「日津谷さん、そっちはどうですか?」
「……駄目だ……。……手がかりがまったく見つからない……」
 
 赤坂が殺人の容疑で警察に逮捕されて一週間が経った。
 早急に捜査を受け持った日津谷達は、連日連夜捜査に明け暮れている。
 だが、手がかりの少なさから、行き詰っている、という現状だった。
 今では運ばれてくる資料に目を通しながら、少しでも事件を解く手がかりはないものかと天に祈りながらの捜査に成り下がり、すっかり室内で資料の閲覧をする事が定着してしまっていた。

「……だぁーーっ、くそ!! どっかにないのかよ……!! 手がかりはよぉ……!!」
「落ち着いて、圭一君。熱くなってもしょうがないよ。……今は我々に出来る事をしていくしかない」
「だからって毎日資料に目を通すだけじゃ……!」
「その積み重ねが大事なんだ。この膨大な資料の中に手がかりが隠されているかもしれないんだからね……」
 当初は冷静に捜査をしていた圭一も、そろそろシビレを切らして落ち着きがなくなっていた。
 最初こそあたりをパトカーで捜索し、手がかりを求めてアクセルを踏んでいたが、今やっているのは資料をあさるのみだ。
 性格上、圭一にはそれが苦痛に近い感覚となっていた。
 それに比べ、日津谷は変わらず落ち着いた態度で圭一をなだめる。
 今あわててもどうしようもないし、むしろそれでは重要な手がかりを見失う可能性もある。
 日津谷は、それを知っていた。
 このあたりは、同じ警部補であっても経験の差が見て分かる。
 このような地道な作業は、警察にとって最も重要な事につながる可能性がある。
 だからこそ、冷静に対処しなければならないのだ。

 この頃になると日津谷も圭一の扱いに慣れてきて、圭一はしぶしぶ資料に目を戻すのであった。

「しっかし……この中に本当に手がかりがあるんでしょうか……」
「ある、ないの有無に関わらずにやるしかないよ。僕も不本意だけど、動けない以上はこれをするしかないんだ」
「……確かにそうですけど……」
 圭一は腕を組んで、うーんと唸る。
「どこか……見落としている気がしてならないんです……。決定的な……何かを……」 
「……決定的な……何か……」
 日津谷も腕を組みながら考える。
 日津谷にも、何かを見落としている気はしていた。
 連日の資料閲覧に気をとられて、そんな見方があるという事を忘れていたのだ。

 考えてみれば、確かに手がかりは少ないが、無いわけではない。
 ……だが……捜査はある時期からまったく進んでいない。……それこそが……何かを見逃している証拠でもあった。

 ……赤坂の反応のおかしさ。
 ……たった一つの手がかりだった。
「……思えば、あの日……朝から、赤坂さんは……どこか様子が変だった気がする……」
「…………朝から……ですか……」
 圭一はさらに深く考え込みながら、ため息をついた。
 色々考えたりはしてみるものの、頭を使うだけ無駄な場合がおおく、……結局、行き詰ってしまうのだ。
「……なんて言うか……、俺には……現段階で分かる情報は、全てを物語っているような気がするんです」
「……そうかな……」
「……朝から様子のおかしかった赤坂さんは、日津谷さんと居酒屋に行って帰る時にも妙な行動をおこしています」
「あの、路地の話か……」

 圭一、日津谷共に役割を決めて行った捜査。
 短い期間しか動く事は出来なかったが、ひととおりの情報は二人とも集めており、共有していた。

「……何故……赤坂さんは、道路の左側の路地に入るにも関わらず……反対側を歩いていたのか……。……それが分かれば……」
「……苦労はしない……ってところかな……」
 日津谷は皮肉を言う。
 ……本当に、そんな状況だった。
 それが分かれば苦労はしないのだ。……分からないから、二人ともこうして頭を抱えて悩んでいるのだから……。
「……本人は今だに『私がやった』の一点張りだし……」
「絶対に……あるはずなんです。見落としているだけで、赤坂さんは俺達にメッセージを送っている……。……そう思えてならないんです」
「………………」
「俺達は……赤坂さんの期待に答えないといけない。そのためには……どうしてもそのメッセージを読み取らないといけないんです……」

 圭一の声は、次第に小さくなっていった。
 メッセージが何を意味し、赤坂は自分達に何を伝えたかったのか。
 圭一は、それが分からない自分が……恨めしかった。

「日津谷さん!! 前原さん!!!」

 ……と、その時。
 部屋の扉が勢いよく開け放たれ、同じ捜査一課の中島が息を荒げながら入ってきた。
 何事かと、二人とも顔をあげる。
「一体どうしたんです?」
「じ……実は……ゴホッ……!」
 ハァ、ハァと息を整えながら言っているので、途中で咳をこんでしまい、その場にうずくまる。
 それほど疲れるまでに走ってきた、という事だ。
 日津谷は冷や汗をかきながら、「大丈夫か?」と寄り添う。
 中島は大丈夫です、と小さく言いながら立ち上がり、一呼吸置いて、静かに……言った。

「……赤坂さんの……赤坂さんの裁判の日時が決定しました……!」

「「…………!!」」
 二人とも目を見開いた。
 ……ここ最近、忙しくてすっかり忘れていた。
 ……こうしている間にも、赤坂は心身共に……ダメージを受けているという事を……。
 ……赤坂がそんな状態だというのに、捜査は行き詰ってしまっている。
 それを思い出した二人は、……やりきれなくなってきて、わなわなと震えだした。
 ……日津谷は必死に声を絞り出して、日時を尋ねる。
「……いつ……なんだ……?」 
 中島は荒くなった息を整えて、日津谷の問いに一呼吸置いて……言った。
「…………明後日だそうです……!!」
「…………はぁ!!?」
 聞いた瞬間、圭一は驚きの表情と声を漏らした。
 日津谷も驚きの表情を隠せない。
 無理もなかった。いくら殺人の容疑とはいえ、一週間やそこらで裁判が行われるなど、異例にもほどがあったからだ。
「そんな馬鹿な!! 何でこんなに裁判が早く行われるんだ!!?」
 圭一は声を荒げ、机をドンと叩く。
「……異常事態だ……。……これは……どうなっている……?」
「わ……分かりません……! 上の方が色々根回しをしているのは確かなんですけど……」
「……上層部が……?」

 これは日津谷も意外に思った。
 上層部のお偉い方には、以前調査を受け持っていた人物から話しがいったはずだったからだ。
 これにより考えられる可能性は、「そもそも話を上の方へしなかった」か、「話はちゃんといったが、それを無視して行動している」かのどちらかだ。
 だが、前者の可能性はなかった。
 話がいっていないのなら今日津谷達が捜査している事は許可されないし、資料も送られてこないはずだからだ。今まで妨害工作らしいものもなかった事からもそれは言える。

「――――――――!!!」

 圭一が、急に立ち上がった。

「……どうしたんだ? 圭一君」
 急な事だったために、少し間を空けて日津谷が訪ねる。
「…………まさか…………。…………っ!!」
「……!? おい、圭一君!!?」

 圭一は背広を取り、ドアを乱暴に開けながら急いで部屋を出て行った。
 そして、バタバタとあわただしい足音が……だんだん小さくなってゆく。
 取り残された日津谷達は、わけが分からず、頭を掻きながら再び資料に目を通し始めるのだった。

   *      *      *

「……まさか……まさか……!!」
 警視庁の廊下を走りながら、圭一は自分の推理をまとめていた。
 赤坂の裁判が早まった。
 ……これにより、唐突に頭の中を一本の糸が巡っていったのだ。
「……くそったれ……今思えば……すぐに分かる事じゃないか……!!」
 圭一は、ここに来てやっと気付いた。……いや、把握した。
 ここまでに登場した人物の、全ての行動。
 それらを、全て……つなぐ。

 …………圭一の頭には、……必然的にある人物が思い描かれていた。

 

 爆破事件で修復中の警視庁を飛び出した圭一は、急いで車に乗った。
 鍵を差込み、エンジンを入れて……アクセルを踏む。

 もう、赤坂は明後日には判決が下される。……時間がなかった。
 圭一はスピードをグングン出していき、制限速度を少しばかり越えた速さで道路を走っていく。

 ……そして、しばらく道路を走っていき、圭一はある中学校へとたどり着いた。
「……ここか……!!」
 駐車場まで進み、車を止める。
 そして……ふぅ、と息を吐き、自らを落ち着かせるように言い聞かせた。
 これまで資料を眺めるだけで、圭一は完全に不完全燃焼をおこしていた。
 ようやく……事件の手がかりを掴んだのだ。
 これを生かさない手はなく、彼の行動力も合わさってこの場に来ていたのだ。
 これにより、圭一の不完全燃焼は完全に解消され、目にはある種の闘志が戻っていた。
 
 握りこぶしを作って頬を軽く殴り、熱く火照った心を落ち着かせる。
 交渉や情報を聞き出す時には必要がなかったからだ。
 必要な情報を処理しつつ、口に出すべき言葉を選ぶ。
 脳内はかなり忙しい状態になるので、落ち着いていた方が都合がいい。
 それは、並みの人間には難しい事。
 ……だが、圭一にとってはそれすらも簡単な事だった。
 すぐに仕事モードへと切り替え、目つきも真剣になる。
 気合充分で、圭一は流れを急激に変えたこの事件に挑んでいく。
 その目は、前のみを見ていた。
 
 
 
 車から降りた圭一は、話を聞くために校舎へと近づいていく。
 駐車場でウロウロしているだけではただの不審者だ。ここには警察としてきているのだから、別に見つかってはまずいというわけでもない。
 誰に話をきくべきかを少し考え、圭一は傍を歩いていた生徒を呼び止めた。 
「赤坂美雪さんの担任の先生を呼んできてくれるかな?」
 その子は突然何を言っているんだ、というような顔をしていた。無理もないが。
 こういう時に、警察手帳は役に立つ。
 自らの身分証明にもなるし、大抵の事は警察の権限で聞きだす事もできるからだ。
 ……逆に言えば、警察ほど情報を大切に扱う組織も他にはないだろう。
 捜査をしていくうちに、個人の情報をより深く知っていく必要がでてくる時もあるからだ。
 圭一がしようとしているのも、それと大して変わりなかった。

 しばらくすると、教師と思われる女性が圭一の方へ歩いてきた。
「……どうも……。警察の方ですか……?」
 弱弱しくその女性は言う。……顔色が悪かった。
 何かあったのだと圭一は判断し、言葉を選ぶ。
「……そうです。……顔色が悪いようですが、何かあったのですか?」
「…………はい」
 圭一にとって、相手には悪いがこの状態は最も情報が聞き出しやすかった。
 交渉全てにいえる事で、まず相手に自分の事を信頼させておく必要がある。
 少しでもいい。信頼関係を作る。
 そうすれば、偽の情報をつかまされる事は減っていくからだ。
 偽物の情報に惑わされる可能性は、何としても減らしておきたのは当然の事だった。
 ましてや、圭一はネゴシエーターだ。
 そのあたりはしっかりと把握していた。
 改まった口調で、圭一は再び口を開く。
「……一体何が……?」
 しばらく、沈黙があたりを支配する。 
 女性は、言おうとしては、……口ごもる。それを繰り返している。
 ……つまり……自分の不甲斐なさが招いたと思われる出来事……。 
 表情からも、圭一はそう察した。
「……実は、…………私の生徒が……ずっと欠席していて……」
 ようやく開いた口からは、圭一の読みどおりの言葉が並べられていた。
 そしてそれは、圭一の推理をさらに強固なものへとしていく。
「両親にも問い合わせたんですけど……何も答えてくれないんです……」
「…………赤坂美雪さんですね…………?」
 圭一の口からその言葉が出てきて、女性は驚いた顔を見せる。
 ……そして、警察である圭一の口からその名前が出てきた事で……全てを理解したようだった。
「……美雪さんに……何か……?」
「…………本当は言っていい事ではないのですが。…………赤坂美雪さんが……誘拐されたと思われます」
「……っ!!」
 
 これは圭一が全ての状況から判断した、一つの答えだった。
 そして、これを言う事により……より深く、美雪の最近の状況について聞きだせる。
 ……そう踏んだのだ。

「美雪さんを助け出すために、あなたの証言が必要です。これから私が言う質問に答えてください」
「…………はい……」

 この女性は、やはり教師だった。
 一言一言に美雪への心配の念が感じられ、顔色が悪いのも本気で心配をしていたからだと窺える。
 そして、美雪が緊急事態だという事を理解していたため、質問にも素直に答えてくれた。
 その顔は真剣そのもので、この人にならば安心して子供を預けられる……。自らが親だったとするならば、そんな感情を抱くのだろうと圭一に思わせた。
 圭一は知恵の事を思い出し、今度顔を合わせようと心でひそかに誓うのであった。

「ありがとうございました。……これで……助けられる……!!!」
「いえ……。美雪さんの事……お願いしますね……」
「……分かりました。あなたの協力は無駄にはしません」
「…………お気をつけて……」

 圭一は軽く会釈をして、乗って来た車へと戻っていく。
 今回の話を聞いて、圭一は全ての真相を把握した。
 この舞台に用意された「駒」が、どんな役割を果たし、その結果何が起こったのか……。
 ……駒の数、その役割、結果。

 真相に手が届くところまで、圭一は来ていた。

「……公衆電話は……どこにあったかな……」
 全てを暴いた圭一は、電話を探して車を走らせる。
 日津谷に全てを伝え、合流するためだ。
 公衆電話は少し探せばあるのだが、話す内容は警察としての話だ。
 一般人に聞かれていいものではないので、圭一は電話ボックスを探した。

「お、あったあった」
 
 走り続けて数分、電話ボックスが設置してある場所があった。
 警察である以上違法駐車をするわけにはいかなかったので、歩道に設置してある電話ボックスは使えなかった。
 そのため、ウロウロしていたら少し町外れのところまで圭一は来てしまっていた。
 これだったら署まで戻って直接話した方がよかったか、と思いながらも、せっかく見つけたのだから使おうと、圭一は電話ボックスに入る。
 長くなりそうだったので百円玉をいくつか用意してから受話器を取り、番号を押した。

 電話のコール音がしばらく続く。
 ……そして、少し待った後、
「こちら、警視庁です」
 電話はつながった。
 圭一は自分の名前を伝え、人の交代を伝える。
「日津谷直樹さんをお願いします」
「わかりました」
 そう言葉を残し、電話はしばらく無言の状態へ……。
 圭一も、あとは待つのみとなった。
 またしばらくすると、電話がつながったようで、
「もしもし!? 圭一君かい!?」
 日津谷の声が聞こえてきた。

「どうも、日津谷さん」
「どこに行っていたんだい!? 急に飛び出すもんだから……」
「分かったんです」
「……分かった……?」
「ええ、全て把握しました。この事件……犯人は赤坂さんじゃありません。確信もあります」
「……! 本当かい!!?」

 圭一は淡々と脳内の情報を言葉にしていく。
 まずは赤坂が犯人ではない、という事。
 もともと確信はしていたが、日津谷には第一にこれを伝えるべきだろうと判断したためだ。
「ええ。まず、赤坂さんが犯人じゃない最大の理由。……単純明快です。犯人が別にいるんです」
「あ、あぁ。それは僕も分かっている。それで、一体誰なんだい?」
「……説明が難しいですね……。……それを話すには、雛見沢で俺が経験した事も言わないといけないんです」
「圭一君が……?」
「はい。それは――――」

ガタンッ!!!

「――!!? ……んぐっ!!!」 
 ……突然の事だった。
 電話ボックスの扉が開いたかと思うと、そこには大人が数名いた。
 そして、圭一が振り向いた瞬間、口に布を当てたのだ。
 
 大人数で、圭一を羽交い絞めにし、足を押さえ、手を後ろで組ませて抵抗できないようにする。
「……んんんっ!!!」
 さらに、布にはクロロホルム――即効性の睡眠薬――がしみこませてあった。
 激しい眠気が圭一を襲い、抵抗もむなしく、あえなく眠りについた……。


 *      *       *


「圭一君!!? おい!! 圭一君!!!?」
 警視庁捜査一課の一室で、日津谷は受話器に向かって怒鳴っていた。
 圭一と電話をしていたら、突然ガタンと音がし、受話器の向こうが少しの間騒がしくなった後、不気味なほどに静かになった。
 それが、日津谷の背筋に寒気を走らせる。 

 公衆電話に入れた百円玉はその役目を果たして、警視庁と公衆電話との通信を切ってしまっていた。
 何の言葉も残さずに、圭一がかけた電話はツー、ツーと電子音を鳴らしている。
 ……日津谷は確信した。
 
「……圭一君に……何かあった……!!?」

「どうしたんですか日津谷さん!?」
 室内から聞こえてきた怒鳴り声に、慌てて同じ課の警官が入ってくる。
「……圭一君が何者かに襲われた……!!」
「……えぇ!!?」
「……彼は言っていた。……全て分かったと……。……犯人だ……! やはり赤坂さんは犯人ではない! ……黒幕が居る……!!! おい、至急圭一君がこちらに電話をかけていたと思われる公衆電話を探してくれ!!!」
「分かりました!!!」
 緊急事態にも、日津谷はあくまで冷静に対処する。
 次の手をどう打てば、黒幕という王将を詰む事が出来るのかを、慎重に……頭の中で描いていく。

 まず、どうやって圭一は全てを知ったのかを考える。
 王を詰むにはまず馬から。一つ一つを倒して、初めて王将を詰む事が出来る。……それと同じ事だった。

 圭一が襲われてしまった理由が「全てを知ったから」なら、相手は圭一を監視していた事になる。
 そして、柔術を見につけている圭一を一人で押さえ込む事など不可能であるから、相手は複数。
 そうなると、考える幅はどんどん範囲を広げていく。

 ……圭一は真相に気がついた。
 つまり、今ある情報だけで充分真相までたどり着けるという事を意味する。
 圭一はあの時、赤坂の判決が早まった、という知らせを聞いて何かに気付いた。
 ならば、赤坂の判決が早まる事で何が言える……?

「……赤坂さんが……警察官ではなくなるのが早まる……」

 牢獄の中では職業など関係ない。
 では、赤坂が警察官でなくなると一体どうなる?
 ……日津谷は考える。

「……赤坂さんは幸せな家庭を持っている。奥さんの雪絵さんに、娘の美雪ちゃん……。……彼女達が悲しむ……?」 
 だが、雪絵と美雪は恨まれるような事はしていない。
 これではないと判断し、別の可能性をあげる。
 それからしばらく考え込み……日津谷はもう一つの可能性を導き出した。
「………………赤坂さんへの……復讐か……?」
 赤坂は職業柄、恨まれる事があってもおかしくなかった。
 逮捕した人間が潔く心を入れ替えてくれればいいのだが、脱獄して復讐を誓う者も居る。
 とにかく、警察という職業は犯人側から恨みを買いがちなのだ。
 
 ならば、犯人は赤坂に恨みを持っている、という事実が強固なものへとなっていく。
 だが、これだけでは足りない。赤坂に恨みを持っている人物は、いくらでもいるのだ。
 ましてや、相手はあの赤坂を殺人犯に仕立て上げてしまうような奴等だ。これだけの情報では足りていないのは誰の目から見ても明白だ。
 ……日津谷は頭を抱えた。
 …………どうしても分からないのだ。
「……くそ……!! 一体……何がどうなっているんだ……!!!」
 ……今までも、同じように考えてきた。
 これはこうではないか? あれはこうではないか? この一週間、ずっと自問自答していたのだ。
 ……だが、結局行き詰ってしまう。……日津谷には、それがたまらなく悔しかった。
 
「日津谷さん!! 前原さんが使ったと思われる公衆電話、発見しました!!」
 日津谷が頭を抱えながら己を責めていると、捜索完了の報告が来た。
 それを聞いてすぐに頭を切り替え、次の一手を打つために情報を得る事を最優先とする。
「分かった! 行こう!!」

 ……そして……日津谷はこの時になってようやく気付いた。
 頭を抱えている暇なんてないという事を……!!

 

 *      *      *

 

「つきました! この電話ボックスかと思われます!」
「……電話ボックスか……」
 日津谷は手袋をつけてドアを開ける。
 中は受話器がぶら下がっているだけで、それ以外に不審なところはなかった。
「……争った形跡が無い……。……クロロホルムあたりを使ったな……」
「眠らせてから誘拐……ですか」
「……圭一君にとって、完全に予期せぬ出来事だっただろうね」
「度胸が座ってますね……。警察官である前原さんを誘拐するなんて……」
 現場的に見ると、圭一は誘拐された、というので間違いなかった。
 襲われて、殺されてしまったのなら血液があたりに飛び散っているはずだし、短時間で洗い流すのは不可能だ。水もかかっていなければ、ふき取られた跡もない。
 死体も血液も現場に無いのは、とりあえず圭一が殺されてはないという事を物語っていた。
 だが、日津谷が着目したのは……そんな事ではなかった。
「………………今……何て言った……?」
 ゆっくりと……日津谷は聞き返す。
「へ? 前原さんを……誘拐するなんて……って言いましたけど……」
「……誘……拐」

 日津谷の脳裏に……全てが映った。
 この舞台の上で……何が起こったのか。……全てが、色をつけながら……一つの答えを導き出す……。

 圭一の見た光景。
 それを、今……日津谷も見ていた。

「……そうか……そうだったんだ……!!」
「……ど……どうしたんですか……?」
 はじめは小さかった日津谷の声は、次第に大きさを増していく。
 日津谷は一つの答えを導き出し、導き出した答えはさらなる疑いの答えを連鎖的に導き出していく……!!
 ジグソーパズルを思い浮かべてほしい。途中で行き詰ってしまい、なかなか先に進めない。……だが、一つ。たった一つ、はまるピースを見つけるだけで、また、はまるピースが出来ていき、どんどん完成へと近づいていくような……そんな感じ。 
 それを感じる事は、一種の爽快感で溢れる事にもつながる。
 今まで自分が解けなかった謎が、こんなにも簡単に解ってしまう。……そこには悔しさもあるが、やはり達成感と爽快感の支配が圧倒的なのだ。
 それは日津谷にもいえた事で、声が次第に張りと高らかさを取り戻していくのは何ら不思議な事ではなかった。
 そして……解けた謎に矛盾は一切存在しない。
 謎というものは結構もろいもので、いくら解らない事があっても、一つでも正解である事柄を見つける事が出来れば、連鎖的に全てのつじつまを合わせるための考え方が、頭の中に浮かぶものだ。
 例えば、「ここでの、あのシーンの正解はこれで間違いない。ならば、このシーンは、あのシーンの事を考えて考慮すると……」……となるからだ。
 もし、一つでもつじつまの合う仮説が立つと、その仮説を元にさらなる仮説が立つ場合がある。
 その連鎖によって、事件は解決される事が多いのだ。
 逆に言えば、連鎖の無い仮説には、あまり意味のない物の方が多い。無論意味のあるものも存在するが、それは大半がフェイクである。
 意味の無い仮説だからこそ、フェイクとしての意味がある。ある謎を解き明かして有頂天になるが、結局全体の謎は解けない。そんな体験はないだろうか?
 真実を解き明かす仮説を立てるのを妨害するフェイクは、いたるところに存在する。
 このフェイクが物語の中に多く含まれている推理小説なんかは、読んでいて面白いし、読み進めていくうちに判明する真実を知る事で、作家の実力を知る事も出来る。
 自分は正解にたどり着けたか、またはフェイクの山にどっぷりと浸かっていたか。
 どちらにせよ、読者としては正解を知る事によってフェイクの意味を知り、真実の隠し方を知る。または、フェイクの解説をまったくしない物もある。
 つまり、結局フェイクをいくら解いても無駄であるのだ。
 真実を暴き出すために、どの謎に着目して推理できるか。……それが一番大切なのである。
 日津谷がようやくたどり着いた場所こそ、この、真相を知るために着目すべきところを間違えなかったからこそ行ける場所なのである。
 また、フェイクなどまったくないものでも、着目する点を間違えるだけでウロウロしてしまう事もある。
 それも一つのフェイク。尻尾を出さない事により、それは一番の罠になっていくのだ。
 日津谷は、それらを全て……クリアーした。
「分かったんだ!!! 犯人はまだ分からないが……赤坂さんが何故不審な行動を取っていたのかが……全て!!!」
「本当ですか!!?」
「あぁ……!! 考えれば簡単な事だった……!! まず僕達が考えなければいけなかったのは……『何故赤坂さんは自らを犯人だと言っていたのか』だったんだ!!」
「……!?」
 ……まず最初に着目すべき点。
 それを間違えては、事件は解けない。……その点こそ、赤坂が自らを何故犯人だと言い張るか、なのだ。
 声高らかに、日津谷は続ける。
「あの人はつくづく嘘が下手な人でね……。以前僕が彼のもとを訪ねて一つだけ質問をして帰った事があったの、覚えているだろう?」
「は……、はい。覚えています」
「あの時の赤坂さんの顔ったら、ものすごくキョトンとしていただろう? あれは、何を聞かれても対応できるよう答えを用意していたけど、僕の質問があまりに少なくて拍子抜けした証拠だ。つまり、赤坂さんは初めから返答を用意していたのさ。この時点で彼は白だよ」
 赤坂ははじめから白だと信じていた。
 だからこそ、日津谷はそれをまず証明したかったのだ。
 一番初めに起こした行動がこれだったのは、そんな意味もあった。
「じゃあ、何故その事を報告しなかったんですか?」
「赤坂さんを白だと確定できる、物的証拠がなかったからさ。今もないが、それを手に入れる方法は把握したよ」
 基本的に、情報的な証拠では無罪が証明される事は難しい。
 赤坂が白であると誰もが納得できるような物的証拠こそが、裁判では有効なものとして扱われるのだ。
「……話を戻すが、何故赤坂さんは、自らは犯人ではないのに犯人だと言い張ったのか。そこに……答えはあった。……普通、自らの意思で自分が犯人だなんていう人間はいない。居たとしても、あそこまでアピールしたりはしない。……ならば、そこには第三者の意思が働いてそうなった、と判断するのが普通だ。……つまり、誰かが赤坂さんに『命令』したんだよ。『自らが犯人だと言い張れ』とね。……さぁ、ここで問題だ。……何故赤坂さんはその言葉に従ったと思う?」
「……? えぇっと……?」
「……これもよく考えればわかる。……嘘をついているのが、あの赤坂さんだからこそ、余計にそれが不自然に思えるんだ。……赤坂さんが屈服するほかなかった理由。………………美雪ちゃんに何かあったんだよ」
「……!! そ……そうか……! 赤坂さんは人質を取られていて、それで仕方なく……!!」
 赤坂が自らの意思を押し殺してでも、命令に従わなければならない存在。
 それは、一人娘の美雪か、奥さんの雪絵しか居ない。
「雪絵さんはあの日警視庁に来ていたから除外できる。つまり、人質としてとられているのなら美雪ちゃんだ。おそらく圭一君は美雪ちゃんの通っている中学校へ行き、ここ数日の登校の有無を確認したんだ。……そして、連絡をわざわざ入れたと言う事は、美雪ちゃんはここ数日、登校していない、と判断できる。……つまり……犯人達に誘拐されて、登校できなかったんだ。……ここまで来ると、犯人像はだいぶ絞り込めてくる」
「で、でも……それは本当に正解を示しているのですか……? 状況的証拠だけでは……」
「……確かに情報的証拠だけだ。……だけど、この仮説にはさらに信憑性を増す事が出来るんだよ。……ある出来事によってね!」
「ある……出来事……?」
 日津谷は微笑を浮かべながら続けた。
「……あの日、警視庁に雪絵さんが来ていた事だよ。彼女は普段警視庁には来ないからね」
「でも、あれはお弁当を届けに来ていたって……」
「彼女、長年刑事の妻をやっているんだよ? 朝っぱらからイチャイチャできるほど赤坂さんに暇がないという事くらい、雪絵さんなら分かっているだろう」
「じゃ、じゃあ……何故……」
「……心配だったんだよ。美雪ちゃんの事が。親の気持ちは僕にはわからないけど、仮に美雪ちゃんが誘拐されているから赤坂さんが自らを犯人だと言い張っているのだとしたら、いかに親の愛が深いものかが分かるだろう?」
「……そうですね……。……では、何故嘘をついたんでしょう……?」
「簡単な事だ。犯人から電話をもらい、『娘は預かった。返してほしくば、○○番地の路地へ来い。他の警察にこの事を言うな』と、まぁこんな感じの事を言われたんだ。警視庁には警察官は山ほど居る。心配でついていったはいいけど、自分の存在を不審がられては困る。だから、あんな嘘をついたんだよ」
「……なるほど……」
「そして、赤坂さんはその路地へ行くために僕を誘い、近くの居酒屋へ行ったんだよ。自宅と反対方向にある路地へ行くのを他の警官に不審がられないようにね。その証拠に、赤坂さんはあの時圭一君も誘った。彼は前日お酒を大量に飲んでいたのを、赤坂さんは知っていたはずなのに……だ。それはつまり、『部下と一緒に飲みに行く』という印象を、僕達警察官に植え付けたかったからだと思う。そして、犯人から指定された場所へ行った。……だが、何があるか分からない。だから、わざわざ路地の反対側を通ったんだ。その路地に危険は無いか……と様子を見るためにね。すると……何かがそこには転がっていた。だから、近づいた。……そして、それは死体だった…………ってわけさ。死体が路地に転がっていたら、普通は警察か救急車を呼ぶために慌てて公衆電話へと走る。……そこを、目撃された。……ちなみに、赤坂さんは連絡を入れても自分の名前を明かす事はなかっただろうけね。………………と、まぁ、これがあの夜起こった事件の真実だよ」
「……なるほど……。それなら、全てのつじつまが合いますね……」
 今まで質問を繰り返した彼も、頷きながら日津谷の考えに同意する。
 ……圭一も同じ考えを用意し、日津谷に手土産として送ろうとしていたのだ。
 …………違うのは、圭一も犯人の正体を突き止めていた、という事だけだが。
「順を追っていけば、これはとても簡単な事だったんだ。僕達はその踏む順番を間違えた。……だから解けなかったんだよ」
「……じゃあ……犯人は一体誰なんでしょう……?」
「……それは……聞いてみれば分かる事さ」
「……? 犯人を知っている人物が居るんですか?」
「…………うん。おそらく知っているであろう人物が……二人居る」
「……誰ですか……?」
 日津谷は一呼吸置き、空を見上げて……言う。
「…………園崎魅音と、竜宮礼奈だ」


    *    *    *


「……ふぅ……。今日も疲れたなー……」
 ここは、都内にあるマンションの駐車場。
 ここに住んでいるレナは、車を止めながらながらつぶやいた。

 大学卒業後にレナは大企業への就職を果たし、毎日汗水流して働いていた。
 入社以来、何でもこなしてきたレナは、上からの目も熱く、将来を期待されているほどの人物となっている。
 そのため、任される仕事も忙しい物が多く、自宅に帰るのも夜遅くだ。
 車の時計は午前一時を刺している。もう、夜も深い。
 女性であるため、あまり夜遅くまで起きている事は好ましくないのだが、生活していくうえで給料は必要だし、何より期待を裏切るわけにはいかない。
 レナが身を削ってまで仕事に打ち込むのに、それ以上の理由はいらなかったのだ。

 多忙を極めるレナは、毎日くたくたになって家に帰ってくる。
 今日もお風呂に入って寝てしまおう、と思っていた。
 ……すると……。
「あれ……? あなたは……」
 見覚えのある人物が、そこに立っていた。
 記憶を辿りながら、名前を思い出す。
「日津谷さんでしたよね」
「覚えていてくれて光栄です」
 日津谷は軽く会釈をし、顔つきを真剣にする。
「……竜宮礼奈さんですね。待っていました」
「……はぁ……」
 深夜と言ってまず間違いない時間帯に、何故日津谷が居るのだろうと疑問に思ったが、圭一の先輩である事からレナは話を聞く事にした。
「私に何か御用ですか?」
「……えぇ。ちょっと、厄介な事になっていまして」
「……?」
「……前原圭一君。……誘拐されてしまいました」
「…………え……っ!?」
 突然何を言うんだ、と。……レナはそう思った。
 夜遅くに会いに来て、何を言い出すかと思えば圭一が捕まった? 悪ふざけもいい加減にしろ。
 そんな風にしか思っていなかった。
 それは表情に出ていたようで、レナは呆れた顔をしていた。
 ……それを見た日津谷は、
「……僕は嘘、偽りは言っていません」
 と言った。
 ……それでも、レナには信じられなかった。
 今年の春、エリート刑事として警視庁に就職した圭一が誘拐されてしまったなんて。
 何故そうなったのか、レナには理由も分からないし、大体そんな事信じられるはずもなく、ただただ困惑するだけである。

「……順を追って説明します。この事件を解決するには……あなたの協力が必要なんです」
「………………」
 
 話している内容はデタラメだ。……そう、レナは思った。
 だけど、日津谷の目に嘘をついているような感じは一切なかった。
 小さい頃から、人が嘘をつく時にどんなしぐさをし、どんな風を装うのか……レナは知っていた。
 それは今でも健在で、日津谷の言っている事が嘘であるのならば、今すぐ嘘だ、と言って切り捨てよう。……そう思っていたのだ。
 だが、日津谷はそんなそぶりを一つも見せない。何故? ……話が……真実だから……。

 そんな、天性の勘ともいうべきものを持っていたレナだからこそ、日津谷の話に耳を傾ける事が出来た。

「……赤坂さんと……圭一君が……?」
「はい。赤坂さんは、明後日……いや、明日の裁判で判決がくだされます。このままでは彼は有罪となり、無実の罪で捕まってしまうんです」
「…………」
「……圭一君は……」
 日津谷は一呼吸置き、言う。
「下手をすると殺されます」
「嘘だっ!!!!」

 言った瞬間、レナの声があたりに響いた。
 ビリビリと空気を振動させ、日津谷の耳にエコーを残している。
  
 レナはふるふると少し震えながら……続けた。
「……圭一君は死んだりしない……! 死なせない!!!」
「………………」
「私が!! そんな事させない!!!!」
 レナの声は再び空気を振動させた。
 深夜の時間帯、マンションの前であろうとお構いなしに。
 ……レナの目には、圭一が前に見せたものと同じ、闘志に満ちた炎が燃え上がっていた。 
「……協力……してくれますね?」
「……ハイ。何でも聞いてください」

「では、単刀直入に言います」
 レナの言葉を聞いた日津谷は、時間が無いために早く用件を伝える事にした。
 ……圭一が、電話の前から姿を消す寸前に……日津谷に言った言葉。
「赤坂さんに恨みを持ち、誘拐をも平気でやってのけるような集団……。知りませんか?」
 圭一に犯人像を教えてくれ、と言った時、『それを話すには、雛見沢で俺が経験した事も言わないといけないんです』という言葉。
 圭一は、過去……雛見沢で犯人達と接触した事がある、という事。
 圭一の過去を知る人物。
 だからこそ、日津谷はレナと接触していた。
「……おそらく……山狗じゃないかと……」
「…………山狗……」
「はい。『東京』という組織の、秘密工作部隊です。雛見沢のダム抗争、知っていますよね? あの時、大臣の孫である犬飼寿樹君を誘拐した事があります。さらに、隊長である小此木……。その人は、赤坂さんに恨みを持っていてもおかしくありませんし、圭一君を含めた私達との接触もあります」
「……ビンゴ……ですね。そいつらが、どこに居るかは?」
「…………残念ですが……分かりません…………」
「…………そうですか…………」
 敵の正体は見破った。
 秘密工作部隊、山狗。そいつらが、事件の黒幕である……真犯人。
 だが、肝心の……どこに居るのかが分からない。

 ……ここまで来て、あきらめるしかないのか。
 敵の姿は分かっている。だが、秘密工作部隊……というからには、並みの情報網には引っかからないであろう。
 頭を抱えている暇など、裁判までの日が無い以上は、存在するはずがない。
 日津谷は、あらゆる方法を考える。

 …………だが、なかなかいい方法が見つからない……。

「……そうだ……! 日津谷さん!!」
「……? 何ですか?」
「…………魅ぃちゃんなら……魅ぃちゃんなら分かるかも!!」
「……魅ぃ……?」
 
 ……並みの情報網では捕まらない。それはレナも分かっていた。
 でも、何もしなくては結局圭一は殺される。
 ならば、可能性を求めて、あがく。……レナの決断は、こうだった。

「乗ってください! 案内します!」
「あ……はい!」

 善は急げというし、時間も無い。
 日が明けるまで待っている暇はない。それに、魅音なら話を聞いてくれる。
 そう信じて、レナは自分が今まで乗っていた車にエンジンをかけた。
 日津谷も慌てて車に乗り、帰って来たばかりのレナは再び町の方へと向かっていった。

 

 

  *     *     *

 プルルルル……。
 
 ある、旅館の一室。
 室内に設置されていた電話が、せわしなくコール音を響かせていた。
 
 布団の中で眠っていた魅音はその音に目を覚まし、目をこすりながら受話器を取った。
「もしもしぃ……?」
「魅音様。お客さんがお見えになってます」
 それは、一緒に来ていたボディーガードの声だった。
「お客……? もぅ、こんな時間に誰よ〜……。追い払って……」
「ですが……。……一方は、竜宮礼奈さんです」
「…………レナが…………?」
 魅音の声色が変わる。
 レナがこんな時間に訪ねてくるって事は、何かあったんだ。
 そう、感じ取ったからだ。
「……はい」
「……分かった。通していいよ」
 声色を変えず、魅音は客人を通す事を了承した。
「了解しました」

 
 そんなやりとりから、数分後。
 魅音の部屋に、ノックが響いた。

「どうぞ」
「こんばんは、魅ぃちゃん。夜分遅く、ごめんね」

 まず顔をのぞかせたのは、レナだった。
 先日も部活、という事で会っていたが、明らかにその時とは顔つきが違う。
 
 レナはあれから、日津谷を乗せて都内を爆走してきたのだ。夜だという事もあって車の台数も少なかったので、出発から比較的早くここまでたどり着いていた。
 そして、外で待機していた何人かのボディーガードに、魅音に会わせてもらえるよう頼んだのだ。

「いいっていいって。……あれ? そちらは……」
 レナの後ろに居た人物に、魅音は視線を送った。
 それに気付いたレナが、
「日津谷さんだよ。圭一君の先輩の」
 と、説明をする。
「あぁ、あの時の。……警察が私に何か用? レナについてきたって事は、私に用があるんでしょ?」
 魅音はするどい目つきで日津谷をにらみつけた。
 対する日津谷は、目をそらしながら肩をすくめる。
「……えぇ、ありますね。ですが、僕についてくるよう言ったのはレナさんでして。……僕も、あまり魅音さんの事は知らないんですよ」
 日津谷も、ベテランとまではいかずとも、新米からはとっくに卒業している警察官だ。
 眼光を見ただけで、相手の格くらいは見抜けるようになっていた。
「……へぇ? レナ、私に何か用?」
「うん。落ち着いて聞いてほしいの」
 レナはさらに声色と表情をひきしめる。
 やはりただ事ではないな、と感じ、魅音も表情をひきしめた。
「……どしたの?」
「…………圭一君が、山狗に誘拐されたみたいなの」 
「…………はぁ……?」 
 それを聞いて、魅音もレナと同じように呆れたような声を漏らした。 
 魅音もまた、信じていないようだ。
「圭ちゃんが? …………レナ、つくんならもっとマシな嘘つきなよ」
「私はこんな事冗談じゃ言わないよ。それは魅ぃちゃんだって分かってるはず」
「…………そうだったね。……日津谷さん……だっけ? 念のため聞くけど、本当?」
「……ええ、本当です。簡単ですが、今までのいきさつを説明しましょうか」
「…………お願いするよ。圭ちゃんが何で誘拐されちゃったのか……聞こうじゃない……」

 こうして、日津谷は先ほどレナにしたような説明をもう一度魅音にも聞かせた。
 赤坂が捕まってしまった事、犯人達の行動、自分達の行動。
 全てに誠意を込めて、魅音に自分の「赤坂、圭一を助け出したい」という気持ちが……伝わるように。
 そのための、今までの捜査だ。
 自分達は今まで足掻いていたんじゃない。犯人を捕まえるために捜査をしていたのだと。
 それを証明するためには、魅音の協力が不可欠だ。
 協力してくれた捜査一課の皆のためにも、何としても説き伏せる必要があった。
 ……それにより、一言一言に感じる思いを読み取った魅音は、日津谷の言葉を黙って聞き入っていた。

「………………嘘じゃ……ないみたいだね」
「……うん。それはレナも思うよ。日津谷さんの言葉には一言一言に重みがあるもの。……この重みは、嘘をついている人からは絶対に感じられない」
「レナが言うんじゃ間違いないね。…………って事は……圭ちゃんばかりか赤坂さんまではめた、って事になるねぇ山狗は……」
「……奴等を一網打尽にするために、どうしてもあなたの協力が必要なんです」
 魅音の協力無しには解決しない。魅音の素性すら知らない日津谷が言うのも、何だか滑稽な話だ。
 だが、日津谷は既に……魅音から威厳を感じ、レナの言葉を信じていた。
 日津谷にとって、もはや素性なんてものは……関係なかったのだ。
 ……そして、魅音はゆっくりと口を開く。
「…………うちらにケンカ売るとはいい度胸だよ。あいつら、またコテンパンにのしてやろうじゃないの!!」
「……という事は……」
「OK、引き受けたよ日津谷さん。やつらの根城、大至急捜索させる。園崎家の情報網は、何も雛見沢、興宮限定ってわけじゃないからね。今日の昼までには必ず見つけ出すよ」
「…………!! ありがとうございます……!!」

「ねぇ、日津谷さん。こうなった以上、私も、勿論魅ぃちゃんも。……協力させていただいて結構ですよね?」
「……後で圭一君に何か言われそうですけど……勿論ですよ。心強いです」
「……明日は無断欠席になっちゃうけど……まぁいいか」
「…………はは……」

 どうやら、圭一は本当に素晴らしい仲間を持っていたようだ。
 日津谷はそう再認識し、赤坂、圭一のために立ち上がってくれた彼女達に感謝の言葉を並べた。
 だが、「それは無事救い出せたら」とレナに言われ、そういえばそうだったと顔を赤くするのだった。

 日津谷は胸の奥に、何か……熱い気持ちがこみ上げてくるのを感じていた。
 今までとは違う仲間の誕生。……たったそれだけの事なのに、これだけ熱くなれるものか。……そう思った。
 捜査一課の人と捜査をしている時だって、こんな気持ちにはなった事はない。
 決して彼らが頼りない、というわけではなかったが、レナと魅音からは、本当の意味で、仲間を大切にする意志が感じ取れたのだ。
 故に、日津谷は彼らを頼もしいと思ったのだ。

 日津谷は、圭一や彼女達を育てた雛見沢という土地に、ますます興味を持つのであった。

 

 

 翌日、夕暮れ時だった。
 いつもの警視庁の一室で、日津谷は今か今かと、魅音からの通達を待っていた。
 朝からずっとこの調子である。
 日津谷は、レナ、魅音と別れた後、警視庁へとんぼ返りした。
 連絡先は既に伝えてあったから、いつ見つかってもいいように警視庁で仮眠を取ろうと思ったのがきっかけだった。
 赤坂が使っていたソファーに身を投げ出し、背広をかけて眠りこけていた。
 目が覚めた時はちょうどいい時間になっており、捜査一課の面々も日津谷の事をそっとしておいてくれたようだった。
 ……そして、現在に至る。
 日津谷は電話の前に立ち続け、落ち着きの無い様子だった。
 はっきり言えばこの行為に意味は無い。むしろ、神経をすり減らすだけ無駄な行動だともいえるだろう。
 だが、それでもやらずにはいられなかったのだ。

 早く犯人達の尻尾を掴み、赤坂にその事を伝えたい。
 その思いだけが、今の日津谷の原動力だった。

 そうして、しばらく時が経ち、……電話はコール音を発した。
 日津谷はすぐに受話器を取り、耳に当てた。

「もしもし!?」
「もしもし、日津谷さん? いやぁー、さすが秘密工作部隊だけあるよ。見つけるのに時間がかかっちゃった!」
 受話器の向こうの魅音の声は、「してやったり!」というような、そんな声だった。
 はずみがあって、とても悪い知らせをくれるようなものではない。
「……見つかったんですね!?」
「うん、まぁいわゆるアジトって奴かねぇ? 随分と厳重に隠してたみたいだけど、園崎家を甘くみるなってぇの。ようやくだけど、見つけてやったよ!」
「……よし……!! 今から、そちらに行きます!! 場所は!?」
「……いや、今は教えない。日津谷さん、一人で行っちゃいそうだしね。私達が直接送るよ。あと、こっちでも優秀な人材を用意しといたよ。一緒に戦ってくれるってさ」
「……それはありがたい……! ……分かりました、昨日の旅館でよろしいですね?」
「うん。待ってるよ」

 日津谷は急いで車に乗り込み、急いで魅音の待っている旅館へと向かった。

 

 *    *    *

 

「……う……ん……? ……ここは……」
 圭一が眠りについた翌日の昼過ぎ。
 目を覚ました圭一は、あたりをゆっくりと見回した。
「……そうか……。俺……あの時山狗に襲われちまったのか……」
 圭一は電話ボックスでの出来事を思い出し、自分の状況を完全に理解した。
 あの時、圭一は完全に不意をつかれていた。……しかも、片手は受話器を持っていて使えない状態だ。
 対抗手段が間に合わず、圭一は流れに身をまかせるしかなかった。
 だが、今は目も覚め、視覚も触覚も、五感全てが機能している。
 まずは何をすればいいのかと、頭を働かせる事に集中するのであった。
「……とりあえず……ここがどこなのか……。……それを知らないとな……。よ……っと……!??」
 圭一は立ち上がろうと、足を動かした。……だが……足には手錠がはめられており、自由に動かせない状態だった。
 手も背中で組まれた状態で手錠がつけられてあった。
 ……圭一が持っていた手錠を、逆に使われてしまったのだ。
 無論、持っていた鍵も盗まれており、手錠をはずす事が出来ない。
 まさに、手も足も出ない状態だった。
「……くそったれ……!!」
 圭一は部屋をキョロキョロと見回した。この状態でも、前進する事だけは出来る。
 どこかに、二つの手錠を結んでいる鎖を切れる物が無いかを探しているのだ。
 右、左、下、上……。
 ……だが、どこを探しても、そんなものはなかった。
 考えてみれば、当然だ。状況的に、圭一が誘拐されてしまったのは明らかだ。
 そんな奴を監禁するのに、わざわざ逃げるための手助けをするような物が置いてあるはずがない。
 圭一は探すだけ、余計な体力を使ってしまった。
 
 だが、それでもあきらめないのが圭一だった。
 部屋に一つは必ずある……ドア。その、ノブを使って鎖を切ろうと考えた。
 そこまで何とか前進し、足をノブの上に一端のせる。ノブは手前が大きくふくらみをもっていて、奥の方は鎖がひっかかるようになっていた。
 ……それから、鎖に圧力がかかるようにして……圭一は思い切り両足を振り下ろした!!
「……あいっ……!! ……ぐぅ……!!!」
 圭一の両足首に、激痛が走る。
 手錠が食い込んで、痛みを生じているのだ。
 ……だが、脱出するためには、この二つの手錠はどうしても邪魔だった。
 ……他にはずす方法も無い。圭一は、行うたびに激痛の走るこの方法を……何度も何度も……試みる……!!!
 激痛の走る足をなんとか振り上げ、……降ろす。振り上げ、降ろす。
 機械的に繰り返される動作は、……ついに……手錠の鎖を……断ち切った……!!
 ガギャッ!!
 ……鈍い音が室内に響き……圭一は足の束縛を解除した。
 もう、足は痛み以外の感覚は無い。
 ……これと同じ事を……手にもほどこさなくてはならなかった。
 圭一は何とか立ち上がり、手にかかっている手錠の鎖を、ノブに引っ掛ける。
 ……そして……再び機械的な動作は……繰り返された。

 振り上げては降ろし……また、振り上げて……降ろす。
 痛々しい、小さな悲鳴が何度も何度も圭一の口から漏れる。……それでも、圭一はやめない。
 圭一は警察官だ。犯人達に捕まってしまい、足を引っ張ったとあってはそれは恥じる事であるし、何より仲間である捜査一課の面々に苦労をかけさせたくなかった。
 ……それに、考えようによっては好都合だ。監禁されている、という事は……外に出てもらっては困るという事だ。
 そして、殺されずに今自分が居る事は、犯人達にとって生きていてもらわないと困る、という事を意味していた。
 ならば、監視をするのは当然だ。……これだけの音を立てても誰も来ないという事は、決まった時間に来る、というものだからだろう。
 つまり、ここは……山狗達のアジト。……悪くても、管理下にある建物の中だ。
 美雪は間違いなく山狗達の管理する建物の中に居るはずであり、部屋の中に何もないところから察するに、この建物は監禁専用のものだと窺える。
 ならば、そこに美雪が居る可能性は、決して低くなかったのだ。
 
 圭一は足と手に走る激痛を根性で押さえつけ、歯を食いしばりながらひたすら同じ動作を繰り返した。
 ……そして……手首を束縛していた手錠の鎖も、鈍い音を立てながら、生じた亀裂から崩壊していった。

「……ハァ……ハァ……!!!」 

 足に掛かっていた物も、手に掛かっていた物も、圭一を戒めていた手錠は意味をなくした。
 だが、その代わりに圭一が支払った代償は、ひどいものであった。
 圭一の足と手は真っ赤に充血し、相変わらず痛み以外を感じなくなっていた。
 こんな状態で歩けるはずもなく、壁にもたれかかって荒れ気味の息を整える事しか、圭一には出来なかった。
 自分の不甲斐なさを実感した圭一は、これからどんな事にでも対応できるよう頭を落ち着かせた。
 とりあえず、痛みが引くまでは行動できない。
 壁にもたれかかったまま、圭一はひたすら休息をとり、痛みが消えてゆくのを待った。

 そして、数時間が経過した。
 再び目を覚ました圭一は、足と手を確認する。
 ……痛みは、完全に無いにしても……さきほどよりはだいぶマシになっていた。
 腫れもひいており、歩くのに不自由するほどの痛みはない。
「……よし……。いくか……!」
 圭一は立ち上がると、今度はノブに手をかけた。
 ……ガチャガチャと音がなるばかりで、やはり開かない。外側から鍵がかけられているようだった。
「……んなろー……。見てろぉ……!! ……うぉぉおおぉおおおっ!!!!」

 バァン!!!!

 圭一が声を張り上げながら、ドアにタックルをかました。
 タックルをぶち込まれてひしゃげたドアは、派手な音をたてながら吹き飛んでいく。
 どうやら、手足を手錠で拘束した事から、ドアへの注意は散漫になっていたようだった。
 ドアのロックは一つかけられていただけで、タックル一発で見事にやぶれる程度でしかなかった。

 だが、この強引なやり方が必ずしもいいというわけではなく、他に方法がなかったとはいえ、タイミングを見計らうべきだった。
 圭一がドアをぶち破って出ていったその先には、山狗が集団で移動している最中だったのだ。
 互いが互いを凝視し、……一瞬固まる。
「撃てぇぇぇえ!!!」 
 ドドドドドドド!!!!
 それを合図に、それら全てが銃を持ち出して圭一めがけて乱射し始めた。
「マジかよっ!!!?」
 圭一はとっさに、吹き飛ばしたドアを盾にしてその場を離れる。
 だが、タックル一つでひしゃげるようなドア一つで防ぎきれるものではなく、圭一の横を銃弾が通ったりで、とにかく危険である事に変わりはない。
 廊下の曲がり角を曲がり、ひとまず銃弾を回避する。

 そして、山狗の隊員達はひととおり銃弾を発射した後、圭一の死体がないために、移動を開始する。
 ある者は建物内の他の隊員への連絡へ。ある者は武器と弾薬の調達へ。ある者は、圭一を追って廊下を走る。
 さすが山狗だけあって、動きに無駄がなかった。
 …………だが、圭一にとっては……今だけに関してはありがたかった。
 ……なんせ、自分の方へ来る山狗の数が……減ったのだから!!!

「うぉりゃあああぁあ!!!!」

 曲がり角で待機していた圭一は、隊員がその角を曲がるのを見計らって……一気に足払いをかける!!
「うおっ!!?」
「ぐぁっ!!」
 突然の足払いに、まったく対応できなかった隊員達は、足下をすくわれことごとく転んでいく。
 そして、圭一の足につけっぱなしになっていた手錠が、今度は逆に攻撃時の威力を増大させ、足首部分で攻撃を受けた山狗の隊員へのダメージはかなりのものとなった。
 チャンスとばかりに圭一は山狗を一人、また一人と倒れ際にみぞおちをを殴って気絶させ、銃を奪い取った。
 最後に残ったのは、手錠により、ひどいダメージを受けていた隊員のみだ。
「……あ……!!」
「動くな……!!」 
「……く……」
 圭一に銃をつきつけられ、抵抗ができない隊員は、声を漏らす事しか出来ない。 
「……言え……!! 美雪ちゃんをどこへやった!!!!」
「誰が教えるか……!!」
「……死にたいのか」
「――――!!!」
 そう言い、圭一は山狗をにらみつける。 
 その目には無言であっても相手を屈服させるほどの……威圧感があった。
 それにプラスして、命の選択をさせる言葉を投げかける。
 銃を突きつけられた隊員に、選択の余地など既になかったのだ。
「……こ……この建物の……五階……第二ルームだ……」
「…………ありがとうよ……。……――はぁっ!!!」
 ドスッ……!!
 鈍い音がし、圭一は最後の一人も気絶させた。
「……悪いな。後ろから銃で撃たれちゃたまらんからな」
 などと言いつつ、美雪の居場所情報を入手出来たことにさらなるやる気を見せ、ついでに弾が一発も当らなかった幸運に感謝した。
 そして、何かの役に立つかもしれないと重い、銃を背広の内ポケットに忍ばせてその場を後にした。


 その後圭一は、窓から見える周りの風景からここが何階であるのかを把握しようと、窓の見える廊下を目指して急いで移動した。
 いつまでも同じ場所にとどまっているといずれ見つかってしまう。……だが、移動中に見つかっては意味が無い。
 移動には細心の注意をはらい、かつ急ぎ足で進んでいく。
 しかし、ここで圭一にある疑問が浮かんできた。
 ……何故、わざわざ生かしておいた自分を……撃ったのか。……それが、どうしても引っかかった。
 だが、今はそんな事を気にしている余裕は無く、次々と現れる山狗達の銃撃を回避しつつ、建物の外側に位置する廊下を目指した。

 迷路のような内部を突き進んだ圭一は、ついに窓を発見した。
 後ろ、横を確認して、山狗が居ない事を確認し、下を覗き込んだ。
「………………二階……ってところか……」
 窓の下に広がる風景は、それほど高い場所から見るものではなかった。
 ちょうど、辺りがギリギリ見渡せるくらいの高さだ。これにより、ニ階と判断した圭一は、今度は階段を目指して突っ走った。

「いたぞ!! あっちだぁぁあ!!!」
「――ゲッ!!」
 ドドドドドドドドドドド!!!!
「うぉおおおおおぉお!!!」
 どうやら圭一が監禁していた部屋から脱走した事は建物内全土に広がったようで、どこへ行っても山狗が重装備で圭一を待ち受けていた。
 さすがに銃弾に当ってしまうと一発でも致命傷なので、慎重にならざるおえない……のだが、最初の騒ぎですっかりそんな余裕もなくなっていた。
 火花がところどころで散る廊下で、圭一は何とか前に進んでいく。
 そして、ついに探していたものを見つけた。
「……あった!! 階段だ!!!!」
 階段があったら、それはもうゴールまで一直線だという事だ。
 ゲームなどにあるダンジョンではなく、いくら入り組んでいてもここは人間の建てた建物だ。
 階段があれば、目的の階まで続いているのが普通。
 後ろから迫る山狗と銃弾を何とかかわしつつ、上へ上へと上っていく。
 階段は踊り場を挟んで上の階まで通じるタイプだったので、圭一が方向転換すると銃弾は当らなくなる。
 今の圭一にとってはありがたい限りだった。
「三階……四階……五階……!!」
 階段を二段飛ばしで上がっていくと、すぐに五階にたどり着く事が出来た。
 すると、そこで山狗が一人だけで居るのを発見した。
 すぐさま殴り飛ばして気絶させ、近くの部屋へと引きずり込む。
 その後、圭一はおもむろにその隊員の服を剥ぎはじめた。
 そして、奪い取った服と銃器を装着し、山狗の隊員になりすましたのだ。
 ……ついでに自分の背広を着せて、その隊員を部屋の外に蹴り飛ばした。
 ……すると……。

「いたぞーーー!!! 撃て撃て撃てぇぇぇええぇえっ!!!!!」
「う……うわぁぁぁあぁああ!!!!」

 発砲命令と断末魔が聞こえてきた。
 かなりかわいそうな事をしたかと少し反省しつつ、圭一は堂々と山狗の隊員とすれ違いながら第二ルームへと走っていった。
  

「だ……誰……!!?」
 ドアを開けた音に反応して、中から声が聞こえてくる。
 その、弱弱しい声を発したのは……美雪だった。
 声はすっかり怯えた様子であり、暴行を受けた跡も見て取れた。
 圭一はこみ上げてくる怒りを必死に抑えながら、思い切りの笑顔を作って言った。
「美雪ちゃんだね? 警視庁の、前原圭一だ。……君を助けに来たよ」
 そういいながら、圭一は美雪に近づく。 
 ……だが、美雪の反応は……圭一の想像を見事に裏切った。
「……う……嘘っ……! そんなの……信じない……!!」
 拒絶……されたのだ。
 ここまで、圭一は命がけでやってきた。……だが、そんな事は美雪は知らない。
 ……いくら説明しようと、信じてもらえないのだ。
 圭一は仕方なく、警察手帳を出そうとポケットに手を入れようとする。
「……あれ……?」
 ……圭一は痛恨のミスをおかした。
 ……警察手帳は……さっき山狗に着せた背広に入っていたのだ……。
「……しまった……!!!」
「やっぱり嘘だ……っ!! あなたも……あなたも私を虐めるのぉお!!?」
「そんな事はしない!! 俺は君のお父さんの、赤坂衛さんの部下で――」

「……何をしている?」

 必死に美雪を説得しようとしていた圭一の背後から……野太い声が聞こえてきた。
 それを聞いた瞬間……圭一に戦慄が走る。
 ……圭一は聞いた事があった。
 …………忘れもしない……昭和58年に……。

「……赤坂の部下ぁ〜? ………見覚えがあるな……。お前……前原だったか……」
「…………!!!」

 ……圭一は……少しずつ後ろに立っている人物を確認するために……振り向いていく……。
 ……そこに立っていたのは……山狗の隊長、小此木以外の何者でもなかった。
「……部下がねずみを捕らえたからどんな奴かとおもって来てみれば……お前だったって事かぁ……!! ……くっくっく……はっはっはっは!!!」
「――!!」
 ドゴッ……!!!
「……ぐぁ……!!」
 振り向きざまに拳をぶつけようとした圭一に……小此木は一撃……顔面に膝蹴りを食らわせた。
 髪の毛をつかまれ、まったくの無抵抗のまま打ち込まれる圭一。
 ……その後、なすすべもなく……頭を地面に叩きつけられる。

「……あっけねぇな……。……貴様それでも赤坂の部下か? …………久しぶりに面白い奴が来たと思ったのによぉ……」
「…………や……かましい……!! うぉおおおぉお!!!!」

 圭一は身体を一回転させ、小此木の腕を振り払う。
 そして、手首を地面につけたまま……身体をねじり、小此木の片足を払った……!!
「……うぉ……!?」
 だが……かすっただけ。……それでもバランスは崩せた……!!
 そのスキを圭一は見逃さない!!!
 すぐに体勢を立て直し……渾身の力を込めて……拳を放つ!!!
「うぉおおぉおお!!!!」
「おぉっとぉ!!!」
「…………!?」
 小此木は、バランスが崩れて倒れこみそうになったのを……あえて受け入れた。
 圭一は、倒れるのを踏みとどまったところで、足に筋力がいき、拳をぶつける部分に力が入らなくなるのを見越して放った。
 ……だから、小此木がそのまま倒れてしまうのは……まったく計算に入れていなかったのだ。
 ……それを……逆手に取られた。

 ……圭一の動きは、完全に小此木に読まれていた。

「そらよぉっ!!」
「――ぐ!!?」

 そして、小此木はさきほど圭一がそうしたように……手首を地面につけ、一度だけ地面をけり……不安定な空中の姿勢から蹴りを一撃繰り出した。
 完全に無防備な横腹に一撃入れられ……圭一の口から血が流れ出る。

「甘い甘い。そんなんで一発打ち込めるとでも思ったのかぁ!? 笑わせるぜ、はっはっは!!!」
「く……そったれ……!!」
「だ……大丈夫……!?」
 そんな圭一に、美雪は泣きそうな顔で駆け寄る。
 美雪は、小此木の事を知っていた。部下であると思われる人物達の反応から、小此木が最も立場の高いところに居る事を理解していたのだ。
 その小此木に、立ち向かっている。……圭一を疑う必要は……もうなかった。
「さぁ、立てよ。もっと楽しもうじゃないかああ!!!」
「も……もうやめて……!! 圭一さんを殴らないでぇええ!!!」
 美雪には……自分のために人が殴られるのが……耐えられなかった。
 だから……小此木の足にしがみついて、泣きじゃくりながら必死に願う。何度も何度も、やめてくれといい続ける。
 ……だが、小此木にとってそんな事を耳に入れる必要は無い。……それどころか、目障りにしか……感じなかった。
「やかましい!! 邪魔じゃああこのクソガキがぁぁああ!!!!」

「あ……ぅ……っ!!」
「……美雪ちゃん……!!」
 
 足にまとわりついた美雪に、小此木は横から払うように殴り飛ばした。
 目障りに感じ、実際邪魔だった。……だから、殴った。
 圭一との戦闘を楽しんでいる小此木にとって、美雪を殴る理由などそれだけでよかった。
 殴り飛ばされた美雪は、腹部への痛みと、転がった時の痛みにもだえる……。

「……前原……なかなかやるじゃねぇか。面白い……実に面白い……!! さぁ……続きといこうぜぇええ!!」
「く……この……くそったれがぁぁああ!!!!」
 
 圭一は痛む手足を必死に動かし、蹴り、パンチと交互にバランスよく繰り出す。
 だが、どんな蹴り方・殴り方をしても、小此木にはまったく当らない……!!
 
「ほらほらどうした!? 一つも当っちゃいねぇぞ!!?」
「ぐ……!! くそぉおお!!!」

 小此木は完全に遊んでいた。
 フラフラながらも、圭一の繰り出す技には一つ一つキレがあり、当れば必ずダメージがその部位にいくであろうというものだ。
 だが、全ての格闘術を把握し、おのおのが持っているパターンを即座に分析できる小此木にとっては、そんなものはどうって事ないのだ。
 当らなければ意味がない。……まさに、文字通りだった。
 圭一の動きをよく観察し、次に何を繰り出すのかを直感的に把握し……当る直前で避けるのだ。
 故に、何を打たれてもかわしきる自信があった。
 だが、もし打たれれば形成は一気に不利になる。……だからこそ、この緊張感を小此木は楽しんでいたのだ。

「腹のガードががらあきだぞ坊主!!」
「――がっ……!!」
 圭一がそれに気付いた時には……既に打ち込まれた後だった。
「ぐ……あぁぁあ……!!!!」
「はっはぁ〜!! もう終わりかよ坊主!?」
「……く……そんなわけ……ねぇだろ……!!」
「…………そうこなくっちゃなぁ……!!」

 圭一は負けるわけにはいかなかった。
 赤坂のため、日津谷のため、捜査一課の皆のため……!!
 ここまで協力してくれた人達のためにも、……今、自分の事を思ってくれている美雪のためにも……!!
 
 ……だが……いくら思っても、体が言う事を聞いてくれない。
 手錠から抜けるために手足を痛めた事、銃弾から逃げる為に常に全力疾走していた事、小此木に何度も打撃を喰らわされた事。
 体力の限界を超えて、すでに圭一は立っているだけでもやっとの状態だった。
 こうなってくると、技にもキレがなくなってくる。
 威力も、スピードも……少しずつ……少しずつ……落ちていく……。
「くそ……!! くそぉお……!!!」
「どうしたどうした!? もうバテたのか!? えぇ!?」
「黙れぇぇえ……!!!」

(くそったれ……!! どうやったら勝てる!!? こいつに……どうやったら!!?)
 ……山狗隊長の肩書きは伊達ではない。圭一自信、戦ってみてよく分かった。
 自分の出す攻撃が全て受け流される。パンチを繰り出しても、蹴りを繰り出しても、全てが空を切る。
 そう。……小此木には何も通用しないのだ。
 攻撃が全て当らないのに、どうやって倒すというのか。……圭一には想像もつかない。

「どうしたどうした!? ……うりゃああ!!」
「がっ……!!」

 再び、圭一の攻撃が一瞬止み、ガードが甘くなったところを……小此木の蹴りが的確にヒットした。
 打ち続けなければ、向こうに攻撃を許してしまう事につながる。
 だが、打ち続けても攻撃は空を切り、体力を消耗するばかり……。
 ……どちらかに、一つだった。
 どちらを選んでも、結局は負けてしまう勝負。
 そんな勝負に身を投じてしまっている、己の運命を圭一は嘆く。

「……ぐ……ごほっ、ごほっ……!!」
「……拍子抜けだな。赤坂の部下ってのは……こんなもんなのか」
「……あ……か……」
「この分じゃ赤坂の野郎もひとひねりで潰せるだろうなぁ!! はっはっはっはっは!!!」
「……黙れ……黙れ……黙れぇええぇ!!!」
「おっ、元気になったか坊主!?」
「赤坂さんを……赤坂さんを愚弄するなぁぁあ!!! 貴様は一度!! 赤坂さんに負けているんだろうがぁぁあ!!!!」
「……っ!!!!」
 
 ……圭一は、禁断のフレーズを口にした。
 小此木にとって、最も屈辱的な出来事。……それを……口にしてしまったのだ。
 
 小此木の顔から……笑みが消えた。

「うるせぇんだよこのクソ坊主がぁぁあ!!!!」
「――――っ!!」
「あぁ!? 人が手加減してやってたら図にのりやがって!! そんなに*にてぇのか!? あぁ!!?」
「ぐっ……がぁっ……!! ぐぁぁ……!!」

 小此木は顔面を殴り飛ばし、横たわった圭一を……何度も……何度も、何度も何度も何度も何度も足蹴にし、蹴り飛ばす。
 そうすれば、普通の人間の反応は……段々と弱り、命乞いをする。……小此木もそう思っていた。
 ……だが……圭一の反応は違った。
「……クックックック……!!」
 不気味なほどの笑みを浮かべながら……圭一は立ち上がった。
「……はっ……!! 山狗の隊長殿は……いつの間にか負け犬になりさがっていたんだったなぁ!!?」
「だ……黙れぇぇええ!!!!」

 バキィ!!!

 再び、圭一は腹を蹴られ……中に浮く。
 だが……表情は完全に笑っていた。

「も……もう止めてぇえぇ!!! お願いだから……!! 圭一さんも……逃げて……!! ここに居たら殺されちゃうよぉお!!」 
「……そういう……わけにもいかないんだよ……。悪いけど……俺はこいつをぶちのめさなきゃならないんだ」
「……どうして……!! どうしてそこまでして……!!!」
「……言ったろ……? ……俺は――」
「…………!」 
 
「……美雪ちゃん。君を……助けに来たんだ!!!」

 圭一は……思い出していた。
 赤坂は、小此木を一度倒しているという事を。
 ……そして……赤坂は常識に囚われない戦い方をしていたという事を……!!

「うおぉおおおおお!!!!」

 走りながら、おもむろに圭一は拳を繰り出そうとする……!!!

「学習しねぇなお前はぁあ!!! そんなもんは聞か……――!!?」

 突然……小此木はバランスを崩した。
 ……圭一も、視界から消えている。

 ……足。
 圭一の足が……小此木の足に当たり、バランスを崩させたのだ。

 圭一は……助走をつけ……スライディングをしていた。

「……な……!!?」
「……喰らえぇぇええ!!!!!」

 そして……小此木の懐にもぐりこみ……腕を掴んで……立ち上がる!!
 片足を軸に、重心を前に倒し、残る全ての力を……この一点に集中させるために!!!!!

「何だとおお!!?」
「うおおおおおおおおっ!!!!」

 小此木は……綺麗な弧を描きながら……床に叩きつけられた。
 ……だが、圭一の攻撃は……まだ終わらない!!!
 床に小此木をたたきつけた勢いを利用して……全力を拳に集中させる!!!!

 ド……ゴォ……!!

「……か…………は……!!!」
「………………!!!!」

 ……通常、床に叩きつけられた衝撃は、跳ね返って上空へ逃げようとする。
 ……だが、圭一はそれを許さなかった。
 逃げようとした衝撃を全て……小此木の身体ごと再び床にたたきつけたのだ……!!
 その拳に乗せて……!!!

「……ハァ……ハァ……!!」
「…………は……ははは……!!」
「……!?」
 ……終わった。
 圭一は、そう思った。
 本来逃げ出すはずの衝撃を、全て利用した……まさに一撃必殺ともいえる一撃だった。
 ……だからこそ、圭一はこれでもう終わったと思った。
 …………だが……小此木はそれを喰らって尚、さらなる笑みを浮かべながら起き上がる……。
「……利いた……。今のは利いたぞ坊主……。流石……と言っておいてやるよ……」
「……今のを喰らって……立ち上がるのかよ……。……まいったな……。タフにもほどがあるっつんだよ……」
「山狗の隊長をナメるなよ……。本当はより実践的な部隊につこうと必死になっていたんだぜ? ……なかなかいい攻撃だったが……まだまだ寝やしない……」
「…………く…………!!」
 圭一はもう一度戦闘態勢をとる。
「……さぁ……いよいよ面白くなってきた……。こんなに面白いのは……久しぶりだ!!!!」
「――!!?」
 来た!!!
 ……圭一がそう思った瞬間。
「……遅いんだよ……」
 眼前には既に……小此木の姿があった。
「……く!!」
「面白い技だった!!! 実に面白い!!! …………お前も受けてみるか?
「!!」
「はっはっはっはっはっは!!!!」
 ……大声で笑いながら、小此木は圭一の右腕を両手でがっちりと押さえて向きを変え、……重心を前に倒す。
 先ほど圭一が繰り出した技は、常人なら一発でノックアウトする。
 使う人物の筋力と経験にもよるが、下手をしたら肋骨が何本か折れ、間違いなく瀕死の状態までいくはずだ。
 小此木が立ち上がれたのは、幾度にもよるトレーニングによって得た強靭な筋肉、……そして、うまく受身をとったからだ。
 圭一は気付かなかったが、小此木はあの時、真っ先に両腕を床につけ、自らの身体が床に落ちるスピードに合わせて腕を曲げた。
 それにより衝撃はいくらか緩和され、本来得られるほどのダメージがなかったのだ。
 ……つまり、あの技をモロに喰らって立ち上がれたのは……圭一の相手が、小此木だったからなのだ。
 ……そして、今度はその技を……圭一が受ける。
 圭一はこの技を先ほど考え付いた。自分の技を使われるというのは、屈辱にも近い感覚を感じてしまう。
 さらに、圭一ももちろんトレーニングをしているが、年に差のある小此木ほどではない。……受身の方法も知らなかった。
 今の状態の圭一がこの技を受けたら……場合によっては死亡する。
 小此木はすでに地面に叩きつけようと、投げる体勢に入った。
 圭一の身体は、先ほどの小此木のように……宙を浮く………………はずだった。
 小此木の予想は完全に外れ、投げ飛ばすどころか、自らが前に重心をかけた事により圭一もろとも転んでしまった。
「……!?」
「――スキだらけだぜっ!!!!」
「――――がぁぁあ!!!」
 圭一の拳が、小此木のわき腹に思い切りねじ込まれた。
 その瞬間、小此木の両手による力が緩み、圭一は右腕を素早く束縛から解放させ、小此木の頭を掴んだ。
 そして……尚も同じ場所を、寸分の狂いもなく……殴り続ける……!!! 
「……な……何故だ……!!?」
「…………それに気付けないようじゃ……山狗の隊長なんかやめるこったな!!!」
「……く……ぐぁあ……!! …………――――っ!!!」
 小此木は……ようやく気付いた。
 圭一は……投げ飛ばされる瞬間に、自分の足を小此木の右足に絡ませていたのだ。
 それにより、圭一は投げ飛ばされる事なく小此木にしがみつく事に成功したのだ。
 さらに、行き場を失った重心はそのまま前に倒れた、というわけだ。
「悪いな!! あんたも相当訓練をつんだんだろうけど、俺は柔術、この一点にのみ集中して何年も何年も鍛え上げてきたんだ!!! あんたと俺じゃ、技が繰り出されるまでのスピードが違うんだよ!!!」
「――!!」
 ……そう。
 圭一は昭和58年のあの日から、大石による基礎訓練を受け、独学ながら柔術のみを毎日、毎日やってきたのだ。
 小此木も確かに柔術の心得はあるし、実力もあった。
 だが、他の体術とも合わせての訓練だ。
 九年間毎日、たとえ受験で勉強をしなくてはならない日であろうと、時間をどうにか作って、死に物狂いで訓練をつんだのだ。
 圭一に言わせれば、小此木の柔術などまだまだ俄仕込み。
 それでも、小此木の繰り出した技も、圭一が繰り出すスピードと大して違うわけではない。
 ……だが、圭一にはそれだけでも十分だったのだ。
 それに、この技はもともと圭一が発案したもの。……猿真似に負けるほど、圭一は弱くはなかったのだ……!!
「はぁああ!! うおおおぉ!!!」
「がっ……!! ぐ……!!? ぐぁぁああ!!!」
 両腕を倒れた時に自分の身体の下敷きにし、足を組まれ、頭をつかまれた小此木はすでにサンドバッグの状態だ。
 圭一は何度も何度も何度も何度も……!! 同じ場所を、的確に……全力で打ち込み続ける!!!!
「ぐ……!! うぐ……!!! ……がっ……!!」
 これには、小此木も何もする事が出来ない。
 ここでも、足にはまっていた鎖の切れた手錠が、小此木の足を組んで締め付ける時に効果を発揮した。
 圭一が組んだ足を締め付ければ締め付けるほど、小此木の右足には相当の圧力がかかり、さらに手錠により一部分は既に血がめぐっているかも怪しい。
 左足は残っていたが、右足の痛みは相当なものになっており、動かせる状態ではなかった。
 そして、圭一は攻撃の手を休めない。
 息をつく暇すら与えず、間髪入れずに殴り続ける。
「さっきもあんたは俺の真似をしたよな……!! その、相手をおちょくる態度が……あんたの最大の敗因なんだよぉぉおお!!!!」
 圭一は、小此木を掴んでいた右手を一旦離し、左手と指を絡ませてひとまわり大きな拳をつくる。
 ……そして……それを打ち込む!!!
「――がっ……あ……っ!!!」
 常人では瀕死になりうる技を受け、同じ場所を的確に何度も殴られ、足もしめつけられていた小此木。
 圭一に入れられた最後の一撃は、小此木の意識を一瞬で吹き飛ばすほどの……威力があった。
 
「……っ、……ハァ……! ……終わったか……?」
 息を荒げながら、小此木が気絶している事を確認する。
 ピクピクとはしているが、もう起き上がってくる気配はなかった。
「……す……凄い……!! すごいよ圭一さん……!!」
「……終わった……」
「……え?」

「終わったぞぉぉおおぉおおお!!!!!!」

 感極まって、圭一は声を張り上げた。
 赤坂が倒した相手を……自分も倒す事が出来た。
 自分ひとりの力で小此木を倒す事は、圭一にとって何よりの達成感をもたらしたのだ。
「……圭一さん……。……ありがとう……」
「……いいって……。これは……俺にとっても……また一歩、目標を超えるための足場作りが出来たって事だから……」
「……かっこよかったよ……!」
「……! …………さ、さあ、早く……脱出しよう……。安全なところへ……」
 昔からそうだったが、こんな状況で「かっこよかった」など言われる事に圭一は慣れていない。
 頬を赤らめながら、照れ隠しに圭一は話を変えた。
「……――っ」
 だが、もう圭一に力は残されていなかった。
 小此木との戦いに……全てを使い果たしてしまったのだ。
 脱出しよう、と言っておきながら……もう身体はまったく動かない。
 緊張が一気に解けた事から、圭一は倒れこんでしまう。
 血を流しすぎた事もあり、圭一の意識はここで途切れる……。

「け……圭一さん……? 圭一さん……!?」
 突然倒れてしまった圭一に、何かあったのではないかと美雪はオロオロする。
 それに、これからどうするのかも美雪には分からなかった。
 圭一を運んで外まで出るのは不可能だし、恩人である圭一を置いて一人で逃げる事もできない。
 美雪がどうやって脱出しようか悩んでいると、
「圭一君!!! ここに居るのか!! 圭一君!?」
 ドアがバンバンと叩かれ、外から声がしてきた。
 圭一の名前を呼んでいる事から、山狗ではないと判断し、美雪はドアを開けた。 
「圭一君!?」
 開け放たれたドアの向こうから、日津谷が顔をのぞかせた。
 美雪は日津谷と面識があったので、その顔を見て一安心する。
「……君は美雪ちゃん……! …………そうか、圭一君が保護してくれていたんだね」
「日津谷……さん……! ……ふ……うわぁあん……!! 怖かったぁああ!!」
「もう、安心していいよ。この建物に居た山狗は全て僕達が退治した」
「もう……帰れるんだよね? ……お父さんとお母さん……会えるんだよね……!?」
「ああ、そうだよ。……それと、赤坂さん、今……大変な事になっているから、助けだす手助けをしてほしいんだ」
「大変な事……?」
「後で話すよ。……それより圭一君は……」
「は……はい……!! ……あの、圭一さんが……!!」
 美雪は圭一の法を向き、日津谷に圭一の事を伝える。
「……!? これは……?」
 室内に倒れていた圭一、そして小此木を見て、日津谷はここで何があったのかを瞬時に判断した。
「……お疲れ様。ゆっくり休んでくれ……」
 そういいながら圭一を抱え込むと、日津谷は美雪と一緒に階下へと降りていった。

 

「ふぅー……。圭ちゃんも救急車に運んだし、これで一件落着かな?」
 魅音が安堵の息を吐きながら、日津谷に尋ねる。 
「……ですね。今回の事件の証拠として、犯人達から聞きだした事は全てテープに録音しましたし」
 日津谷は、山狗との戦闘中、録音テープを回しながら様々な証言を得ていた。
 圭一まではいかずとも、日津谷にも情報を聞き出す術は心得ていた。
 上手く言葉で誘導しながら、必要な情報を録音する事に成功したのだ。
「美雪ちゃんの証言もありますから、勝ちは確実でしょう」
「よかったぁ……。赤坂さんも、圭一君も無事って事だよね!」
「ええ。……お二人のおかげです。本当にありがとうございました」
 日津谷は深々と頭を下げる。あの時ははやし立てられてしまったから、今度こそは、という意味も込めて。
 だが、二人とも頭を下げられるような事はしていない、と言った。
「当然の事だからね。かたっくるしいのはこの際無しですよ、日津谷さん!」
「そうですよ〜! 仲間に手を差し伸べるのは当然ですから☆」
「…………」
 日津谷は一瞬だけ以外に思ったが、すぐに表情をほころばせ、頭を掻きながら、
「…………本当、圭一君が羨ましいですよ」
 ボソリとつぶやいた。
 ふと、日津谷は空を見上げる。
 辺りを包んでいた闇は、上り始めた太陽に照らされていた。


   
 *     *     *


 その後行われた赤坂の裁判だが、美雪の証言、日津谷が突入時に録音していたテープに録音されていた犯人の言動という決定的証拠、それと赤坂自身も美雪が帰って来た事により自らの潔白を主張し、判決は無罪となった。
 赤坂は白だ。……そう、信じてやってきた日津谷達は、この時ほどうれしい瞬間もなく、声を張り上げて喜んだ。
 一週間前に共に誓いあった皆で赤坂を胴上げし、その日は随分と賑やかなものとなった。

 この事は圭一にもすぐに伝えられ、その日は病院をこっそり脱走しての宴会騒ぎが例の居酒屋で行われた。
 魅音、レナ、突入時に魅音が連れてきたボディガード達も混ざっての、盛大な宴会だ。
 魅音の連れてきた人達は暴力団の人物ばかりだったのだが、この時ばかりはお互いに赤坂の無罪を喜び、捜査一課の面々も「飲み友達と宴会をした」というだけでそれ以上の事は口にしない事にした。

 赤坂には笑顔が戻り、雪絵も表情をほころばせていた。
 美雪も、酒さえ飲まなければOKという事で、大人たちに混じって一緒に騒いでいた。(もっぱらレナが相手になっていたのだが)


 この事件は新聞にも大きく取り上げられ、その後も赤坂の知人との宴会は当分の間続くのであった……。

 ……これは余談だが、今回の事件で派手な銃撃戦が建物内部で行われ、怪我人が続出した。
 夜中に行われたどんぱち騒ぎは近所の住民にまで被害が及び、病院へ搬送される人がこの日だけでもかなりの数におよんだそうだ。
 だが、奇跡的に死傷者は出なかった。これは運がよかったとしか言いようがないが、それはそれでよかっただろうと気にする人もいなかった。
 また、この事件により、銃器の保持、および誘拐の容疑で山狗はメンバーの三分の一が逮捕された。
 どうやら、ここに居た山狗達は全員ではないらしく、まだ他にも居る、との事だ。
 だが、その後、病院で治療中に逮捕された山狗は逃げ出してしまい、それ以外の事は聞きだす事はできなかった。

 

   *      *      *


「日津谷、圭一君。ちょっといいか?」
 それから、数週間後。夏真っ盛りという時期だ。
 いつものように捜査一課で忙しい日々を送っていた日津谷と圭一を、赤坂が呼んだ。
「なんですか赤坂さん〜! 今忙しいんですよー!!」
「右に同じです。後にしてください!!」
「とてもいい知らせを持ってきたんだがね?」
「「 何ですか!? 」」
「君達のそういうところ好きだよ。うん」

 よい知らせ、と聞いて飛びつかない人もまぁいないだろうが、ここまで露骨に表現する人もまぁいないだろう。
 して、そのよい知らせだが、これは仕事をしている人になら、誰にでも「良い知らせ」だ。

「君達の休暇が認められたよ。一週間の、集中休暇だ。色々頑張っているようだからって、二人にだけ特別ボーナスだそうだよ」
「ま……マジっすっか!!? う……うぉおお!! これで雛見沢へ里帰りできる〜!!」
「休暇ですか……!! それは有難いです。僕も、雛見沢には興味がありまして。ぜひ、行ってみたいと思っていたんですよ」
「そしてちゃっかり私達も休暇をもらってきた。四日だけどね。おーい、皆にも休暇をもらってきたぞ〜!」

 その後、拍手喝采。
 なんと、赤坂は捜査一課全員の休暇をもらってきたのだ。
 どうやら、今回の件で上の評判は一気に跳ね上がったそうだ。赤坂も、「家族を愛するよき父親」としてのイメージを格段にアップさせていた。
 上層部に気に入られ、ようし持ってけドロボーと集中休暇をもらってきたそうだ。
 
「たまには私たちも羽を伸ばさないとね。私たち三人は雛見沢へ直行って事でどうだい?」
「いいですね! 俺、帰ったら皆を集めて羽を伸ばしまくりますよ!!」
「僕も圭一君と行動をともにしてみようかな。その方が楽しくなりそうだしね」
「ははは、カモにされないように気をつけなよ、日津谷」
「えぇ、その辺は肝に銘じときますよ」
「日津谷さんも参戦か……! よーし……楽しい休暇になりそうだ! ……そうだ、レナも誘ってみるかな……!」
「お饅頭でも持っていってあげようかな……。……いや、シュークリームだったかな?」
「土産にはシューがいいと思いますよ。大のシュー好きが居ますから」
「じゃあ、そうするか」
「休暇祝いだー!! 皆ー、今夜は飲むぞーーー!!!」

「「「「「「 おーーーーっ!!! 」」」」」」」
 

 この後、捜査一課の一室からは、仕事の終了時間まで絶えず騒がしい声が聞こえていた。

 

 


 交渉人前原圭一【容疑者・赤坂衛】 終わり

 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 戻る