「あ〜、くそ……。頭がガンガンする……」
 警視庁爆破事件の二日後。
 魅音に連衡され、部活メンバー総出で行われた酒盛りは当然のごとく翌朝まで続き、酔いつぶれながらもようやく帰宅した圭一はすぐに爆睡を開始。
 その後、自分でセットしながらもやかましいなと思ってしまう目覚まし時計にたたき起こされた圭一は、己の頭痛の度合いから肝臓の心配をするのであった。
「……休暇が取れたら病院にいこう……。肝臓は念入りに調べてもらって……」
 ここまで言いかけて、圭一は自分の財布がすっからかんなのを思い出した。
 もちろん、飲食代全ておごらされたのだ。
 圭一は口をアヒルにしながら、今度は通帳を探し出す。
 警察に就職した時点で、両親からの仕送りは終了している。
 それでも結構な貯えがあったりするから、うまくやりくりすれば充分不自由せずに生活できたりするのだが。
「とりあえず必要最低限下ろして……。…えーっと、肝臓の検査っていくらかかるんだ?」
 こんな時、男の一人暮らしでは非常に困る。
 圭一も忙しい身、家計簿などつけている暇はない。
 だからといって、先の事を考えなければ間違いなく破産する。
 だが、それを考える時間さえない。警察も大変だ。
「…っと、もうこんな時間か……! 早くいかねぇと……!!」
 先ほど自分を起こした時計を再度確認し、急いで出勤の準備をする。
 ぼやぼやしていると遅れてしまう。酒を飲まされて疲労困憊だったために昨日は魅音の連衡に圭一自身もなすすべがなかった。
 そのせいで、一日欠席だ。赤坂さんがフォローを入れてくれたとはいえ、これ以上遅刻をするだけでもまずいだろう。

 圭一は食パンをトースターに入れて着替え始める。
 さらに脱衣所までいき、寝癖でぼさぼさになっていた髪型を整えた。
 そうこうしていて、ほどよく時間がたった頃に食パンはこんがりと焼きあがる。
 そいつにバターを塗って、急いで玄関へと向かった。

 パンを加えながら靴を履き、カギを開けて外に出ると、

「んぅおっ!!?」
「うわっと!!!」

 圭一は外で待っていた人物にぶつかった。
 
「う……てて…。あ…あぁああ〜〜〜〜っ!!!」
 ぶつかったひょうしに玄関内部まで逆戻りしてしまった圭一は、しりもちをついて痛みを発していた部分を撫でながら、大声をあげる。
 圭一がぶつかった人物。…それは、
「おはよう圭一君。昨日は災難だったね」
 日津谷だったのだ。
 ところが、そんなのおかまいなしに圭一は、土と埃にまみれてしまったパンを見て涙を流していた。
「…け…圭一君?」
「ひっ…日津谷さんんんっ!!! な…何て事するんですか!! あれは今日の俺の唯一の朝ご飯だったのに!! それを土まみれにしてしまったじゃないですかぁあぁあ!!!」
「パ、パンくらいで大げさな……」
「大げさな? 日津谷さん、今の俺の状態を知っているんですよね知っていますね!! 昨日は災難だったって言いました知っていますね!!!! 知っていてそんな事を言うんですか!!!! 今の俺の財布の中身は皆に搾り取られてすっからかん、寂しい懐に耐えながら銀行まで行ってお金をおろそうと思っていたんですよ!! しかし!! 銀行へ向かう事にだってエネルギーが居るんです!! 俺の全身の細胞が悲愴感に嘆きながらも搾り出してくれたこのエネルギー!! それを使わないと俺は動けない!! こんな気分だというのにせっせと俺の手足が動くために働いてくれているんです!!! そんな彼らに!! 今の俺から渡すことのできた唯一のプレゼント!!!!! それがこのパンだったんですよ!!!!!! 確かにパンを落としたのは俺の不注意だ。でも!! しかし!! まさか玄関から出たらそこに日津谷さんがいて、衝突してしまうなんて誰が予想できたでしょう!!!? 俺と同じ環境に居た奴ならば誰も予想はできませんよ!!!!! 日津谷さん、あなたは!! 俺の細胞達へのプレゼントを土と埃まみれにしてしまったんですよぉおおぉぉおおおおぉおっ!!!!!!」
          
「あー、分かった。パンくらい後で買ってあげるから。とりあえず声のボリュームを落としてくれ」
「パンくらい!!? 言っちゃいましたね日津谷さん!? たかがパン、されどパン!! パン一つでどれほど生きる時間が長くなるかあなたは」
「分かった!! 分かったから!!!! パンは素晴らしい!!! パン最高!!! すまなかった圭一君、僕は君の細胞達へのプレゼントを奪ってしまった!!! 心からわびるよ!!!!!!」
「分かってくれましたか!!!!!」
「ああ!!!!!」

 ガシ!! と、二人の手が握られる。

 …圭一は完全に暴走していた。
 懐のむなしさと、限られた時間の中で出来た唯一の食事を奪われ、暴走メーターが一気に上昇したのだ。
 
 日津谷も日津谷で、赤坂から頼まれた「圭一の暴走を止める」仕事を、まだまだ不安定だが、こなせるようにはなっていた。

「カレーパンでもいいかい? ちょうど、さっき買ったのがあるんだ」
「…………!!! カ…カレーパン……!!」
「………………?」

「ち    え     せ     ん     せ     −     い     ばんざーーーーい!!!!」
「!!??」
 突然圭一が訳の分からない事を言い出した。
 しかも特大をはるかに通り越したボリュームで。
 日津谷は訳が分からず、耳を押さえながら脳に響く圭一の声が静まるのをひたすら待つのだった。

「あちゃー、圭ちゃんにカレーパンを見せちゃ駄目ですってば」
「……? あなたは……?」
「魅音です」
「……と、レナでーっす!」

 突然、魅音とレナまで現れた。
 なるほど、この二人は圭一を拉致って飲みまわしたメンバーのうちの二人だと、魅音の圭一の呼び方から察し、一体圭一はどうなってしまったのかを聞き出す事にした。

「……というわけなんだが、彼は一体どうしてしまったんだい?」
「んー、それが…圭ちゃんが一度知恵先生…あ、うちらの高校入るまでの先生です。で、その先生がカレー好きでして。話を戻しますけど、その知恵先生と圭ちゃんがカレーについて熱く語った事がありまして。その時、圭ちゃん完全に洗脳されたみたいです」
「…せ、洗脳って…」
「でも、今の圭一君の姿を見たら納得せざるおえませんよね?」
「……確かに……」

 (洗脳……。自分の教え子に洗脳……)
 雛見沢は赤坂の言うとおりだと改めて思う。
 仕事中の圭一を拉致っていくだけでも非常識にもほどがあるが、雛見沢という土地では教師が生徒に洗脳をほどこしていたのだ。
 恐ろしいとしか言いようがない。
 なるほど、圭一があれほどの事件で冷静に交渉をしていたのも、このとんでも土地のおかげなのだと。
 彼ならば、エリート刑事としてキャリアを持って捜査一課に来ても何の不思議もなかったと……。
 そして、自分には絶対にまねできない領域に圭一はいるのだと日津谷は思い知った。

「で、あれを止めるには一体どうすればいいんだい?」
「カレーライスですね」
「…………?」
「お米とカレールーを食べさせれば元に戻ります」
「………………」

 その知恵という先生、一体圭一に何をしたんだと叫びそうになるが、それは当人達の問題であって、日津谷にはとりあえず関係ない。
 わざわざ首を突っ込む必要はまったくないと考え、声に出すのをとどめる。
 首を突っ込んだら最後、一体どんな末路を辿るのか予想がつかないからだ。
 今の日津谷なら、圭一が拉致された時なすすべもなかった赤坂の気持ちがよく分かった。

「…そしてぇ、なんとレナはカレールーを持っているのでしたぁ☆」
「………………」
 レナはボ○カレーと書かれている箱を捨てた。
「そして魅音さんはライスを持ってるよ! へい、一丁!」
 魅音は明らかにコンビニのおにぎりを解体したものを差し出した。
「………………いくらですか」
「しめて三千八百円になります☆」
「……………………」

 いかん、このままだと自分の財布まですっからかんになる。
 そう直感した日津谷は、金を払い圭一の意識を目覚めさせ、さっさと自分の車に押し込んで警視庁へ向かった。

「まいどありぃ〜☆」
「またのご利用お待ちしておりま〜す」

 

  *     *     *

 

「「はぁ〜」」

 警視庁に着くなり、どでかいため息が二つ吐き出された。
 一つは圭一。あの騒動がなければ銀行に行ってお金をおろす事はできたのかもしれないのに、結局懐は寂しいままだから。
 もう一つは当然日津谷。
 あの騒動がなければ高額カレーライスを買わされる必要もなかったのに。
 何故玄関で待っていたのかと自己嫌悪に陥った。

「やあ二人とも。朝から不景気な顔してるけど大丈夫かい?」
「あがざがざん〜〜〜」
 圭一はさらに不景気な顔に変化させて赤坂に泣きついた。
 あの魅音とレナ、さらにもう二人居たというではないか。
 財布の不景気はもはや必然だ。泣きつきたくなるのも日津谷にはよく分かった。
 
「おや……? 雪絵さんもご一緒ですか。赤坂さん、夫婦で来るなんて一体どうしたんですか?」
 そこには赤坂だけでなく、赤坂の妻、雪絵の姿もあった。
 当然、雪絵がここに来る理由なんてないはずなのだ。
 それなのに居る。……何故?
「お弁当を持ってきたんです。もう、この人ったらせっかく作ったのに忘れていっちゃうんですもの〜☆」
「ごめんごめん。ちょっと急いでたからね」

 現時点で圭一と日津谷は捜査一課の部屋へと速やかに入っていった。

 扉を開けて中に入った圭一に飛び込んできたのは、膨大の量の資料と思われる紙の数々。
 それらが、ファイルの中で早く確認してくれと言わんばかりに積まれていた。
「さて、圭一君も手伝ってくれ」
「…何ですか?」
「前の爆破事件の書類だよ。まだ整理ができてないんだ」
「な…何ですかこの量!」
「何せ警視庁の大問題だからね……。赤坂さんはベタベタだし、今やれるのは僕と君くらいしかいないんだよ」
「……他の人は……」
「休ませたよ。昨日からずーーーーっとやってたから」
「………………」

 …ようするに、前日欠席をした圭一に仕事が沢山回ってきたのである。
 自業自得というのはさすがにかわいそうか。結局のところ、部活メンバーに振り回されているだけなのだから。
 
「言っておきますけど、昨日のは俺の本意ではありませんからね?」
「充分承知さ。私はさっきじかに相手をしていたんだよ?」
「……ですよねぇ」
「しかし、上の方はそうはいかないんだよ。……いっそ彼女達と酒でも飲んでもらおうか」
「それはいい。俺達と同じ目に遭ってもらえますねぇ……!」

 二人の表情はいっきにダークな雰囲気を漂わせ、警視庁捜査一課の一室からは不気味な笑い声が漏れ出ていた。
 あまりにも不気味だったために、赤坂を始めとする近辺に居た者は皆震え上がったと言う……。

 


「……っはぁーーーー!!! 終わったーーーー!!!!!!」
「ふぅー……。やっと終わったね」
 赤坂とその愉快な仲間達にまかされた資料は、二日がかりでようやく整理がつくほどのものだった。
 日津谷は先日の圭一のような表情を浮かべ、圭一は逆にいい経験だとすがすがしい表情になっていた。
 作業が終了し、ふと圭一が時計を見ると、もう午後六時を回っていた。
「しっかし、二人がかりでもこんなに時間がかかるんですか…」
 時計から日津谷へ目線を移し、圭一は尋ねる。
「いや、今回のは特別多いね…。なんせ、昨日は四人がかりでやってたんだ。それでも終わらず、今日も二人がかりでやっと終了……」
 不謹慎かと思ったが、圭一は昨日魅音に拉致されて少しはメリットがあったか、と思っていた。
 財布の不景気は何ともいえないが、結果的に二日酔いという置き土産さえなければ楽しかったわけだし、久しぶりに雛見沢の事も魅音、沙都子、梨花から聞き出せた。

 ちなみに、レナは圭一と一緒に高校を出た後上京した。
 二人そろって志望校に合格。大学は違えど年齢に差はないので、二人とも今年から正式な社会人として就職を果たした。
 さらに言えば、圭一は始めは警察庁に勤める事になっていたのだ。
 本来はそちらで仕事をする事になっていたが、勤め始めてすぐに親戚の葬儀に赴くことになってしまい、結局復帰は六月中旬からとなり、圭一が葬儀に行っている間に赤坂に引き抜かれたのだ。

 レナは順調に仕事をこなしていた。
 四月には就職、現在までに至る。すっかり職場の雰囲気にも仕事にも慣れたレナは社会人としては理想の姿だった。
 ただ、部活メンバーと混じると昔を思い出すようである。
 休みを利用して来ていた沙都子、梨花、そして、どんな手を使ったのか魅音まで居たので、圭一も巻き込んで二日間はっちゃけたのである。

「そういえば魅音って今は園崎家頭首なんだよな……」
 お魎は既に他界しており、現在は魅音が園崎家頭首だ。
 そんな魅音が何故ここに居るのかという疑問を浮かべたが、悟史と詩音のサポートを買って出た代わり、しばらくの間詩音と入れ替わってもらう約束でもしているのだろうと圭一は判断した。
 
 ちなみに、部活メンバーは全員園崎家とは交友関係にあった。
 一致団結して山狗を追い払った武勇伝は魅音、詩音の口から園崎家の内部にまで知れ渡り、前原家、竜宮家、北条家の株は一気にのし上がっていった。古手家はまさに頂点まで行ったところであろうか。
 悟史も事件後、順調に回復。
 完全に復活したところでお祝いのパーティが園崎家主催で行われ、盛大なものとなった。
 詩音と沙都子も悟史の元気な姿を見て涙を流しながらよろこんでいた。

 さらに、入江診療所は今回の件でなくなるはずだったのだが、お魎から維持してくれと直々に命令があり、
 現在は園崎家のサポートで研究、診療所としての機能を保っている。
 
 山狗と部活メンバーの戦いは、後の圭一達を大きく動かしていたのである。
 今、雛見沢にはわだかまりも何も無い。
 圭一、レナも安心して上京する事が出来た、というわけだ。

「どうだった圭一君。久しぶりに旧友に会ったんだろう?」
「ええ。皆相変わらずな感じで、ここの皆さんには悪いですけど、楽しませてもらいました」
「雛見沢には僕も今度行ってみようか……。きっと楽しいところなんだろう?」
「そうですね。レナも誘って、今度は俺達から向こうへ出向いてやりましょう。親にも、やっと就職した姿を見せられるってものです。なんせ、最後に会ったのが親戚の葬儀の場でしたから……」
「うん。それがいいよ。…そうだね、赤坂さんも誘うってのはどうだろう?」
「もういっそ、捜査一課全員で押しかけましょうか? 雛見沢の皆は大歓迎してくれると思いますから!」
「ははは、叶うといいね。なら、まずは上の方々に気に入られないと。とりあえず、当面の目標は捜査一課全員の休みを取れるように仕事に専念する事だね」
「……ですね。いつかそんな日が来るといいです」
「必ず来るさ。……いや、君なら、そんな日を自分から呼び寄せてしまうような気がするんだよ」
「俺はそんな大物じゃないですよ」
「いや。君は自分を過小評価しすぎだ。キャリアを持って警察に入るだけでも大変なんだからね」
「…はは、ありがとうございます」

「楽しそうだね」
 仕事を終えた二人が楽しそうに話していると、赤坂が入ってきた。
 朝の不気味な声とは対照的な声が聞こえてきたので、たまたま通りかかった赤坂は興味をひかれたのだ。
「あ、赤坂さんどこ行ってたんですか。おかげでこの資料、俺達だけで片付けたんですからね〜!!」
「すまないね。私も、この階級だと色々めんどうがあって……。理不尽な命令に従いたくなくて上り詰めたけど、まだ四番目だしね」
「それでも凄いですよ。僕も赤坂さんを目指して頑張らないと!」
「いや。目指すのは私じゃないよ」
「何を言っているんですか!! もう、二人とも自分を過小評価しすぎですって…」
「目指すのは私の上だ。日津谷も、圭一君もまだまだ若い。目標は高く持ってくれ。私の部下になった以上、私以上になってくれることを願っているんだけどね」
 普段お茶らけている赤坂から、こんなセリフが出てくるとは二人とも思っていなかった。
 虚をつかれたわけではあるが、それに問題はない。
 むしろ、日津谷は赤坂への信頼を増していくばかりだ。
「…へへ! そんなの言われるまでも無いですよ!! 俺はいつだって目指すのはナンバー1だけですからね!!」
「…なるほど…。確かにその通りかもしれませんね」
「自分で自分の道を閉ざす壁を作ってしまう必要はないよ。私と言う目標のせいで日津谷の将来が制限されてしまうなら、私はどうすればいいのか分からなくなってしまう」
「もうあんな事言いませんよ。目標は常に高く。理にかなってます」

 二人の楽しげな会話は、三人になった。
 同じ課の仲間もその声に引かれて次々と部屋に戻って来、興味をそそる会話はどんどん大きくなっていった。


「お、もうこんな時間か。どうだい、日津谷、圭一君。ちょっと飲んでいかないかい?」
「いいですね。賛成です」
「おれは勘弁してほしいです。ちょっと、これ以上酒が入るとマジでやばそうなんで…」
「ははは、そうだったね。じゃあ、調子が戻ったら改めて飲みにいくとしようか」
「そうしてもらえるとありがた…」

「圭ちゃーーーーんっ!!!」< /FONT>

 ドバンとものすごい音を立てながら扉が開き、魅音が顔をのぞかせた。
 二度この光景を見ている捜査一課の面々は、この後の出来事が手に取るように分かった。

「み…魅音!!? お、俺はもう飲みになんかいかないぞ!!! 肝臓がぶっ壊れちまう!!」
「あーんしんしなって! 今日は部活だよ! 沙都子と梨花ちゃんは帰っちゃったけど、レナも後から来るってさ! 久しぶりだからって容赦しないからね!!?」
「そういう事なら話は別だ!!! 魅音、今日は何をするんだよ!?」
「ふっふーん。色々持ってきたからねぇ。何でもあるから、三人で好きなのを選んでやろう!!」
「それがいいかもな。よし、んじゃ皆さん! 俺先に帰りますね!」
「分かった。楽しんでおいで!」
「よーし、行こうぜ、魅音!」
「言われなくたって!」

 圭一、魅音は風のように捜査一課を去っていった。
 童心に戻る、という言葉がぴったりの光景。
 あんな時期が自分達にもあったなぁと、今度はそんな話題へと切り替わっていくのだった。


「赤坂さん。今度、雛見沢に行ってみようって話しがあったんですけど」
「…それはいいね。休みがもらえたら行ってみようか」
「ええ。僕も雛見沢に興味が出てきました」
「……そうだろうね」

 そう言う赤坂の顔は、どこか寂しげな感じだった。

 

 

   *      *      *

 

 圭一とレナが、魅音が宿泊している旅館で部活ではじけた翌日。
 いつものように目を覚ました圭一は、時間の余裕と財布の余裕から上機嫌。
 今日もいい一日でありますようにと、我ながら女々しい事をしているのか、と疑問に思いつつも、仕事場に赴くため準備を進めるのだった。

 朝ごはんも食べ、身支度を整えた圭一が玄関のドアから出ようとすると、

 ピンポーン

 インターホンが一つ鳴った。
 こんな朝早くに誰だろうと思いながら、ドアに手をかけて開けようとする。……すると、

 ピンポーン ピンポーン

 インターホンは何度も鳴った。
 よほど急ぎの用事なのだと推測できるが、時間を考えてほしいと少し呆れながら、圭一はドアを開けた。
 だが、そこに居たのは朝っぱらから考えもなしにこんな事をする迷惑な人ではない。

 …そこには、息を荒げた日津谷が立っていた。

「あれ? 日津谷さん、どうしたんですか?」
「…っ、はぁ、はぁ……。た、大変だ、圭一君」
「…………?」
「赤坂さんが……殺人の容疑で逮捕された……!!」
「何ですって!!!??」

 

   *     *     *


「事件が発覚したのは昨日の午後八時十六分。午後八時まで、僕と赤坂さんは居酒屋に居たんだ。その後別れて、今日の事だ。朝から僕の家に警察の人が押しかけてきて、何事かと思ったら、僕の証言が聞きたいといってきた。何の事だと聞き返したら、赤坂さんが殺人容疑で逮捕されたと、そう聞かされたんだ」

 今は、日津谷の車の中。
 立ち話をするよりも、移動しながら話をする方がいいとの判断だ。
 
 日津谷は、自分が先ほどまでに体験した全てを簡単に話した。
 詳しくは資料を見ながらの方が早いとして、急いで警視庁に二人は向かう。

 


 しばらくして、二人は警視庁に着いた。
 足早に中央エントランスから自分の捜査一課の部屋へと進んでいき、ドアを開ける。

 部屋には、いつもの面子と、知らない顔が二つあった。

「日津谷直樹、前原圭一だな」
「そうです。一体何があったんですか?」
「それについて、今から詳しく話すから、座ってくれ」
「………………」

 

「被害者は松野剛。こいつは前科があって、以前赤坂に捕えられている」
「………」
「場所は人気の少ない路地だ。赤坂は、普段は帰宅路として使わない道をわざわざ選び、そこを通った」
「目撃者の証言によると、赤坂はその路地に入っていき、少し時間が経ってから大慌てで出てきたそうだ。何事かと路地を覗き込むと、そこには何度も殴られたと思われる死体が転がっていた、というらしい」

「おそらく、松野氏が恨みを持って赤坂を襲撃したが、逆に返り討ちにあったのだろうと我々は思っている」


 今までの話をまとめるとこうだ。

 赤坂は、午後八時まで日津谷と居酒屋に居て、酒を飲んでいた。
 そして、日津谷と別れた後、わざわざいつも使っている帰宅路を使わず、人通りの少ないところへ向かった。
 そして、路地に入っていき、被害者と遭遇。
 被害者は恨みを持っていたため、赤坂に襲い掛かった。だが、返り討ちに遭う。
 人を殺してしまったことから、赤坂は動揺し、思わずその場から逃げてしまった。

 それを、たまたま通りかかっていた人が目撃した……。
 その時間が午後八時十六分。
 居酒屋から路地までそれほど離れていないし、時間的にも無理は無い。
 
「そんな馬鹿な!! 赤坂さんが人を殺すわけがない!!!」
 日津谷は必死に抵抗する。
 むろん、信じられないからだ。
「だが、赤坂衛本人がそう言っているんだ。これは動かしがたい証拠といえるだろう」
「馬鹿な!!!! 嘘だ!! 嘘に決まってる!!!」
 日津谷は混乱していた。
 自分が尊敬し、目標としてきた人物が殺人を犯した。
 しかも、赤坂自ら自分がやった、と証言しているのだ。
 自白、というのは、一番重要視される。
 状況的証拠、そしてそれを裏付ける容疑者の証言。
 これにより、赤坂は殺人の容疑で逮捕されたのだ。

「正当防衛にはならないんですか?」
 圭一は、日津谷とは対照的に冷静に質問をした。
「正当防衛にはなるが、逃げたのがまずかったようだ。罪は重くなる」
「……そんな!!」
「…………………」  
 日津谷は頭を抱え込み、その場にうなだれた。

 そんな姿をもう見たくなかったのか、知らぬ顔の二人はこう言う。
「私達だって信じられない。あの赤坂君が、あんな事をするなんて…」
「だが、これは真実なんだ。……受け止めてくれ」
 フォローになっていなかった。
 この二人は、どう見ても事件の担当の者だろう。
 捜査をした結果、こうなったという事だ。
 それはさらに日津谷を絶望へと突き落とした。

 場の空気が悪くなる。
 日津谷だけではない。捜査一課の皆が、赤坂にしたってここまでやってきたのだ。
 皆が表情を暗くする。

「…では、私達はこれで失礼するよ」
 見かねた二人は、場を去ろうとした。
 …だが、

「待ってくれ!!」

 一人の声が、それを止める。
 ……圭一だ。

「あんた達の捜査はもう終わった。…それでいいんだよな」
「…そうだ」
「なら、これから俺がする事に口出しをしないと誓ってくれ。……いいな?」
「貴様、口の利き方に気をつけ…」

「いいな!!!??」< /FONT>

 一人がだらだらと説教を始めようとしたが、圭一が一喝した。
 その目は、邪魔をしたら殺すぞと言わんばかりの、真剣な目。

 涙を流しながらうなだれていた日津谷は、その姿を見て、…頼もしく思った。

「……わ、わかった。いいだろう。私達は赤坂氏を犯人として事を進めていく。そちらが何をしようと勝手だが、こちらの邪魔を…」
「邪魔をするな? そういいたいのか? …………悪いな。大いに邪魔をする」
「ふざけるな!! そちらが邪魔をするなというのに、こちらの邪魔をするだと!? どういうつもりだ!!」

「分からないのかよ。俺はこう言っているんだ。てめぇらのそのみみっちい脳みそがたたき出した答えがいかに愚かで、何も考えていないかってことをよ!!!」
「何だと……!!」

「俺は……この状況をひっくり返す!!! 赤坂さんに頭を下げる用意でもしてるんだな!!」
「……貴様……!!」
「やめろ。……前原、本気で言っているのか?」
「当たり前です。赤坂さんは白だと、俺は信じている」
「…………分かった。邪魔して結構だ。私としても、赤坂君を失いたくは無い。前原圭一、君に正式に捜査の引継ぎをたったいま宣言する。…………たのんだぞ」
「………それじゃ困りますね。捜査をするのは俺じゃない。この、捜査一課の人全員です。…いいですか?」
「…いいだろう。上には私が言っておく。……頑張ってくれ」
「…………はい」

 扉は閉められ、二人は出て行った。
 捜査一課の空気は、相変わらず重々しい。

「…圭一君。ひっくり返すって、一体どうやって…」
「皆さんは信じていないんですか? 赤坂さんは白だって」
「…そりゃ、赤坂さんが黒だとは信じたくないよ…」

「なら、疑う余地は充分です。……いいですか? そもそも、赤坂さんが人を殺した、という時点で疑うべきなんです。あの赤坂さんですよ? かなりの大人数で襲われたならともかく、一人で襲われて殺すはずがありません。みぞおちを一発殴ればそれでお仕舞いなんですよ」
「……そう…いえば」
「酔っていたとはいえ、あの人は尊敬に値するほどの実力の持ち主です。当然、自分の力をセーブする事だってできる。それに、もう何年も警察をやっているんだ。どれくらいが気絶する力なのかは、本能的に知っているはずだ。
 それに、ここまで偶然が重なるはずがない。よく考えてください。
 赤坂さんが帰宅路とは違う道を通った。そして、たまたま路地を通ったらたまたま過去捕まえた人物が居て、襲われた。
 できすぎです。
 俺は、この事件には何か、裏があると思います。それを捜索するのが、俺達の役目です!!!」

「…………確かに…そうだ。赤坂さんが人を殺すはずがない!!」
「前原さんの言うとおりだ!!」

 ざわざわ!!

 場の空気は、一気に色を塗り替える。
 …暗い色から、鮮やかな色に変わっていくように。

 生気が、皆の表情に満ちていく……!!

「…すまなかった、圭一君」
「日津谷さん……」
「君の言う通りだ。赤坂さんが人を殺すわけがない……。そんな事は分かりきっているのに……」
「これから挽回すればいいんです。あなたを非難する人はここには一人も居ませんよ」

「日津谷さん!! やってやりましょう!!」
「赤坂さんの無実を証明するんです!!」
「絶対にこれは間違いですよ!!」
「…皆…」

「…悲愴感にひたるのはここまでです。目標は常に高みを目指して。こんなところで立ち止まっている場合じゃありませんよ」
 圭一は、日津谷に手を差し出した。
 はやく、舞台に上がってこいと言っているのだ。
「……確かにそうだ」

 日津谷も生気を取り戻し、圭一の手を取る。

 


 …役者は全て舞台に上がった。

 
 

 赤坂は無実だ。
 そう、この場に居る誰もが信じている。
 そして、それを証明するために動こうとしていた。
 
 圭一は、信じる力の大切さと、凄さを……知っていたから。
 皆に呼びかけたのだ。
 どんな状況でも、ひっくり返せると信じて!!!!

 
「俺は、似たような経験を過去潜り抜けました。誰もが絶望し、もう終わったと思った時があったんです。……そこに、赤坂衛という光が差し込んだ。…そして、現在の俺があるんです」
「…………」
「俺は、あの時の赤坂さんになりたい。赤坂さんは、俺にとっても目標だったんです」
「……そうか……」
「だから、ここまで来ました。……でも、今日気がつきました。赤坂さんを超えなきゃ、意味ないんだって……」
「…………」
「恩師を助けるのは当然。…それは日津谷さんも同じはずですよ!!」
「…分かっているさ!! 皆!! 捜査を開始するぞ!!」

「「「「 おぉぉおおぉおおおっ!!!! 」」」」

 



 

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