「ダム計画は、今! この瞬間に……撤回されたぞーっ!!!」



 びりびりと空気が震えるのが分かる。圭一は、拡声器に向かって思い切り声を出していた。
 古手神社の高台。そこで、圭一は村の皆にダム戦争が終わった事を……告げた。

 村に活気が戻ってきた。
 騒がしくなってきた。高台から見た村の風景は、人が沢山私達に向かって走ってきているというもの。


「もう一度言ってやるーっ!ダム計画は、今! この瞬間に……撤回されたぞーっ!!!」



 驚いた顔をしながら、村人達は境内に集まってきた。全員息を切らしている。
 その中の一人が、圭一に確認をした。
「お……おい、前原の坊主。ダム計画が撤回されたってのは……本当か?」
 コクッ。
 圭一は黙ってうなずいた。


 その瞬間。雛見沢中に喜びの声が溢れた。
 古手神社からあふれ出た声が、村人達をさらに集め、そして次々に来た村人達は喜びに歓声をあげていた。


「圭一。……やったのね」
「ああ。心配かけたな。ちょっと色々あって、昨日は帰れなかったんだ」
「そんな事より。ぜひ聞きたいわね。どうやってこの計画を廃止させたのかを」
「いいぜ。えーと……そうだな。大石さん達と麻雀していたころから話そうか」








「んっふっふっふ。ようこそ。前原さん」
「お世話になります。赤坂さんも、電話、したんですね」
「うん。梨花ちゃんにお礼を言っておいてくれ。ありがとうってね」
「はい」

 それから俺達は麻雀を開始した。
 結果は、赤坂さんの全勝。つ……強すぎるって……。どこから来るんだあの強さは。
「相変わらずお強いですねぇ赤坂さんは」
「まったくだぜ。この前もコテンパンにされそうになったしな!」
 大石さんとおやっさんは赤坂さんと麻雀をやったことがあるみたいだな。その時もコテンパンにされそうになった……と。
 当の本人は笑いながらこの麻雀を楽しんでいるようだ。
 うん。やっぱり楽しまないとな。何をするにしても。麻雀だって、そのために生まれてきたんだからな。(たぶん)

「さて! 俺は負けっぱなしはいやなんで、赤坂さん! 必ずあなたを倒しますよ!! 部員の一人として!」
「はっはっは! よーし、受けてたとう!」
 それからは大石さん達はあっけに取られて俺と赤坂さんで一騎打ちみたいな形になった。
 そして……。

「勝ったー!!!」
「おお……。つ、強いね。圭一君」
「はぁー、あの赤坂に勝っちまうとは……。前原の坊主も相変わらずだな。麻雀でも強い強い」
「流石といっておきましょうか。さて、今の勝負は私達を完全に無視していましたね〜? んっふっふ! それも結構ですが、次は私達もちゃんと混ぜてくださいよぅ?」
「「す……すみません」」 
 俺と赤坂さんは、同時に謝り、そして笑いを作った。
 感じ的には、同時に頭を下げて、同時にお互いの顔を見て、そして同時に噴出した。大石さんとおやっさんもその光景を見て一緒になって笑っていた。
 楽しいや。


「大石さん!! た、大変っすよー!!」
「おや、熊ちゃん。どうしましたか?」

 笑い合っていると、熊谷さんが雀荘に入ってきてから大石さんに何かを伝えた。
 熊谷さんの様子を見ていると、ただ事ではないようだ。熊谷さんから何かを聞いた大石さんの顔もまたしかりだった。

「おやっさん。すみませんねぇ。赤坂さんと前原さんと、どうやら一緒に行かなくてはならない用事が出来ました。私に選択権はおそらくないでしょうから、これから行ってきますよ」
「そうか。まぁ、しっかりやってきな。そんな仕事だからしょうがないさ」
「んっふっふ……! さすが、おやっさんは話がよく分かるお人だ」

 何やらおだやかじゃないな。…………ん? ちょっと待てよ。どうして俺も行くんだ?
 警察の仕事なら赤坂さんが同行するのは分かるが、俺は基本的に無関係なのでは?
「俺も行くんですか?」
「ええ、そうですよ。あなたが来ないと始まりませんよ」
「???」


 そう言われて、俺と赤坂さんは熊谷さんが乗ってきた車に乗って移動を開始した。
 どこに行くんだと思っていたら、興宮の駅だった。

「……? 大石さん。これからどこに行くんですか? 私にも教えてください」
「そうですねぇ。別に隠す必要もない……か。むしろ困惑されなくてすむだろうし……。よろしい。教えましょう」
 やっと俺達が行く先が見えてくるのか。厄介ごとじゃないことを祈って、俺は大石さんの言葉に耳を傾けた。
「これから向かうのは、東京、正確に言えば犬飼大臣のもとです。私達に話があるそうですよ」

 ――――え?
 大臣のもと……? それって……

「大臣さんは私達にお礼がしたいそうです。ぜひ足を運んでくれ……らしいですよ。んっふっふ……!」
「――――!!」

 俺に……一筋の光が見えてきた。





「着きましたよ。ここです」

 そこに建っていたのは立派な建物だった。俺はどでかい建物の前で立ち尽くしていた。
「前原さん。早く行きましょう」
「あ、すみません」


 廊下を歩いていく。時刻はすでに深夜だ。こんな時間に呼び寄せるのもどうかと思うが、今はそんな事よりやらないといけないことがある。

「失礼します」
 大石さんが扉の前でそう言い、そして扉を開けた。中に居るのは、犬飼大臣だ。
「ようこそいらっしゃいました。夜遅くに、申し訳ありません」
「いえいえ。大臣直接のお呼び出しとなればすぐにでも駆けつけますよ」
「そういっていただけるとうれしいですな」

 大臣さんはそんな事を言いながら、俺たちをソファに座らせた。
 赤坂さんは緊張しているのか、ガチガチになっている。見ていて面白い。
 
「さて、あなた達を呼んだのは孫のために命をかけてくれた事への御礼です。私の叶えられる範囲で聞いてあげましょう」
 
 ――――!! これはますます俺にツキが来ているようだ。都合がいいぜ。

「んっふっふ。お礼なんていりませんよ。私達はそんな事のために働いているのではないですからね。……尤も、お一人を除いて……のようですが」
「言ってもいいですか? 俺、今してほしい事があるんですよ」
「どうぞ。なんでもしましょう」

 俺の願いは……ただ一つだけだ。

「雛見沢のダム計画を撤回してください」


 




 大石さんも赤坂さんも唖然としていた。恐れ多くも大臣の前でそんな事言う奴がいるか!! とでも言いたげな顔だ。
 だが、今回のチャンスを逃してしまったらもう俺にチャンスはないような気がした。
 大臣ともなれば、上の方にもかなり顔が利くはずだ。その気になれば出来るはず……!!

「……残念ながら……」
「………………出来ないんですか?」
「………………」

 ……いい度胸だ。口先の魔術師をなめてもらっては困るな……!!


「あなた、言いましたよね? 何でもするって。あれ、嘘ですか?」
 大石さんと赤坂さんは俺の挑発するような言葉に呆れている。どうなっても知らない……と、そんな顔だ。
 ……だが、周りがどう言おうと俺はこのチャンスをあきらめるわけにはいかない……!!

「嘘ではありません。ただ、私は‘叶えられる範囲で’と言ったはずです。それは、無理です」
「無理じゃないね。大臣ほどの地位にいれば、意見を言う事も出来るしそれがとおる可能性だって高い。何もしないうちから無理ですなんて、そんなのは自分から何でもすると言った以上は無責任です」
 俺は攻撃の手を緩めない。どんどん言葉を重ねていく。
「あなたの言っている事に間違いはありません。しかし、そんな事をすれば私は……」

「あんたの事なんか知ったことじゃねぇ!!!」


 俺はそう言い切った。恐れ多くも……犬飼大臣にな。
 大石さんと赤坂さんは何も言わず、ただ目の前で起こっている大臣に少年が怒鳴り散らすと言う喜劇を楽しんでいるようだった。
  
「な……なんだと!? お前……」
「あなたに俺を説教する権利なんてありませんよ? だって、あなたが何でもすると言ったんですから。
 それに犬飼大臣。あなたさっき言ったじゃないですか。俺の言っている事に間違いはない。ってさ。だったら無理ってわけじゃない。あんたは自分のその後を考えてそれにおびえているだけだ」

「黙れ!! お前に何が分かる!? 私はやっとここまで来たんだ!! それをみすみす手放すなど、出来るかぁあ!!」
「ふざけるな!! こっちは命を張ったんだ!! あんたの事なんか知ったことか!! 叶えてくれるといった以上、その責任を持ちやがれ!!!」
 腹が立った。人間というやつは、とことん醜い奴だと俺は再認識できた。
 以前の俺がそうだったように、他人を見下す事の出来る地位を捨てられずに自分の言った事すら実行できない。
 情けないね。まったく。

「命を張ってるのは俺だけじゃない!! 雛見沢の住人だって命を張って戦ってるんだ!! 自分達の村を……故郷を沈められないために!! 私の故郷は雛見沢ですっていう事が出来るために!!!
 ……あんた、分かるかよ? 自分の故郷が沈められる事が、どんなに心を傷つけるかを!!」

 皆、黙ってしまった。
 しゃべっているのは俺一人だ。
 ひょっとしたら、聞いてくれているのも俺の耳だけなのかもしれない。……だけど……俺は続けた。

「そうだ。どこかで出身を聞かれたり書いたりする時が来るだろう。その時、俺達はどんな気持ちになるか分かるか!! 故郷を沈められ、出身地を書くことすら出来ないことが、どれほど心を痛めるか!! 故郷のために戦っても、結局何も出来ずに沈められてしまった雛見沢の名前を思い出すために、俺達がどんなに傷つくか分かるか!? 分からないだろう!! 何故ならあんたは‘している側の人間’だからだ!!」

 そうだ。そういう事なんだ。している側は……何も傷ついたりしない。

「…………単純に……虐めの事を思い浮かべてください。
 虐めをしている人は何にも感じやしない。……だけど……虐められるほうは深く心に傷をつけられるんだ……!!!
 それこそ、一生を費やしても消えないほどの……!!
 そしてあんたは!! あんた達国側の人間はそれを雛見沢の村人全員にしようとしているんだ!!!
 それがどれほどの悲しみを作るかわかっているのか!? 俺達がどれだけ涙を流すか分かっているのか!?
 あんた達がしていることがどれほど罪深いことか分かってやっているのか!!!」


 …………全てをぶつけた。
 今までダム戦争に参加してずっと思っていた事。
 住人がこんなに抵抗して、反対しているのに、国側は手を引かないという事はきっと分かっていないからだと思った。
 ……だから……すべて…………ぶつけた。


「何が罪か……あなたに分かりますか? 犬飼大臣」
「………………」
 大臣は黙ったまま。赤坂さんと大石さんも……黙ったまま見守っている。
「気づけない事ですよ。あなた達は自分達の国のためだとか思って住民の心に気づいてあげられなかった。
 …………気づいてあげてください。今、雛見沢の住人がどれほど傷ついて、疲れ、そしてそれでも尚戦っているのだという事に。故郷を守るために、皆必死なんです。それに、気づいてあげてください。
 思い出を守るために……必死に戦っているんですよ……。故郷を沈められたら、そこにあった思い出も全て雛見沢と共に沈んでしまうんですよ? 
 あの頃、皆と遊んだ場所。皆と育った場所。そして……皆に出会わせてくれた……場所。
 それらの一日一日、一つ一つが全て思い出なんです」

 気がつくと……俺は涙を流していた。
 レナ、魅音、沙都子、梨花ちゃん。皆と出会って、遊んだ雛見沢。
 そこには、思い出が沢山ある。今までの俺にはなかったから、余計に心に刻み込まれているんだ。
 レナをからかって、魅音と勝負をして、沙都子のトラップに引っかかって、梨花ちゃんが俺の頭を撫でてくれて。
 そんな、毎日毎日繰り返している情景全てが俺の……思い出。
 俺の……心から信頼できる仲間達との、思い出だ。
 そんな思い出を守るために戦ってきたんだ。ここに来たときから、ずっと。

 かけがえのない……俺の……たった一つの宝物。



「気づいて……あげて……ください…………。皆の思い出を……壊さないで……くだ……さい……っ……」
 泣きながら話したのでうまく声に出来ない。
 前もよく見えない。これ以上は……無理だ……。


「…………分かった。何とかしてみよう」
「…………!! 本当……ですか……!!」
「……君達の気持ちはよく分かった。……どうやら私は……人間として大切なものを……失っていたのかもしれないな……」
「あ……あり……がとうござっ……いま……すっ!!!」
「……涙を拭きなさい。必ず計画を撤回してみせる。君の一言一言が、私自身が今まで地位のためにしてきた事を笑っていたよ。なんて惨めなんだ……ってね。
 ……気づかせてくれて……ありがとう。君の願いを聞き入れよう!! ダム計画は中止だ!!」

 この瞬間、俺はどれだけ涙を流しただろう。
 さっきまでとは比べ物にならないほどに涙が出てきた。うれしかった。気づいてくれた事が。……思い出を守ることが出来た事が……!

 

 その後の大臣の対応は、迅速の頂点を極めたようなすばやさだった。
 深夜だというのに、やはりお偉いさん方は忙く、まだ残って仕事をしているみたいで、そんな人たちを全て集め会議を開いてくれた。俺も同席し、ダム計画の撤回を訴え続けた。
 ……そして……全員を説き伏せた。満場一致で撤回に持ち込んだんだ。

「……やったぜ……。雛見沢の皆……! 俺……やったぜ!!」



 ガッツポーズを取りながら、俺はいきなり襲ってきた睡魔に負けてしまい、眠りについた……。


「おやおや。寝ちゃってますよ。……疲れたんでしょうねぇ」
「いやいや、この子には驚かされますね。まさか犬飼大臣相手にあれだけ怒鳴り散らすとはね。……脱帽です」
「んっふっふ。赤坂さんだって立派なものですよ」
「圭一君には遠く及びませんよ。私は緊張して何も話せませんでしたからね」
「気にすることはありません。彼は元々優れています。始めてあった頃からそう思いました。ダム工事現場で初めて会った時からね。目に迷いがなく、まっすぐ前だけを見ています。こいつはしょうらい大物になりますよ」
「……ですね。彼の今後に大いに期待するとしましょう」
「さて、では前原さんを雛見沢まで送って差し上げましょうか。結局東京まで来てしまったことですし、ダムの撤回を彼も早く住民に伝えてあげたいでしょうから」
「終電はとっくに過ぎてますから、明日の朝一ですね。それまではあと2時間くらいです」
「ちょうどいいじゃありませんか。彼にゆっくりと眠らせてさしあげましょう。雛見沢の英雄もさすがに疲れてるようですからね」
「そうですね。圭一君。……よくやったね」



















「で、目が覚めると興宮の街中を車で走っていた、というわけなんだ」
「……さすがね。大臣相手に怒鳴り散らすだなんて」
「チャンスがこれしかないような気がしたんだ。だから、すぐに行動に出た」

 無茶をするわね……。まったく。
 ……それが圭一なのだけれども……。

「「圭ちゃーん!!」」

「魅音! 詩音!」

 魅音と詩音も来たようだ。まぁ、村中に響くような声だったしね。
 彼女達が来てもおかしくない……か。
 どうやらこの詩音も雛見沢が沈まない事を喜んでいるみたいだし。
 まぁ、ここが沈んじゃったら悟史とも会えないしね。無意識に喜んでるのかも。
 どちらにしても今はうんと喜ぶべき時。雛見沢が沈まずに住んだ事、……そして……圭一が無事帰って来たことを。



 その後は圭一を中心にお祭りが開かれた。皆が笑顔で、楽しんでいた。
 ……今日はいつだっけ?
 …………ああ、綿流しの日ね。オヤシロさまもどこかで微笑んでいるのかしら? フフ……。

「梨花。……よかったですね」
「ええ。…………そうね。あなたもうれしいでしょ? 羽入」
「もちろんです。雛見沢が沈まなくて本当によかったのですよ」
 …………あと五年は生きられるから……とか思ってるんじゃないでしょうね?
 まぁ、今日くらいは勘弁してやろうと思って、口には出さなかったけど。




 お祭り騒ぎは、その後2日間に及ぶ盛大なものとなった。
 テレビでも雛見沢村のダム計画が撤回されたことを大々的にニュースにしており、村人達は再び歓声をあげた。
 私も楽しんだ。今楽しまなくて、いつ楽しむっていうの?
 大祭りは盛大に盛り上がり、村人はここに新たなお祭りを毎年しようと決定した。
 ‘綿流し祭’。まさか、圭一が祭りの原因となっていたなんてね。
 これで祟りが起こらなければ万々歳なのだけれど……。
 一体誰が起こしているのよ? 出てきなさい。今すぐにその身体を引き裂いてあげるわ。いずれそんな時に出会うのだろうし。
 どれだけ後になるか分からないけど。必ずあなたの覆面を引っぺがしてあげるわ。
 私自身が、雛見沢で生活していくためにも……ね。


「どうしたんだ? 梨花ちゃん」
「……何でもないわ。ちょっと考え事をしていただけ」
「ふーん。……まぁ、今日くらいは忘れろよ。せっかくのお祭りなんだからさ!」
「……そうね。そうさせてもらおうかしら」







 




 お祭り騒ぎは日が落ちても続き、そして三日目を迎えた。
 時刻はまだ丑三つ時。真夜中だった。
 私は圭一に起こされた。

「……梨花ちゃん。俺、そろそろ帰るよ」
「……え? 帰るって……5年後に?」
「……そう。……羽入が……な」
 そう言って、圭一は羽入を指差した。
 羽入はあの時――雷が祭具殿に落ちた日――と同じ目をして私達を見つめていた。

「……圭一。あなたは……帰りたいと思いますか?」
「……ああ。皆と早く会いたいぜ」
「……では、ゲートを開きます。今までエネルギーを蓄えていたので、今回は雷も必要ない。今すぐ出来ますよ」
「……そっか」
 ……? 羽入は何を言っているの?
 さっきから訳の分からないことばかり……。
「あなた……羽入なの?」
「……オヤシロさまとでも言っておきましょうか。あなた達にそう呼ばれていますから。圭一には、先ほど事情を説明しました。
 私が彼をここに呼び、そして私の眼を分け与えました。今は私は何も見えません。
 私は普段御神体と同化しているので、目が壊れていたのはそのためです。雷を落としたのも、あの時の私はエネルギーを蓄えることが出来ない状態だったので、雷のエネルギーを利用させてもらったんです」
 という事は、雷のエネルギーを全て時間移動に使ったから祭具殿は無事だった、となるのね。
「ちょっと待って。今とあの時、どうしてあなたは羽入の中に居るの?」
「羽入は私とあなた……古手梨花との連絡用として私が作ったものです。普段の彼女はもちろん彼女です。ちゃんと彼女の人格もあります。そして、この状態はかなり私に負担をかけるので、普段はあまりやらないのです。
 あの時と今は、こうしていないとゲートを開けないから。だから、そうしているのです」
「……なるほどね……」
 まさか、オヤシロさまたるものが本当に居ようとは、思いもしなかった。
 羽入が本物のオヤシロさまだと思っていたけど、それは連絡用に作られた……って事。
 だったら、他の人にも見えるように作ってあげなさいよね。羽入がかわいそうだわ。

「圭一。あなたがゲートをくぐっていけば、5年後に帰る事が出来ます。くぐりますか?」
「……ええ。くぐります」
「ならば聞きます。遡る時は可能ですが、未来へ行くときはその時その時の記憶をたどっていく必要があります。
 そしてそれはあなたにとって毒にしかならない。……それでも……行きますか……?」
「……俺の答えは……変わらない。どんな事が待っていたって……俺は必ず昭和58年の雛見沢村へと帰る」
「……そう。決心は変わらないのね。分かりました。ゲートを開きますので、少し待ってください」

 そう言うと、羽入……オヤシロさまは、祭具殿の方へ向かっていった。
 私と圭一だけが取り残される。
「……圭一……」
「ん?……なんだ?」
 ……嫌だ……。
「もう……お別れなのですか……?」
「……んー……。そういう事になっちまうのかな」
 ……嫌だ……!
「嫌だ……。圭一、行かないで……!」

 どうしてだろう。
 急に……圭一が居なくなることに対して抵抗が出てきてしまった。
 ……居なくなって欲しくない……。ずっと傍に居て欲しい……。

「悪いな。……俺は、昭和58年の人間なんだ。ここに残ることは出来ない。わかってくれ」
「でもっ……!」


 不意に、圭一は小指を出してきた。
 私の目の前に。

「……約束。五年後の綿流しの日、必ず梨花ちゃんを迎えに行く。それまで……待っててくれ。
 必ず、行くからな。必ずだ」
「……圭一……!」

「転校してきた時は何も知らないだろうけどな。絶対迎えに行くから。それまで、待っていてくれ」
「……何よ……。それじゃ、何だか恋人同士みたいよ?」
「……まぁ、俺は……好きだからさ。……梨花ちゃんの事」
「――え」
「ここに来てから、色々世話になったし、それに一緒に暮らしているうちに、だんだんそういう感情が芽生えてきてたみたいなんだ。今ならはっきり言える。……俺は、君が好きだ」

 どうしてだろう。
 涙が溢れる。
 圭一が居なくなるからじゃない。
 どうして?

 そんなの……分かりきってるじゃない……。


「……待ってるからね……。ずっと、ずっと」
「……ありがとうよ。最後に、もう一度言っておくな。俺は梨花ちゃんが好きだ。だから、迎えに行く。必ずな」
「……うん……っ!」

 
 私の答えも、もう決まっていた。
 いままで圭一と一緒に暮らして、私の中にもだんだんと好きだって感情が芽生えてきていた。
 だから、素直にいう事が出来た。

「圭一。……私も、あなたのことが好き。だから、待ってます」
「ああ。……できるだけ待たせないように頑張るよ。何でも記憶をたどらないといけないようだし。まぁ、それが何なのか俺にはわからないけどな」
「圭一なら大丈夫よ。信じてるから」
「感謝の言葉しかもう出ないな。ありがとう」



「圭一ー! 準備が出来ましたー!」

 遠くから、オヤシロさまが叫ぶ。
 圭一と一緒に祭具殿へ向かう。見送りをするのも何だか嫌だったけど、最後まで一緒にいたかった。


「ゲートは開きました。……あとは入るだけです。……お好きなときに入ってください」
「ありがとう。……じゃあな、梨花ちゃん。5年後、また会おうぜ」
「……帰ってきなさいよ。待ってるからね!」

「ああ!」


 そう言いながら、雛見沢の英雄は扉の中へ消えていった。
 あっという間の出来事。扉が閉まって、再び開けてもそこには何もない、例の道具達が眠る部屋への一歩手前の部屋があるだけの空間。
 羽入も元に戻っていた。記憶がないようで、頭の上に「?」マークをいくつも出している。


 ……終わったのね……。






 

 朝、目が覚めた村人達は、圭一を探してその日をすごしていた。
 私は探さない。……後は待つだけだと知っていたから。
 早く……5年経たないかしら。


 私はそうして、時を過ごしていった。
























 ギ……ギギギ……。
 外でガチャンと音がしたので、俺は富竹さんがカギを開けたのだと思った。


 ……懐かしいな。



 扉を開き、俺は外に出る。
 ここに来るまでに靴を脱いでしまったので、ペタペタと音がする。


 目の前に居るのは……あの時の、俺。

 頑張れよ。お前はこれからとんでもない体験をする事になるんだからな。
 ちゃんと……雛見沢を救ってやれよ?



「く……来るな……!」

 来るな、と言われてもなぁ。
 そういえばあの時はこんな事も言っていたっけ。
 無理もないか。あの時は何にも知らない前原圭一だったんだからな。


「……よ!」
「!!!??」

 俺は、過去の俺に話しかける。唖然としているのも無理はないな。
 まったく、ここに居る二人の圭一の心境はまったく違うんだよなぁ。
 さぁて、過去の圭一よ。今からタイムトラベルの旅行に連れて行ってやるぜ。


「これからは、俺がお前だ」
「……え?」

 何だ。聞こえなかったのか?
 しょうがないな。

「これからは、俺がお前だ」
「…………??」

「だから、昭和58年の綿流しからは、俺がお前」
「な……何だって……!?」

 何だっても何も、俺は失っている昭和58年の夏からを楽しもうというだけだ。
 驚くのは無理もないが、その辺は後になって分かることだから、まぁせいぜいこれから起こる不思議な事に対しての準備でもしておけよ。

 そして、過去の俺は祭具殿の中へ消えていく。


 俺は、無意識にニヤニヤしていた。
 これからやっと止まった時間が動き出すんだと思い、そして自分で言うのもどうかと思うが、何も知らない俺がかわいくってさぁ。
 それがあの時笑っていたように見えたんだなぁ。納得。

 おっと。そういえば最後に何か言ってたな。
 えーと……。


「無知ってのは……時には武器にもなるが……時には恐怖を生み出す糧にもなる。…………楽しかったぜ」




 ギィィ……。バタン。


 扉が閉まった。
 バイバイ、俺。頑張れよ、俺。

 やる気のない応援を送ってから、俺は鷹野さんのお誘いを丁重にお断りした。
 誰にも言わないという約束をしてな。





 俺が奉納演舞の行われている場所へ行くと、レナ達が梨花ちゃんの演舞を見ていた。

「あ、圭一君。もう気分は大丈夫なの?」
「ああ。もう大丈夫だ」
「そう。よかった」
 レナが微笑む。
 久しぶりに会ったレナは、やっぱりレナのままで、俺に帰って来たんだという実感をくれた。



「お疲れ様ー! 梨花ちゃん、お見事だったよ!」
「梨花がやるのですから、当然ですわ」
「あっはっは! そりゃそうだ!」
 奉納演舞が終わり、そして綿を流した後に俺達は集まって雑談で盛り上がった。

 ああ、俺は帰って来たんだな。
 昭和58年に。

 ひとしきり話した後、解散となった。
 もちろん、俺は別だがな。



「……迎えに来たぜ。梨花ちゃん」
「待っていたわよ。……圭一!」


 俺は小指を出して、今度はずっと一緒にいると誓った。
























 ひぐらしのく頃に  遡り編







          






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