やり遂げたんだ。




 ……悟史は、倒れたまま……最悪の場合……そのまま動かなくなるだろう。
 
 その、目の前の光景が信じられなくて。

 その、目の前の光景を眼下に焼き付けて……沙都子は、ようやく気づくのだ。

 自分が……にーにーをここまで追い詰めてしまったのだと。
 自分のせいで……にーにーはここまでボロボロになってしまったのだと……!!!

 己の罪に……ようやく……気づくのだ。

 失ってから気づく……己の罪。
 謝りたくても……こちらも、やはり……もう、届かないのだ。
 その……罪悪感と、罪滅ぼしも出来ずにこれからを過ごさなければならないという絶望が……一気に沙都子を襲うのだ。

 それが……どれほど……辛い事か……っ!!!

 分かるんだ。
 ……俺には……分かるんだ……!!
 辛いよな。苦しいよな。……いっそ……死にたいと思うくらいに……辛いよな……!!!
 己の罪に気づいた時、もう……そこには居なくて(・・・・・・・・)
 それは……謝る事すら許されない……監獄なのだ。
 その世界に閉じ込められて……その世界に居る限り……一生、悩まされ続ける。
 いくら時間が経ったところで、まったく癒えない……心の傷。
 沙都子の目は、また……感情を失い、大きなぬいぐるみを見る度に……涙を流すのだ。

 誰の声も届かなくなって。
 何も食べなくなって。
 ……どんどん、やせ細っていって。
 古手さんや……魅音……レナ……。……皆が、沙都子の事を心配して、声をかけるけど……届かなくて。
 沙都子は……最後には涙を流しながら……息を引き取るのだ。

 自分がどれだけ皆を心配させたか。
 皆が心配してくれたのに、自分は聞く耳持たずにこの世から消える。
 それを知った皆が、どれほど悲しみ……どれほど、涙を流した事か。

 ……また、新たな罪を作って……。

 ……その罪にさえ気づけずに……消えてゆくのだ……。


 ……そして、また……それに気づいた時。
 涙が出てきて、どうしようもなく……悲しくなって。

 沙都子もまた……頭を抱えるのだ。


 そして、詩音が沙都子に「嬉しさ」や「喜び」を思い出させてやらなかったら、沙都子は……この世界で、気づかなくてもいい罪に気づく。
 そうなれば……結果は同じ。
 全てを認知した沙都子は……己を閉じ込め、他者を受け付けなくなる。
 
 自分を責めて、責めて、責め抜いて。

 そうして……また、消えてゆく……。


 ……今、俺の目の前に居る悟史は……その事を、分かっているようだった。 
 悲壮感に道た表情から、その事が容易に伺える。

「……悟史。お前の想定している未来は……最悪だ。俺も、そんな未来にしかお前達を導いてやれなかったら……本気で己を呪い、自ら命を絶ったと思う」
「……」
 悟史は俯いて何も言わなくなった。
 ……俺は悟史の肩に両手を乗せ、強く握ってから……言葉を繋げる。
「だが、この世界(・・・・)は違う……! 詩音も、沙都子も……悟史も! ……皆、笑ってるじゃないか……!!」
「……!!」
「余計な事は考えなくていいんだ! せっかく手に入れた幸せだろ!? それを存分に満喫してやれよ!! お前には……その権利があるんだぜ!?」
「圭……一……」
「今まで苦しい中、頑張ったじゃねぇか。そうしてまで手に入れた幸せだろうが!? それを……自分から壊すようなマネをするなよ。お前は、胸を張って……どうどうと、この『幸せ』を受け取っていいんだ!! もう、涙を流す必要もない!! 何に悩む必要もないんだ!!! 園崎が認めたってんなら、村人もお前達を白い目で見たりなんかしない! もう、お前を悩ませるものは無いんだよ!! だから!!! 元気を出して……その幸せをかみ締めろよ……!!」
 俺はここで一旦区切り、嗚咽交じりで俯いていた悟史の顔の両頬に手を添えて上へと持ち上げ、悟史の目をじっと見た。 
 これだけは……お前に、ちゃんとした形で伝えたかったから。
 お前に……ちゃんと……そう思ってほしいから……!!

「……お前の手で勝ち取った……その幸せを……!! ……誇っていいんだぜ……!! ……北条悟史……!!!」

「……う……うぅう……」
 ……町の一角である……玩具屋なんかで……少年が涙を流すなんてのも、奇妙な光景だっただろう。
 だが、俺の言った「北条」という言葉で、そこに居合わせた大人は大体の事情を察したらしかった。
 
 北条家といえば、ダム戦争の時に村に喧嘩を売って、今でも白い目で見られている――ここに居る人達はまだ地下祭具殿の出来事なんか知らない――んじゃなかったか。
 あの子はその北条の息子か。……でも、その子が、幸せ?
 どういう事だ?

 ……俺が悟史に投げかけた言葉は、他の……そこに居合わせた人には、全員聞こえていた。
 幸せをかみ締めろ。勝ち取った幸せを誇れ。
 そんなフレーズが、周りの人達にも届いていたのだ。
 子供達は、ただただ唖然とするばかりだったが。
 大人たちは、大体の事情を察したらしく、悟史の流している涙が……どれほど重いものなのかを……察したのだ。

 そして。

 ――拍手が、聞こえてきた。


 パチパチパチ。

 ……パチパチパチパチ。


 パチパチパチパチパチパチ
 パチパチパチパチパチパチ
 パチパチパチパチパチパチ
 パチパチパチパチパチパチ
 パチパチパチパチパチパチ
 パチパチパチパチパチパチ
 パチパチパチパチパチパチ
 パチパチパチパチパチパチ
 パチパチパチパチパチパチ

 それは、あっという間に狭い店内を包んだ。
 中に居たのは、子供がほとんどだったけど。
 手を叩き始めた大人たちに混じって、子供達も笑いながら拍手をしていた。

 ……それは、俺達が少し前に……地下祭具殿で見た光景。
 

 園崎詩音が、……認められた日。



 ……この時、……俺も、悟史も……おそらく、同じ事を思ったであろう。


 




 ……あぁ、……ようやく……北条悟史が……認められたんだな……。






 

 拍手はしばらく止む事を知らず、悟史はずっと涙を流していた。

 人の口に戸はたてられぬ。
 ……噂なんてのはあっという間に広がるだろう。
 興宮から……雛見沢へ、進んでいくのもそう遠い日では無いはずだ。

 その日が来た時。
 ……北条悟史……北条沙都子は、真に……認められるのだ……。
 



「……今日はありがとう、圭一」
 店から出た悟史がそう言ったのは、もう日が暮れ始めた頃だった。
 興宮の町にもひぐらしの鳴き声が響き渡り、夕暮れ時の時間をより一層強調させた。

 悟史は約束通り、自転車の荷台にぬいぐるみを積んで、一人で帰る事になった。 
 俺はあの時冗談で言ったつもりで、本当は一緒に帰ろうと思っていたのだが、悟史に言われたのだ。

 ――ここからは、僕だけの力で……行かせてほしいんだ。
 
 ……その時、俺は黙って首を縦に振った。




 悟史は「じゃあ、また明日会おうね」とだけ言い残し、自転車のペダルを踏む足に力を入れた。
 ……そのの姿は、どんどん遠くなってゆく。

 ……何故かは分からなかった。

 けど……俺は、しばらくそれを黙って見つめていた……。



 *     *     *


 TIPSを入手しました。


 ■三連コンボの結果
 ■「ペンダント」と「奮闘」
 ■レナの相談
 ■戻り行く記憶



 ■三連コンボの結果■

「……みぃ、圭一……のびちゃったのです」
 地面に気絶させられた圭一をつんつんと指で突きながら、梨花が言った。
 すると、沙都子がずいっと出てきて、
「情け無いですわね! 鍛え方が足りませんわ!」 
 圭一を否定して、自分を肯定した。
 この時、圭一の掌が無意識に拳を作ったのに、誰も気づかない。
「む、むぅ……。駄目だよ沙都子……。……梨花ちゃん、圭一ってどこで寝泊りしてるのかな? 彼を運んであげないと……」
 悟史は妹の始末をつけるために梨花に問いかけた。
 梨花は笑いながら、
「ボクのお家なのですよ」
 ……と、言った。……瞬間、沙都子が梨花に詰め寄った。
「りりり、梨花、こんなお方と一つ屋根の下に住んでいるというんですの!!?」
「みぃ、圭一は家が無くてにゃーにゃーだったのです。ボクが拾ってあげたのですよ☆」
「……私はてっきり圭一さんが窓を突き破って押しかけたのかと思いましたわ……」
「し、失礼だよ沙都子……」
 圭一の意識が無いのをいい事に好き勝手言っている沙都子を、悟史が慌てて止めた。
 本人の目が覚めているのならばこれはじゃれあいに発展するだけだが、意識が無いとただ馬鹿にしているようにしか聞こえないからだ。

「それじゃ、古手神社までは付き合うよ。……よいしょっ……と……」
 悟史が圭一をかついで、先を歩く梨花についていく。
 沙都子も、にーにーの傍で気絶している圭一を突っついたりして遊んでいた。

「……今日は……疲れたなぁ」

 夜はどんどん更けていった。



 ■「ペンダント」と「奮闘」■

「……よし……。まずは古手さんに気づかれないように……やすりでも探そう」
 ゴミ山から古手神社へと帰った圭一は、梨花が寝静まった時間に起き上がり、こっそりと借室を抜け出した。
 外はひんやりとしており、圭一は出てから少し震えたが、さっさとサンダルを履いて本宅の裏口へと向かった。
 圭一がドアを開けると、やはり寝静まっており、誰の気配もしない。
 梨花が寝ている部屋は入口から少し離れているので、無理もなかったわけではあるのだが。

 圭一はサンダルを脱いで、さっさと中へと入っていった。

「……って言っても……やすりってどこにあるんだろう……」
 入ったはいいが、目的物がどこにあるのか検討がつかない圭一は、ただただうろうろするばかりだ。
 どうしたものかと腕を組んで唸っていると、
「圭一、どうしたのですか?」
 羽入が圭一に声をかけた。
「おぅ、羽入か。こんばんは、だな」
「こんばんは、なのです」
 羽入はそれだけ言うと、ふと気がついたように、別室にスーッと入って行った。
 壁から消えていったので圭一は帰ってくるまで待つ事にしたが、羽入はすぐに帰ってきた。
「あぅあぅ。今は夜の一時なのです。……圭一、こんな時間に何を……? ……まさか梨花に夜這いをかけに……!?」
 羽入がひぃっと言いながら後ずさりした。
「違う違う」
 圭一は必死に否定する。

「やすりを探しているんだ。羽入、どこにあるのか分からないか?」
「あぅ? やすりですか?」
「ああ。こいつを古手さんにプレゼントしてやろうと思うんだが、このままじゃまずいだろ?」
 圭一は、手に持っていた、汚れを落とした後の、サビだらけになったペンダントを羽入の前に掲げた。
「……よく見えないから分かりませんが、色……からすると相当サビているみたいですね」
「だから、やすりを使ってサビを取り除こうと思ってな。古手さんにはナイショだぜ?」
「分かったのです。圭一、やすりはこっちにあるのですよ」
 羽入はそれだけ言うと、スーッと壁を抜けて外へ出て行った。
 圭一も、見失ってたまるかと後を追う。

「工具とかは、大抵この倉庫の中に入っているのです」
 羽入が圭一を先導し、二人は本宅のすぐ横にあった倉庫にたどり着いていた。
 圭一はこんなものがあったのかと不思議そうな顔をしていたが、一昨年――圭一が北条家にやっかいになっていた時――に出来たと聞いて納得した。

 圭一は倉庫の扉を開け、中でごちゃごちゃした雑貨の中から、やすりを見つけだし、乗り出していた身を元に戻した。

「あったあった。ありがとな、羽入」
「礼には及ばないのです」
「……そうだ、ついでに……何か、先がとがったものとかないかな?」
「あぅ……? 裁縫針とかでもいいのですか?」
「……んー、裁縫針じゃ強度に少し不安があるな……。……そうだ、コンパスがいい。あれなら問題ないはずだ」
「コンパスは梨花の部屋にしかないのですよ」

 圭一は硬直した。

 こんな、夜遅くに。
 少女が眠っている部屋に、忍び込む。

 ……梨花が目を覚ましてしまうと、明らかに誤解を受けるからだ。
 それこそ、さっき羽入が言ったように誤認される。
 だが、圭一がしたい事をするためには、コンパスが必要だった。
 
 圭一は危ない橋を渡る覚悟で、梨花の部屋へと向かった……。

 
 スーッと襖が少しだけ開き、その隙間から圭一が中をキョロキョロと見回した。
「畜生ー、これじゃ本当に夜這いかけにきたみたいじゃねぇか……」
「あぅあぅ、圭一……やっぱりそうなのですか!?」
「だから違うッ!!」
 圭一は小声で叫んだ。

 再び視線を中に戻した圭一は、梨花が部屋の中央に敷かれた布団の中ですやすやと眠っているのが目に入った。
 それからしばらくそのまま見ていたわけだが、いかんいかんと両頬をパチンと叩き、コンパスのありそうな場所を探した。
 ……が、梨花の部屋になど入った事が無いのでやっぱり分からない。
 仕方が無いので圭一は羽入に向き直って聞いてみる事にした。
「コンパスはこの部屋のどこにあるんだよ?」
「……あぅ、僕は普段その辺りをふらふらしたり趣味で他人をストーキングしていて部屋に入ってないので、最近の部屋の事情は分からないのです」
「……あっそ……」
 こいつ本当に神様か?
 圭一が疑いの目を向けた瞬間だった。

「まぁいい。たった一人でローラー作戦する羽目になるとは思わなかったが、何とかやり遂げてみせるぜ」
 圭一は襖を、音を立てないように自分が入れるほど開き、部屋へと侵入した。
 圭一がまず目をつけたのは机だった。
 梨花の勉強机なら、コンパスがあってもおかしくない。……そう思い、引き出しに手を伸ばした。

 ……中から出てきたものに、圭一は絶句した。
 見覚えがあった。
 そう、これは。

 昭和53年で、沙都子、梨花、鷹野、富竹でかくれんぼをした時の罰ゲーム。
 ……茂みの奥で……うぉお思い出したくない。

 圭一は頭をブンブン振り回し、引き出しを閉めた。


 別の引き出しも開けてはみたが、結局コンパスは見つからなかった。
 仕方が無いので再び視線を部屋中へと延ばし、眠っている梨花を起こさないように抜き足差し足で圭一は移動していく。
 羽入はそんな圭一をおもしろそうに見ていた。

「……この中に……あるだろうか……」
 羽入の言う「最近」がどのくらいまでを指すのかが微妙だったが、他に適した場所が無かった。
 圭一は、部屋唯一の押入れの前で立っていた。

 視線を羽入に延ばし、ここにありそうかとアイコンタクトを送る。
 だが、羽入はこれをどう受け取ったのか、頬に手を当てていやいやしていた。
 圭一はジト目で羽入を見た後、嫌な予感を抱えながら押入れを開けた。

 中は至って普通だった。
 上段はからっぽ。おそらく、布団が積まれていたものだと思われる。
 下段は整理整頓用の引き出しや服を収納するケースが詰まっており、典型的な押入れの中身だ。
 流石にここには無いかと思い、押入れの戸を閉めようと手を伸ばした。
 ――その時。

「みぃ」
「!!!!!」

 圭一は飛び上がった。

 圭一の後ろには、……目を覚ました梨花が、眠そうに目をこすりながら立っていた。
 先ほど羽入がいやいやしていたのは、梨花が目を覚ましたからに他無いと、圭一はこの時初めて自覚した。

「けーいち? そんな所でなにをしているのですか……?」
 ふぁぁ、とあくびをしながら梨花が圭一に聞いた。
「や、えっと……これは、その」
 梨花はむにゃむにゃと口を動かした後にあくびで出てきた涙を拭い、
「ボクの部屋をあさりにきたのですか?」
 何故か笑顔でそう言った。
「違うッ! 断じて違うッ!」
「じゃ、よb」
「違うッ!!!!」
 圭一は梨花の口を塞ぎ、息を荒げながら叫んだ。

「コンパス!! 古手さん、コンパス貸してくれ!!」
「みぃ? コンパスですか?」
「ああ!! コンパスだ!!!」

 梨花は首をかしげた後、圭一に一言言った。

「ボクの部屋にコンパスはありませんよ?」

「は〜〜〜にゅ〜〜〜〜う〜〜〜〜〜」
 圭一は目を光らせ、怒りに満ちた表情で羽入をにらみつけた。
 
「あぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅあぅ」
「てめぇえぇええええッ!! よくもぉおおおぉお!!!!」
「あぅあぅあぅあぅあぅあぅ!!!!」

 かくして、羽入と圭一の鬼ごっこが始まったのであった。

 梨花は二人が走り回っている間にコンパスを取ってきて、羽入を捕まえてでこピンをかまそうとしていた圭一に渡した。
「あぅあぅ、梨花〜」
 コンパスによってでこピンを免れた羽入は梨花に抱きつこうとするが、梨花はひょい、とよけた。
「あんた、本宅のどこに何があるかくらいは把握しときなさいよ……」
「あぅあぅあぅ」
「……あんたが神様なのか本気で疑いたくなってきたわ……」
 梨花の一言に圭一は激しく同意した。

「そういや古手さん、起こして悪かったな。結果的に羽入のせいだったとはいえ、起こしたのは俺だからな。すまなかった」
「あぅあぅ」
「……そうね……。圭一が私を起こしてしまったのは羽入のせいだけど、別に怒ってないわよ」
「あぅあぅあぅあぅ」
「何でだ? そもそも、羽入のせいで俺なんかに部屋に入られるのも迷惑だっただろ?」
「あぅあぅあぅあぅ!」
「圭一の考え方が必ずしも私と同じとは限らないわよ? 羽入のせいでこんな事になったけど、私は別に構わないから」
「あぅあぅあぅあぅ!!」

 容赦なく二人は羽入に往復ビンタを食らわせ、羽入は横であぅあぅ言っていた。

「そうか」
「それに、ちょうどよかったわ。私はいつもこの時間帯に一旦起きてるから」
「へ? 何で?」
 深夜、草木も静まる丑三つ時。
 圭一の素っ頓狂な声は、本宅の廊下に響いた。

「圭一の布団に忍び込むたm」
「うおおぉおぉおぉおおぉおおぉおお!!!!」

 それから三秒と経たないうちに、今度は圭一の叫びが廊下に響いたのであった……。
 

「絶対来るなよ。鍵も没収。内側から鍵かけるからな」
「みぃ……」
 梨花が俯いて瞳を潤ませていたが、圭一は無視した。

「じゃ、おやすみ」

 それだけ言い残し、借部屋に戻る。
 内側からしっかりと鍵をかけ、圭一はようやくペンダントを研ぐ作業を開始した。
 ……ふと圭一が壁を見ると、そこにあった時計はもう午前四時を指していた……。





 ■レナの相談■

「ねぇ、魅ぃちゃん。ちょっと……いいかな……?」
「ん? どしたの、レナ?」
 雛見沢分校の、放課後。
 部活も終了時刻を向かえ、最後に委員長の仕事をした後で帰るのが遅くなった魅音に、レナが言った。
 
「……ちょっと……ね? 聞いてほしい事が……あるんだけど、いいかな……?」
「……? うん、いいよ」

 魅音は持っていた鞄を床に置いて、レナのもとへと歩いていった。

「何か……悩み事でもあるの?」
「……う……うん。……笑わないで聞いてほしいんだけど……いいかな……?」
「何言ってんの。何言われたって、笑ったりしないよ。……さ、話してごらんよ」

 レナは息を深く吸った後、口を開いた。

「……実はね、……お父さんの……事なの……」
「……レナの……お父さん……? ……それで?」
「……魅ぃちゃんには……初めて話すよね。私達は、もともと雛見沢に住んでいた家族だったんだよ」
「へ? そうだったの!?」
 魅音が素っ頓狂な声を出した。
「随分前に茨城に引っ越したの。……けど、こうして帰ってきた」
「……どうして……?」
「オヤシロさまが……そうしろって言ったから」
 魅音は思わず身震いした。
 オヤシロさまという単語は、雛見沢に住んでいる人であれば誰でも知っている事だ。
 だけど、それはあくまで村に語り継がれている神様であって、魅音はオヤシロさまを信じてはいなかった。
 でも、レナはそう言った。魅音にわざわざ笑うなと釘を刺してまで。
 それがどんな意味を成しているのか……それを考えた時、魅音の身体が震えたのだ。
 だからこそ、最初は冗談なのかと思って笑い飛ばしてやろうかと思ったが、事前にレナが笑わずに聞いてくれ、と言ったのを思い出して考えを改めた。
 レナが予めそう言った、という事は、「他人が聞けば笑う話」という事を認知していたという事。
 そのうえで約束したのだから、ここは笑ってはいけないのだ。

 レナはさらに続ける。
「雛見沢を離れた私達は、引き裂かれたの。お母さんが一方的にお父さんを裏切って、別の男の人と再婚した」
「……」
 魅音は何も言う事が出来なかった。
 竜宮の事情は、竜宮しか知らない。魅音が今出来る事は、静かに聞いてあげる事だけだった。
「それから、私自身も……壊れていった。……魅ぃちゃんは、自分の身体が妙にかゆくなったり……足音が余計に聞こえてきた事は無い?」
 魅音はレナが……あまりに唐突にそんな事を言ってきたので、背筋がゾクゾクするのを感じながら返事をした。
「い、いや。ないよ」
「……なら……魅ぃちゃんは大丈夫。……えぇと、話を戻すけど、そうなった私は、自分で自分を切り刻んでいったの」
「……自殺……とか……?」
「……うん……。そう……なるんだと思う。……でも、最後にはオヤシロさまが来てくれたおかげで……今、私はこうしてここに居るの」
「……」
 魅音は言葉を失った。
 レナが転校してきてから、彼女はずっと笑っていたから、過去にそんな事があったなんて想像も出来中ったからだ。
 そんなレナに何を言っていいのか分からず、魅音が硬直していると、レナが再び口を開いた。

「……それで、お父さんにとっての最愛の人に裏切られた事と……娘が自殺をはかった事……。引っ越してきたはいいけど、ショックが大きかったみたいで……お父さん、ずっと家の中で何もせずにぼーっとしてる事が多いの……」
「……つまり……どういう事……?」
「……生きようとしてくれないの……。食事だってろくに取ってくれないし、見かけも明らかに前よりやせている。……その、目に生気が宿っていない……って言うのが正しいのかな……」

「……」

 魅音は腕を組んで、少し考え込んだ後、レナを見つめた。

「……レナは、お父さんにどうしてほしいの?」
「……え……?」
「レナが何を言いたいのかは大体分かったよ。……でも、まだレナがどうしてほしいのかを私は聞いてない。……具体的に、お父さんにはどうしてほしいか……教えてくれるかな?」
「……」
 レナはそこで俯き、黙り込んでしまった。
 確かに、レナは自分の父親に前のように戻ってほしいと思っている。
 そして、それを言ってしまえばいいだけの事なのだが、既にレナは自分が出来る事を全てしていた。
 だからこそ……圭一や魅音に、悩みがある事を打ち明けたのだ。……自分だけで考えても、よい方法が思いつかなかったから。

「……その、昔みたいに……お父さんに笑ってほしいな、って思ってるの」
「……レナは、もう何かしてみた?」
「う、うん。自分が考え付く限りの事をしてみた。……けど……お父さん、何も変わらないの……」
「……例えば?」
「えっと、毎日……学校の事をお話したり、料理をお父さんの好きなものにしてみたり……」
「それでいいんだよ」
「……え……?」
 魅音から返ってきた言葉に、レナはきょとんとした。
 だって、それらをやってもお父さんは変わらないのだと、魅音に言ったばかりだったからだ。

「で、でも……お父さんに何度やっても駄目だったんだよ……?」
「なら、あきらめるの?」
「……!」

「一度やって駄目だった。二度やっても駄目だった。三度やっても駄目だった。……それなら、あきらめる?」
「……」
「私ならあきらめない。誰が何と言おうと、自分のお父さんが振り向いてくれるまで、何度だって同じ事をしてあげるよ。お父さんの好物、いいじゃない。学校の話、いいじゃない! レナがお父さんの為を思ってやっているのなら、きっと振り向いてくれるはずだよ!」
「魅ぃ……ちゃん……」
「お父さんはレナが自分の事をどれほど心配しているのか知らないだけ。それを受け入れる事が出来るほど、心の傷が癒えてないの。だけど、だからと言ってレナまでお父さんを放っておいたら、傷が癒えて物事を冷静に考えられるようになった時にお父さんは……また傷つくはずだよ」
「……」
「だから、待つの。レナのお父さんが、そうなってくれるまで。……それまで、レナはそれを続ければいいんだよ。……そうすれば、お父さんが目を覚ました時、傍にレナが居てくれた事をきっと思い出してくれる。……そしたら、傷の癒えも早くなるものだと……私は思うよ」
 魅音はそれだけレナに言うと、教室は一時の沈黙を迎えた。
 それは、レナが口を開くまではもう何も言わないという、魅音の意思の表れだった。
 ひぐらしの鳴き声だけが響き渡る教室の中で、レナはついに口を開いた。
「……そう……だね……」
 そう言うと、レナは掌を握った。
「……そう……だよね!」
 レナは笑顔になり、魅音へと視線を向けた。

「ありがとう、魅ぃちゃん! ……相談してよかったよ!」
「いーっていーって。……何かあったら、いつでも相談してくれて結構だからね!」

「あら、二人ともまだ残っていたんですか?」
 笑いあう二人を、教室に入ってきた知恵が驚いた表情で見つめた。
「もう学校も閉めますから、急いで帰宅してくださいね」

「「はーい!」」

 二人の少女は、鞄を持ってバタバタと駆け出して行った。
 知恵はそれを見送り、微笑を浮かべた後、職員室へと戻って行った……。



 ■戻り行く記憶■

「おかえりなさい、圭一」
「ああ。……ただいま」
 悟史と別れた圭一は、しばらく興宮の町をうろついた後、のんびりと歩いて古手神社へと帰宅した。
 うろついた、と言っても金が無いので本当にうろついただけだ。
 途中でバイクを三台ほど蹴り倒してしまったが、圭一は少しの罪悪感にかられたが、ものの十秒程度でそんな事は気にせず何事もなかったように立ち去ろうとした。
 ……まぁ持ち主らしき三人組に取り囲まれたが、彼らは瞬殺され、路地裏でのびる羽目になった。

「って事があったよ」
「……ふぅん……。あの三人も懲りないわね……」
 食卓に並べられた晩御飯を口に放り込みながら、圭一は今日の事を梨花に話していた。
「詩音もそいつらに圭一と同じように取り囲まれたそうよ」
「へぇ……。詩音はどうしたんだ?」
「どうもしてないわ。その時は悟史が詩音を助けに入ったの」
「……なるほど……。それであの二人が知り合った、ってわけか」
「尤も、悟史は助けたのが詩音だったとは綿流しの日まで確証に至らなかったみたいだけどね」
 もきゅもきゅと食べ物をかみながら、二人は行儀悪く話し続けていた。
 二人しか居ないので――羽入が居るが介入しようとしても梨花に止められる――別に誰がどうこう言うわけでは無いが、おかげで圭一の口の周りにはご飯粒がくっついていた。
 梨花がそれを掬い取って口に放り込んだが、圭一は話すのに夢中で気づかなかった。

「それで、どう?」
 圭一の話がひと段落したところで、梨花は箸を置いて尋ねた。
「どう……って、何が?」
「記憶よ、記憶。……どれくらい戻ったのか……聞いてもいいかしら?」
 圭一も箸を置き、――尤も、こっちは食べ終わったからなのだが――腕を組んでう〜ん、と唸り始めた。
「そう……言われてもな。取り戻した記憶だって、何かのきっかけがあって戻るわけで、その時も……その、きっかけになった人物との思い出がよみがえるだけで、漠然としているから具体的に言葉で言い表すのは難しいな……」
「……そう……」
 梨花は俯き、寂しげな表情を浮かべた。
 圭一はどう言葉をかけていいものかが分からず、とっさに自分の茶碗を梨花に差し出した。
「おかわり!」
 梨花も、圭一の……不器用なりの心遣いを感じ取ったのか、すぐに笑顔になってご飯をよそった。
 ……だが、圭一には既にご飯と一緒に食べる副菜が無かった。
 しょうがないのでそのままご飯をかきこもうとする圭一だが、梨花が自分の皿をスッと差し出した。

「……いいのか?」
「ええ。私はあなたが食べているのを見る方が幸せだから」
「……そっか」
 それから、遠慮という文字を削除した辞書が擬人化してご飯を食っているかの如く、圭一は受け取った晩御飯をご飯と共に胃袋へと収めていった。
 食べている間中、美味い美味いと何度も言った。実際そうだったので、こちらも言うのに遠慮なんて無い。梨花も満足そうに圭一を眺めていた。

「ごちそうさま……! ありがとな、古手さん」
「……」
 全てを食べ終わり、食器をカチャカチャといわせながら流しに置いた圭一は、スポンジに洗剤をつけてゴシュゴシュと洗い始めた。
 初めの頃は皿を割ったりもしたが、今ではそれも無くなり、圭一も手伝い程度は出来るようになっていた。
 そんな圭一の背後に梨花が立ち、服の裾を指で挟んでクイ、クイ、と引っ張った。
 圭一は皿の泡を洗い流した後、振り返って梨花を見つめた。

「……私の事は……何も思い出さない……?」
「……古手さんの……事……?」
「……」
 質問を質問で返され、梨花は黙り込んでしまう。
 圭一はしまったと思い、頭を掻きながらどう声をかければいいものかを考えた後、ここは正直に言っておこうと……口を開いた。
「……残念ながら……。感覚として……君を信用しているのは確かなんだが……具体的な事は何一つ思い出せないんだ」
「……そう……」
 梨花は再び寂しそうな表情になり、
「古手……さん……?」
「……何でもないのです。みー」
 数歩歩いて、振り向き様にそう言った。

「……?」
 圭一は、そのまま歩いてゆく梨花の後姿を見つめている事しか出来なかった……。
 
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